第5話
そこから卒業までは一瞬だった。
こんなに卒業式の練習しまくってたら本番じゃ全然感動しなさそうだな、なんて思っていたのに、当日は思いのほか感極まってウルっときてしまい「意外だなぁ」と健太に笑われた。俺だって感動くらいするよ。
校庭の桜も満開で、まさに「卒業日和」という感じだった。
「たっくんともこれで最後なんだよね。さみしいよ」
ジャケットを羽織ってスカートを履いた由奈の姿は、なんだかとても大人っぽく見えた。
「うん……でも、住んでるところは近いんだから、また会えるよ。これからも」
誰よりも由奈と離れたくないって思っているはずなのに、咄嗟にまるでさみしくない、みたいな言い方をしてしまった。
「そうだよね。中学は違ってもきっとまた会えるよね!」
由奈はそう言ってにっこりと微笑んだ。
本当は由奈に渡す手紙を書いて来ていたけれど、それを渡すことはできなかった。
もちろん、俺の想いを伝えることも。
「由奈にちゃんと気持ち伝えるんだろ?」とあんなに言ってきた健太も、今日はそのことは何も言ってこなかった。当日はお前が心を決めて頑張れ、ということだったのだろうが、俺は由奈を困らせたくない、とか由奈と気まずくなりたくない、とかそんなことばっかりを考えて、結局自分の気持ちから逃げてしまった。
「……たっくん! きっとまた会おうね! 元気でね!」
「うん! また会おう」
なんで好きだって一言を言えないんだ。なんで手紙の一枚が渡せないんだ。
結局、それが由奈と交わした最後の言葉になってしまった。
──上手くいかなくたって、どのみち違う中学に進むんだから、思い切って言っちゃえばよかったのに……。
家に帰ってから俺は、猛烈に後悔した。
由奈に想いを伝えられなかったこと自体ももちろんだが、ずっと抱き続けてきた気持ちなのに最後の最後にまでなって勇気を振り絞れなかった自分に腹が立った。
やらずに後悔よりやって後悔、ってこういうことだよな……。
そこから約二週間後、東高校中等部の入学式を迎えた。
桜の花びらはかなり散ってしまっていたが、ブカブカのブレザーを着て、大きな体育館で行われた入学式では、これからの学校生活への期待に胸が膨らんだ。
新たに幕を開けた学校生活では、同じクラスに何人も気の合う友達ができたし、部活体験でなんとなく行ってみた吹奏楽部では隣のクラスの直紀とも知りあって仲良くなり、部活は吹部に入ろうと決めた。
同じ小学校の仲間もいない中で少し不安だったが、良いスタートが切れた。
ただ、授業を受けていたり、部活で楽器の練習をしていたり、そんなふとした時に考えてしまうのだ。
──由奈は、今頃どうしているだろうか、と。
俺は俺でここ東に入って新しい学校生活をスタートさせて、由奈は由奈で、地元の中学で学校生活を送っている。
由奈はなんの部活に入ったんだろうか。制服姿の由奈はどんな感じなんだろうか。中学へ上がって、もしかしたら好きな人でもできていたりするんだろうか。
こんなことを考えるたびに、胸が締め付けられる思いがした。
東へ行ったら、今の気持ちは切り替えて新しい学校生活を送るんだ──。
小学校の卒業式の後、俺は自分にそう誓ったはずなのに……。
由奈への想いは減るどころか高まる一方だった。
でも、中学三年間を通して学校生活は充実していてとても楽しかった。
毎年夏になると小学校でのマーチングを思い出した。中等部の吹部は人数が少ないこともあって吹奏楽コンクールには出場せず、高校生に混じって練習することがほとんどだった。
コンクールに出ないとはいえ、二学期始まってすぐの高校の定期演奏会には一緒に出ることになっているので、夏休みは小学生の時と同じく、練習漬けの日々だった。
「おい、マジかよ……。てか拓也、こんな生活小学生ん時からやってるん?」
直紀は夏休み練習の日程表を驚愕の表情で見つめている。
そう、俺は小四から毎年この生活を送ってきているのだ。我ながらすごい。
ちなみに中一の夏休みで練習が休みだったのはお盆のたった四日間である。
まあでもこれは、世の吹部では結構普通の練習量なのだ。
コンクールで全国に行くような学校は休みは正月だけ、なんて恐ろしい学校もあるにはあるらしいのだが、我らが中等部の吹部はコンクールには出場せず、出るのは地域の音楽祭と定演くらい……にしては、うーん、結構ハード。
でも、そのおかげか結構楽器は上達できたように思う。あと先輩がみんな優しい人ばかりでよかった……。これは部活を続けていく上で結構な重要事項である。
担当するクラリネットは初心者から始めた楽器で、音の出し方もマーチングでやっていた金管楽器とはまるで違っていたが、これで木管も金管も両方吹ける二刀流だ! とか思いながら練習を頑張った。……ちなみに今トロンボーンが吹けるかどうかは知らない。
勉強の方も当然ながら小学校でやっていたものよりかなり内容が濃くなり、その上進度も速かったが、なんとか喰らい付いた。
ただし、理系科目、特に数学はかなり、うん、ヤバかった……。これはあれだ、完全に小学校での算数を引きずっている。正の数、負の数。絶対値は正でも負でも同じ値。負の数×負の数は正の数……。もう頭の中はぐちゃぐちゃである。受験対策でやったつるかめ算と植木算ならいけるんだけどなぁ……。
小学校時代の友達の連絡先は全然持っていなかったので卒業式以来、由奈だけでなくその他のみんなとも会う機会は全然なく、地元の中学の様子も全然知らなかった。
隣の市の公立まで通う健太とも学校の行き帰りで乗る路線自体は同じはずなのだが、時間がズレているのか電車が被ることはほとんどなかった。
みんな近くに住んでいるはずのに変な感じだった。
入学したての頃は由奈のことばかりが頭をよぎっていたが、二年、三年と学年が上がっていくにつれて交友関係も広がって、俺もすっかり東のコミュニティの一員となっていた。
だから、思いもしなかったのだ。
まさか、高一になって由奈と再会することになるなんて。
よくよく考えてみれば、高校から同じ学校になるなんて全然あり得たのに、なぜか俺はその可能性を考えることはしなかった。不思議なもんだ。
高校生として再会した由奈は、喋る時の癖とか、笑い方とか、小学校で一緒にマーチングをやっていたあの頃の由奈のまんまで、なんだかそれがめちゃくちゃ懐かしくて、めちゃくちゃ嬉しかった。
卒業式のあの日から3年経った由奈は、あの頃に増して可愛くなっていて、纏う雰囲気も女子高生って感じで、セーラー服のスカートから伸びる白い脚にもドキッとして……。
俺は思った。
あぁ、由奈への想いは高一になった今でも変わっていないんだ、と。
中二になって、中三になって、どんどん東のみんなと仲良くなって、東のみんなと遊んで、由奈への気持ちとかそういうのは、もう小学校の頃の思い出なんだ、って少しずつ思うようになっていた。いや、きっとそう思い込もうとしていた。
でも、実際はそんなことはなかった。あるはずなかった。
由奈には由奈の中学での思い出があって、きっと俺の知らない出来事がたくさん起きていて、もしかして恋愛だってしていたかもしれない。小学生の頃仲良くしていた俺も、由奈からしたらもうほとんど他人かもしれない。
けど、それでいい。俺はこれから由奈と同じ学校に通えて、同じ部活で活動できて、たくさんの出来事を共有できて……。
その事実が、今の俺には何よりも嬉しかった。
新しい日々が、ここから、はじまる──。
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