第2章 これまでのこと

第3話 

 俺が由奈と初めて話をしたのは小四の時だった。


 人数の少ない学校で、同じ学年には二クラスしかなかったから顔を見かけることはそれまでもたびたびあったが、四年まで一度も同じクラスにならなかったこともあって、言葉を交わしたことはなかった。 

 小学生というのは仲の良い友達とグループを作って行動しがちなものである。学年たったの二クラスでも、クラスが違えば意外に話したことのない人はいるものである。


 俺たちの通っていた小学校では四年生からクラブ活動が始まる。スポーツクラブをはじめ科学クラブ、マンガクラブなどと、この規模の小学校としては結構いろいろな種類のクラブがあったと思う。

 

 俺はクラブ活動に強いこだわりは全然なかったのだが、ピアノを幼稚園の頃からずっと続けできていたので楽器には少し興味があって、音楽系のクラブであるマーチングクラブに入ろうと決めた。


 活動場所である音楽室に行くと、上級生の人たちがいろいろな楽器の体験をさせてくれて、俺は演奏している姿がカッコよかったトロンボーンを担当楽器に希望した。

 そう、実は小学生の頃は今やっているクラリネットとは全然違う系統の金管楽器を担当していたのだ。


「男の子が楽器吹くって、かっこいいね!」


 練習が始まり、俺が音が出ない音が出ないと運指表を睨みながらトロンボーンと苦闘していたところ、隣からそう声を掛けられた。

 

 運指表から横に視線を移すと、一人の女の子がこちらにほほえみかけている。


「ああ、隣のクラスの」


「あ、わたし? うん、そう! 隣のクラスのゆな。さくらいゆなだよ。知ってた? わたしのこと」


 さくらいゆな、という名前までは知らなかったが、なんとなく見覚えはある。

 とはいえ、こんな近くで顔を見るのは初めてだ。


 肩より少しだけ伸びた黒寄りの茶髪、白い肌、くっきりしたこげ茶の瞳──ドキッとした。すごいかわいい子だな、というのが第一印象だった。

 かわいい中にもちょっと大人っぽい雰囲気があるような感じで、きっとクラスの男子からはモテているんだろうなあ、などと思ったのを覚えている。


「あ、そっか、オレの名前……オレは梅山拓也。よろしく」


「たくやくんね。そーだなあ、じゃ、たっくんって呼んでいい?」


「う、うん。いいよ」


 ──こうして俺と由奈は知り合いになった。




 楽器経験としては今までピアノの演奏しかしたことのなかった俺にとって、一人一人の奏でる音をみんなで合わせて一つの曲にしていく、という作業がとても新鮮で、マーチングクラブでの活動はとても楽しかった。

 俺は体格のいい方ではなかったため、トロンボーンの管を一番前までスライドさせるともう腕がいっぱいいっぱいで、こんな楽器を担いで演奏するのか。しかも行進しながら……などと思いながら毎日必死に練習していたのが懐かしい。


 夏休みに入ると、活動はさらに勢いを増して忙しくなる。

 二学期に行われる運動会でのパレードの披露や、山を下りていった隣の市で毎年行われているマーチングフェスティバルへの出場など、夏休みをあけると一気に出番が集中するため、この期間はお盆休みを除いては、ほとんど毎日炎天下の校庭でフォーメーションの練習に明け暮れていた。

 春の時点でこの練習量のことを何にも伝えずに新入生を入れるんだから、普通に詐欺だよなぁ、などと小学生ながらに思っていたが、多分同級生みんなが同じことを考えていたはずである。


 結局この後、五年、六年でも引き続きマーチングクラブに所属することになり、東の中等部へ行っても吹奏楽をやることになるわけだから、これからかれこれ六年もの間、「休みのない夏休み」を送ることになるのだ……なかなかに恐ろしい。


 マーチングも吹奏楽も「夏が勝負」なのだ。


 こんな感じで練習漬けの毎日ではあったが、この頃になると、男子二人、女子五人のクラブの同級生のみんなともずいぶん仲良くなってきて、練習が休みになったりしたら誰かの家に集まって宿題をやってみたり、近所の川へ行って遊んだりと、今思えばまるで映画やアニメで描かれるような「ザ・田舎の小学生の夏休み」を謳歌していた。




 そんなこんなで小四の夏はあっという間に過ぎ去り、空にはいわし雲が浮かぶようになっていた。


 俺の「中学受験」の話が出だしたのもちょうどこの頃だったと思う。

 俺には五人のいとこがいるのだが、そのうち一番年上のゆうは、俺が小四になったタイミングの今年の春に東高を卒業した。 

 裕翔は東に高校から入学した、いわゆる「高校組」だったのだが、去年の秋頃には指定校推薦で東京の有名な私立大学への入学が決まっていた。

 裕翔が言うには、東高はなかなか進学の実績がいいらしく、指定校も結構いい大学を持っており、一般入試で受験をした人たちもそこそこ名の通った大学へ行く人が多いのだそうだ。

 当時の俺からしたら「大学受験」なんて、なんだか先のことすぎて全然実感が湧かなかったのだが、父さんと母さんからは「拓也がこの先やりたいことを見つけて入りたい大学があった時に、少しでも条件がいいほうがいいだろうから、中等部から東へ通ってみてもいいんじゃないか」という提案をされた。


 中等部から東へ通うとなると必然的に「中学受験」をすることになるわけで、小学生のうちから受験に向けての対策をしていかなければならないのだが、少し迷った末、俺は東の中等部を目標に中学受験をすることに決めた。


 勉強は嫌いな方ではなかったし、自分の頑張りで「いい学校」に入れるのならやってみたいかな、と思ったのである。

 でもやっぱり、一番はクラブの同級生で、仲の良かったけんの影響だと思う。

 彼は小四に上がる頃には、もうすでに隣の市にある難関の公立の中高一貫校の受験を決めていて、塾にも通って対策を始めていた。

 目指す学校のレベルは全然違ったのだが、同じような目標を持って頑張る仲間がいる、というのは俺の中では大きかったのだと思う。


 今仲良くしている周りの仲間たちと離れてしまうのは少しさみしいような気がするのも正直なところだったが、きっと東へ行ったらまたそこでも友達ができて、新しいコミュニティが作られていくだろうから、と気楽に考えていた。


 ──そう、まだその時までは。

 




 あと少しで五年生、というタイミングで俺は町の方にある塾に通うようになった。

 今通っている東高のすぐ近くにある塾で、このあたりでは唯一の受験対策ができる塾だった。

 健太も同じところに通っていて、いつもマーチングの練習が終わった後に一緒に電車に乗って勉強しに行っていた。


 塾でやる内容は学校でやるプリントでは見たことのないようなものばっかりで、最初の頃はずいぶん難しく感じたが、ちょっとずつで問題が解けるようになるにつれてどんどん面白くなっていった。どうやら俺の性格は案外勉強に向いていたらしい。

 複雑な問題でも実は学校で習う内容だけで解けてしまう、ということに感動を覚えていたくらいだ。

 



 受験勉強はまだまだ駆け出しだったが、楽器の演奏はそれなりに形になってきていた。  

 こちらの方もやはりできるようになってくると楽しい。  

 五年生になって行われたクラブ活動の希望調査には第一希望の欄に去年と同じく「マーチングクラブ」と書き入れた。

 他の同級生七人とも引き続き同じクラブの仲間となった。


 六年生が抜け、新たに四年生が加わり、新体制でのクラブ活動が幕を開けた。


 新しく入った四年生の子に楽譜の読み方や楽器の吹き方なんかを教えているうちにあっという間にまた「マーチングの夏」がやってきた。

 演奏する曲やフォーメーションは去年とさほど変わらなかったので気楽に構えていたのだが、ジリジリと太陽に焼かれる校庭に出てみれば「あぁ、またこの時季が来たんだなぁ」と身にしみて感じた。


 去年は練習以外の時間は同級生のみんなと過ごすことが多かったが、今年は塾の夏期講習がぎっちり詰まっていたので、練習が終わった後や練習が休みになった日などは塾に通い詰める日々を送るようになった。


「たっくんも中学受験するんだもんね、なんかさみしくなっちゃうなー」


「うん……」


「でも、わたし応援してるからね。たっくん頑張り屋だからきっと合格できるよ!」


 由奈はそう言って応援してくれていた。


 ただ、俺はこのあたりから思うようになったのだ。


 ──由奈と中学でも一緒に勉強したり、部活をしたりしたいな、と。


 ──由奈とはなんだか離れたくないな、と。


 由奈のことをどう思ってるとか、そんな明確な感情がこの時の俺の中にあったかどうかはわからない。

 ただ、なんだか漠然と、もっと一緒に過ごしたい、そんなモヤモヤとした感情が俺の中を渦巻いていた。


 いや、そんなこと言ったって、あとまだ一年以上も一緒に過ごせるじゃないか……そんなことを一人考えながら、今日も俺は塾に行くため電車に揺られる。

 傾きかけた太陽の光が窓から車内に差し込んで、俺と健太の二人の影をつくり出す。


 ──健太はどう思ってるのかな、みんなと離れること……。


 ──もしも……もしも、健太に好きな人でもいたとして、その人と離ればなれになるのは嫌だとか、思ったりはしないんだろうか……。


 今日の俺、少し疲れているのかもしれない。

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