第2話 

 高校最初の部活が始まった。

 先輩たちがいろいろ話をしていたが、正直それどころではなかった。

 上の空になっている俺を見て直紀は相変わらずの表情で「話はちゃんと聞こうな」などと柄にもないことを言ってきた。ムカつくヤツだ。

 

 初めての部活動は希望楽器の調査を行うのみにとどまった。

 俺は中等部の時と同じくクラリネットを第一希望とした。中等部にいた頃から高校の方に来て練習することは多かったので先輩たちとも顔見知りである。

 他の一貫生の三人も引き続き同じ楽器を希望したようである。

 直紀はホルン。高橋さんはフルートで、田中さんはトランペットである。

 本格的に部活が始まるのは休日明けの月曜からということで、今日はこれで解散となった。


 その後、今日から新しく仲間となる同級生たちと中学の時の話などで盛り上がり、ひとしきり話してから俺もそろそろ帰ろうかと荷物を整理していると、トントンと後ろから肩を叩かれた。


「ね、もしたっくんがよかったらさ、一緒に帰らない?」


 振り返ると、そこには由奈がいた。


「あ、でも無理にとは言わないよ。ほら、あの男の子、山本くんだっけ? と予定あったりするのかなって」


「あー、直紀とは大丈夫だよ。電車も逆だし。一緒に帰れるよ」


「ほんと? よかった!」


 さっきみんなと話していた感じだと、他のみんなは俺たちとは逆の方向から通っているようだったので、おそらく駅に着いてからは由奈と二人きりだろう。

 気軽に一緒に帰れるなどと言ってしまったが、果たして二人になって俺はまともに会話できるのだろうか……全くもってできそうにない。

 いや、そんなことをいちいち考えるからダメなのだ。フツーに友達と話すように会話すればいいじゃないか。平常心だ、俺。


 誰と会話するでもなく一人でこんな思考に陥っている俺……。なかなかヤベェなと思いつつ、みんなと共に音楽室を出た。

 

 太陽はもう沈みだしており、強いオレンジ色の光が山の間から鋭く差し込んでグラウンドいっぱいを照らし出していた。

 

 このあたり一帯は四方を山に囲まれており、町であるとはいえ日が沈んでしまえば闇に閉ざされる。学校から駅は近く、すぐそばを電車が走っているのはありがたいが、重要なのはその本数である。

 この路線は一番本数のある時間帯でも一時間に上下線それぞれ一本のみ……といった具合なので、まあ乗り遅れたら最後だし、終電も九時台となかなかに早い。電化されているのが奇跡である。

 それもあってか山を下っていった隣の市から秘境などと言われているのは有名な話である。


 こんな場所までよくみんな通ってくるものだと思うけれど、以外にも偏差値が高く、進学実績も悪くないうちの学校はこの周辺では何気に評判がいいらしく、高校から入学する生徒も案外集まってくるのだ。

 

 駅に着いてみんなと別れると、俺と由奈は下りのホームに移った。別れ際、直紀はらしくないずいぶん明るい声で「じゃあなー、拓也!」などと言ってきたが、どんな表情をしているかもうだいたい見当はついていたので、「おう」とだけ答えて目は合わせてやらなかった。


「やー、お疲れたっくん!」


 ホームのベンチに腰掛けた彼女は大きく伸びながら続ける。


「でもさ、たっくんが中学でも楽器続けてくれててよかったよ。ほら、小学校ではさ、お互いマーチングだったけどたっくん楽器似合ってたし」


「そ、そうかな」


「うん、そう! なんかクラなのもぽいっていうか似合ってる!」


 小学校のクラブ活動でマーチングをやっていた時はパーカッションを担当していたのだが、中等部で入った吹部では人数不足だったクラリネットパートに半ば強制的に入れられたような感じだった。

 でも、パートの先輩も皆優しくて親切な人ばかりだったし、たまたま向いていたのか楽器もそこそこは吹けるようになったと思う。

 今ではクラリネットの奏でる独特の音色も好きだし、選んでよかったと思っている。


「由奈はどうしてサックス選んだの?」


「うん、私はねー、やっぱカッコいいってとこが一番かな。マーチングやってたこともあって、中学でも楽器はやりたいって思ってたんだけど、ほら中学って一番最初に部活体験みたいなのあるじゃん? あの時に先輩がサックス吹いてるの見て私もやりたい! って思って」


「由奈らしいね」


「そうかな? うん。でもサックスにしてよかったなって思ってる……ってあれ? たっくん、ちゃんと私と喋れるようになったじゃん! 由奈って呼んでくれてるし」


「いや! あれはちょっと驚いただけだから」


「あはは、わかってるよー」


 由奈とも普通に言葉を交わせるようになってきたものの、彼女と少し目が合ったり、ちょっとした仕草を見ただけでドキドキしてしまって落ち着かない。


 これから毎日同じ部活で活動していくというのにこんなんでどうするんだ……。


 ──フォーン


 閑散としたホームに警笛が響き、二両の電車が姿を現した。


 中はずいぶんと空いていて、車両の端の方におじいさんがポツンと一人、座っているだけだった。

 二人で向かい合わせのボックス席に腰を下ろすと、列車は軋むような音を立てながらゆっくりと動きだした。ここから電車は山裾を縫うようにカタカタと進む。


 窓に目をやると、コバルトブルーに染まった空が山々の稜線を浮かび上がらせている。

 俺は行き帰りの列車の車窓から見るこの風景が結構好きだ。


「綺麗だね」


 呟く由奈の声で前を向くと、彼女も窓の外に目をやって景色を眺めていた。

 中等部にいた頃はこっち方面に帰る友達がいなかったこともあり、一人でこの景色を眺めながら行き帰りしていたのだが、今こうして由奈とこの風景を共有できる、ということがなんだかとても嬉しかった。


 電車が俺たちの降りる四つ目の駅に着く頃には、空はすっかり暗くなっていた。

 無人の改札を抜け、駐輪場に向かう。駅前は街灯の小さな灯りがあるだけで、人っ子一人歩いていない。この辺りでたった一つの商店の灯りも消えている。

 ここからお互い、逆の方向に自転車を漕いで帰る。


「今日は話せてよかった! また明日ねー」


「うん、また明日。気をつけて」


 由奈と別れ、暗い田んぼ道へとペダルを踏み込む。

 生ぬるい春の夜風が気持ちいい。

 

 道中、暗闇に浮かび上がる自販機に目がいった。普段ならわざわざ自転車を降りてまで飲み物を買ったりなんてしないのだが、なぜかこの時ばかりは何か買ってみようという気になって道端に自転車を停めた。

 どの自販機にもありそうなラインナップの中から百四十円のサイダーを選んだ。

 キャップをひねると「プシュ」っと軽やかな音とともに泡が上ってくる。炭酸のジュースはほとんど飲まないのだが、一気に喉へ流し込むとシュワシュワと弾けるような感覚が心地よかった。


 ──サイダーって美味しかったんだな


 夜の帰り道で、俺は新たな発見をした。

 

 


 家に帰ると、さっき交換した由奈のLINEアカウントからメッセージが来ていた。


『お疲れ! 今日はひさびさに色々話せてよかった! たっくんがよかったら明日の朝も一緒に学校行かない?』


 ただ画面の文字と向き合っているだけなのに甘いような切ないような感覚に胸を締め付けられる。

 そうか、これからは毎日行き帰りを由奈とともにすることになるのか──。嬉しいのはもちろんだけど、でも緊張するような……。いろんな感情がごちゃ混ぜになったよくわからない感覚に支配される。


「拓也ー、ご飯できたわよー」


 キッチンから母さんの声が飛んでくる。


「今行くー」


『お疲れさま! 明日の朝も一緒に行こう』


 そう画面に入力して、居間へ向かった。

 

 


 居間ではもうすでにテーブルの上にカレーが並べられていた。


 うちはじいちゃんとばあちゃん、父さん、母さんに俺の五人で暮らしている。

 この家自体、築六十年近いというなかなかの古さで、この空間も「リビング」などと言うより「居間」といった方がよっぽどしっくり来そうな感じである。ただなぜだか家族みんなはここを頑なにリビングと言い続けている。まあどっちでもいいが。


 普段ならもっと和食っぽいものがテーブルに並ぶのだが、今日はじいちゃんとばあちゃんが町内会の旅行に行ってるため、珍しくカレーというメニューなのらしい。

 ひさびさに食べるカレーの味は想像の数倍美味しかった。




 深夜になり、そろそろ寝ようかと布団に潜るが、今日あったことが脳内で何度も再生されて寝ようにもなかなか寝付けない。


 今日、俺は再認識してしまった。

 三年前、伝えることのできなかった自分の想いは変わっていなかった、ということを。

 俺は由奈のことが好きなんだ──ということを。

 

 ただ、由奈はこちらのことをどう思っているのだろう。

「ひさびさに再会した昔の友達」などといったところだろうか。  


 俺たちの通っていた小学校はこんな田舎なだけあって生徒の人数が少なくて、みんなが仲良かったから……今日久しぶりの再会でいきなり「たっくん」と呼んでくれたのはきっとそんな理由からで……。 


 話したいから一緒に帰ろう、明日も一緒に学校に行こう、そう誘ってくれたのは同じ方面に住んでる友達がたまたま俺だったから……。


 ぐるぐるとそんなことを考えているうちに、俺の意識は微睡の奥へと落ちた。

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