第4話
四年生たちをみんなで引っ張りながら今年の夏もなんとか乗り切った俺たちだったのだが、秋のマーチングフェスティバル当日はあいにくの雨で、パレードは中止となってしまった。
会場周辺の交通規制を大規模に行なって実施されるマーチングフェスティバルは、別日での実施は難しいらしく、雨が降ったら中止にする他ないのである。
「残念だね。せっかくあれだけ練習してきたのに」
「ホントだよなぁ。せめて別の日にでもできたらよかったのにな」
これが最後のマーチングフェスティバルとなる六年生は、皆かなり落ち込んでいる。
「いやぁ、なんとか持ってくれると思ったんだがなぁ。ダメだったか……」
と、いつになく先生も悔しそうだ。
せっかく休日に学校に集まったのだが、今日はこれでもう解散となってしまった。
解散とはいってもまだ朝の九時過ぎだし、このまま家に帰ってもなぁ、といったところである。
「あっ、いいこと思いついた!」
由奈が口を開いた。
「最近全然みんなで集まったりできなかったしさ、ひさびさにみんなでゲームとかそういうのいろいろしようよ! わたしの家集まれるからさ!」
「おっ、いいじゃん!」
みんなの表情がパッ、と明るくなる。
「たっくんもけんくんも今日は塾とかないんでしょー?」
「うん! 今日はない」
「今日はまるっきりマーチングのつもりだったからなぁ……余裕だ!」
「よしっ! じゃみんなで集まれるね!」
俺たちは一旦それぞれ家に帰って、トランプやらお菓子やらを持って由奈の家に集まった。
「ねね! UNOやろうよ、UNO!」
「あ、うち人生ゲームあったと思うよ! あれー、どこにしまってあるんだっけ」
去年の夏だったらごく日常の一部だったこの光景も、今となっては懐かしい。
みんなとスナック菓子をつまみながら冗談を言い合って笑い合って……こんなに楽しかったかなぁ、としみじみ思う。
──もし受験がなかったら、こんなふうに楽しい時間が過ごせたんだよな……今年の夏も、きっと来年の夏も……。
こんなことを一瞬だけ、ほんの一瞬だけ、俺は思った。
「じゃまた! 学校でねー」
由奈の家を出る頃には雨はすっかり上がっていた。
道にできた大きな水たまりには赤やオレンジに色づいた山々が映っている。
「いやー、なんか楽しかったな」
「うん、ひさびさに息抜きできたっていうか」
俺と健太は二人並んで自転車を漕ぐ。雨上がりの澄んだ空気が気持ちいい。
俺は思い切って訊いてみた。
「健太はさ、ちょっと嫌だなって思うことはないの? ほら、中学受験したら今のみんなとは離ればなれになっちゃうわけじゃん」
「あー、うん。その気持ちも少しはあるよ。特に三年の終わりの頃なんて。せっかく三年間も一緒に過ごしてきた仲間たちと別れてまでわざわざ別の中学行く意味あるんかな、って考えたり」
「うちは親が無駄に厳しくて、行ける大学はほぼ高校で決まるんだってずっと言っててさ、親の中では俺が中学受験して中高一貫校行くのが決定事項だった、みたいな」
大学がどうとかまだわかるわけないのにな、と健太は笑う。
「受験したくないって思わないの?」
「うん、それも小四上がる時くらいまではずっと思ってたよ。でも、学校見学会みたいなやつだったかな? 受験する学校見に行った時にさ、わー、すげぇ! いいなぁ……って思っちゃったんだよね」
「ふっ、なんか健太らしいっていうか」
「いやだってさ、すごかったんだよ。みんなオシャレな制服着て授業受けててさ、校舎とか体育館とかめっちゃデカくて、なんなら学食とかまであるんだよ」
小五にしては思考がずいぶんと大人っぽい健太だが、こういうところはちゃんと小五なのだ。
「まあ確かに学食はすごい」
「そう、だからそれからは、あの学校入るために受験勉強頑張って、もしそれで落ちちゃっても今のみんなと同じ学校通えるんだからっ、て考えるようになった」
「あと、もし併願校ってなっても多分拓也んとこの東受けることになるからまた拓也と一緒かもだし? ……って別にこれ、煽ってるわけじゃないからな」
「ははははっ」
なんだか少し、体が軽くなった気がする。
「でもさ、そういう拓也も同じようなことで悩んでたんだろ? なんか最近表情固いっていうか、余裕のなさそうな顔してたから」
健太にはバレてたか……。
「でも今日みんなで集まって遊んでさ、久しぶりに健太が楽しそうに笑ってるとこ見て、ちょっと安心したよ」
「うん、今までちょっと考えすぎてたっていうか」
「あんま思い詰めんなよー」
「そーする」
「じゃーついでに俺からも一つ質問」
健太がそう言ってこちらを向く。健太の顔がニヤついた。
「拓也、由奈のこと好きなんだろ?」
──っ……‼︎
「はっ、はあ? なんで急にそんなこと」
「ははーん、その感じは図星ですな?」
「いや、だからなんでだよ!」
「否定はしない……と」
「うるさい!」
「いやー、ね、ちょっと前から思ってたんだよ。拓也、由奈と話すときだけはちょっと緊張してるような感じするし……他の人と話すときはそんなことないのに。あと、よく目で追ったり?」
──っ、そんなとこまで見られてたのか……ってか目で追う……? 俺そんなことやってたのか?
二台の自転車はT字路に差しかかろうとしていた。ここを左に曲がると俺の家、右へ曲がれば健太の家の方だ。
「それじゃ、またなー、拓也。俺は拓也を応援してるからなー!」
「うるさい!」
健太を乗せた自転車は滑らかに右へカーブすると颯爽と走り去っていった。
確かに、少し前から由奈と話すとき、変に意識してしまっていたのは事実だ……。
それから、あの時……健太と一緒に塾へ向かっている時……。
──由奈と中学でも一緒に勉強したり、部活をしたりしたいな。
──由奈とはなんだか離れたくないな。
確かに俺はそう思った。
でも、あの時は、疲れてるからそんなこと考えるんだ、って無かったことにした。
漠然とした、どこかモヤモヤとした、そんな感情……。
きっと心のどこかでは、その感情の正体に
とっくに気づいていたのかもしれない。
──由奈のことが好きだ……。
その日、俺ははっきりとそう思った。
いつから好きになったのかとか、なぜ好きになったのかとか、そんなことは俺にもわからない。人を好きになるのに理由はいらない、なんてよく言ったものだが、まあ大体そんな感じ……なのかも。
薄々そうかもとは思ってはいたのだが、一度このようなことを意識してしまうと、由奈と「フツーに話す」ということの難易度が跳ね上がる。
そして問題なのは、俺のこの気持ちが健太にバレているという点である。いや、あの時否定はした……否定はしたのだが、あの時の俺の反応を考えるに、あれはもう肯定したも同然である……。やっちまった、俺。
「おっ、うわ! よ、よぉ」
突然廊下なんかで由奈とすれ違ったりでもすれば、もう俺は不審者である。
「ははは、こっちがびっくりするじゃん、たっくん! もうー」
そう言って彼女は笑う。うん、ドン引かれてはいないようだ……。
あれ? 俺、今高校でも同じようなことになってないか……?
高一の俺が小五の時から全然変わってないなんてことはこの時の俺はまだ知らない。
こんな日々を送っているうちに、時は瞬く間に過ぎ去って、最終学年、六年の夏を迎えていた。
俺が六年でもマーチングクラブに入ったのは言うまでもない。
ここまで来て、今更他のクラブに入る気なんて起こらなかった。他のメンバーも大体そんな感じらしい。
──小学校、最後の夏。マーチング、最後の夏。そして、受験に向けての勝負の夏……。
今年の夏は今までになく特別な夏だ。
心の中ではちゃんとわかっている。この夏は由奈と学校生活を送れる最後の夏になるかも……ということも。
受験を放り出して、今のみんなと同じ中学へ行けば、由奈とも一緒に中学校生活を送れるだろう……でも、そんなの違う。わかっている。
同級生の中で誰よりも俺の受験を応援してくれているのもまた、由奈なのだ。
そんな由奈のためにも、俺はこの受験をしっかりやり切りたい──いつしか俺は、そう思うようになっていた。
由奈のために……か。受験を決めた小四の時の俺が聞いたら驚くに違いない。
秋になると、去年は残念な形で終わってしまったマーチングフェスティバルは今年は無事開催され、俺たちのマーチング生活も一区切りとなった。
マーチングが終わったとなれば、あとは受験に向けて突っ走るのみである。
つるかめ算や植木算にもずいぶん磨きがかかってきた。
この頃になると、受験が近づいてきているとあって塾の先生たちも今までに増して熱が入っていた。
健太とは教室が別になってしまうことも多かったが、お互い励まし合って来たる受験に備えた。
そして迎えた一月十日。試験当日。
併願校として東を受けることになっている健太とも一緒に試験を受ける。
「よ、おはよ」
「おはよ。ついに来ましたね。ま、リラックスしていきましょ」
「そうな」
トラブルに見舞われることなく、試験は無事終わった。手応えは……うん、ある。
合否は当日の夕方六時発表だ。心休まる暇もない。
まあもしここで落ちていたとしても、三日後に第二回の試験がある。気楽にいこう。
パソコンを開き、東のホームページに入る。
一八:〇〇ちょうど。緊張の瞬間。
結果は……合格‼︎
よっしゃあぁぁ‼︎
素直にめちゃくちゃ嬉しかった。塾には通ったが、自分の力で掴み取った合格だ……。
父さんと母さんも「よくやった!」「すごいじゃない!」と大喜びだった。
──だが、それは同時に、由奈との別れを決定づけた瞬間でもあった。
翌朝、教室に入るとクラスみんながすごい勢いで駆け寄ってくる。
みんなに受験のことを話した覚えはないのだが……冬くらいの時点でなんでかみんなは俺たちの受験のことを知っていた。なんでだ?
「「ね、どうだった? 受かってたん?」」
これでもし俺が落ちでもしてたらどうする気だよ……とは思ったが、結果を伝えるとみんな自分のことのように喜んでくれた。
「やったじゃん、すげぇー!」
「二人とも合格だー!」
健太ももちろん合格。お互いを祝福し合った。
ただ、健太は十日後に本命の試験を控えている。本人は気を抜けないところだろう。
小六でもクラスが別だった由奈だが、噂を聞きつけたのかすぐにこっちのクラスに駆けつけて来た。
「すごいよたっくん! やったね! おめでとうー」
この日、俺たち二人はまるでヒーローだった。
十日後、健太は第一志望の公立校の合格を果たした。なかなかの倍率だと聞いていたが……すごい。
「これで拓也とは違う学校か……そう考えるとちょっとさみしいな」
「そうだよな、あともう二ヶ月もないんだよな」
健太と冗談言い合って、笑い合えるのもあとほんの少し……。確かにちょっと、さみしいかもしれない。ちょっとだけ。
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