第3章 はじまる新しい日々
第6話
「──くやー……拓也ー、ご飯できたわよー」
母親の声が聞こえる。意識がだんだんはっきりしてくる。
いつもならスマホに設定したアラームで起きるのだが、今日はアラームが鳴った記憶がない……。
昨日はきっと疲れていたんだろう。初めての部活があって、由奈とのことがあって……由奈? そうだ、由奈だ! 昨日の夜、明日の朝一緒に学校へ行こうと話してたんだ。時間は……やべっ! スマホの画面には七:〇〇の表示。俺は慌てて布団から飛び起きて居間へ向かった。
「おはよう拓也、珍しいじゃない」
「ちょい寝坊した」
俺はテーブルに並んだトーストとハムエッグをかき込むように口に入れ、牛乳で流し込むと、歯を磨きに洗面所へ急ぐ。
「あら、忙しいわね。誰かと待ち合わせ?」
「うん、ちょっとね。駅で」
歯を磨きながら俺は答える。ちょっともなにもないのだが。
「へぇー、こっちから一緒に行くってことは最近仲良くなった子なの?」
「あー、うん、まあそんなとこ」
「ふーん」
今のところまだ由奈と再会したことは母さんには話していない。由奈のことは母さんもわかると思うが……覚えてれば。
「それで、その子は女の子なの?」
──ふぇ⁉︎
「な、なんで?」
「えー、だって拓也が誰かと待ち合わせって言ったって、相手が男子だったらそんな焦ったりしないでしょうに。遅れてもまあいっかって感じでしょ?」
よ、よくご存知で。
「ま、まあ……そうかもしれないけど」
「いいじゃない、拓也が女子と一緒に登校なんてー。拓也にもそんな時が来たのねー。私てっきり拓也は女子と話せないんじゃないかって心配してたわよ」
母さん一体俺をなんだと……? まあ今までずっと遊ぶのは男子ばかりだったし、東に来て以来女子との関わりは部活くらいでしかなかったのは確かだけど……。
「それで、どんな子なのー? その子は」
「いや、ちょっと時間ないから! 急ぐから!」
こんな時に「女の子の友達」の話で盛り上がっている場合ではないのだ。
急いで制服に袖を通す。この制服ももう四年目。着慣れたもんだ。
昨夜由奈と決めた集合時間は駅前に七時半。自転車をぶっ飛ばせばギリ間に合いそう、かな。
玄関の引き戸に手をかける。
「いってきまー……」
「拓也ー! お弁当ー!」
居間のほうから母さんが駆けてくる。
「あーやば、忘れてた! ありがと、いってきます」
「いってらっしゃーい」
母さんの顔はなんだかいつもより嬉しそうである。母さん絶対余計なこと考えてるよ……友達だよ、友達。
表に出ると少しだけひんやりとした春の朝の空気に包まれる。サドルにまたがると、自転車のスタンドを跳ね飛ばし、ペダルをガッと強く踏み込んだ。
由奈と登校するという初日から俺はなぜこんなに慌ただしいんだ……ていうか、待ち合わせもそうだけど電車乗り逃すとかしたらフツーにやばいな……。
もう一度確認しておくが、この路線の本数は一時間にたったの一本である。七時半過ぎに出る電車に乗れなかったらとりあえず遅刻は確定だ。
田んぼ道を一直線に漕ぐ。空は雲ひとつなく真っ青に澄み渡っている。
──ピーヒョロロロ……
トンビの鳴き声が大空に高らかに響く。俺は立ち漕ぎの体勢に入るとペダルを踏み込む足にグッと力を込めた。
駅に近づくと、見慣れた東のセーラー服を着た由奈が目に入った。
「すまんー! 遅れた!」
由奈はこちらに気づくとニコッと微笑んで手を振ってきた。
「遅いよー! 来ないんじゃないかってヒヤヒヤしちゃった」
「わるい! 完全に寝坊した。ちょい駐輪場停めてくる」
「はいはーい」
急いで駐輪場に自転車を滑り込ませると由奈のもとへ走る。なんとか間に合ったか……。
「おはよ! って、たっくんめっちゃ息切れしてんじゃん」
「はぁ、はぁ……疲れた。ガチ危なかった。間に合わなかったら終わるとこだったわ」
日頃からの運動は大事だなぁ。
「ははっ、たっくんも寝坊とかするんだねー」
「普段なら起きれるんだけどねぇ」
「そっかそっか。あっ、電車来ちゃうね、行こっか」
改札を通ってホームに出るとすぐに電車がやってきた。相変わらず車内は空いている。
「いやー、でもたっくんと一緒に行けてよかったよー。こっちから通ってる人ってホントにいないんだね」
「あ、あぁ、そうだな。俺が中等部いた頃なんて俺一人だったからな、こっちから通ってるの」
ボックス席の正面に座る由奈を前にして、またしても俺は緊張している。これで二日目なのだが。
改めて前に座る由奈を見ると、ほんとに可愛いなぁと思う。三年間見続けてきた東のセーラー服も由奈が着るとなんだか違う学校の制服のように見えてドキッとしてしまう。
ってか、由奈、さっき一緒に行けてよかったって言ったよな……?
それって俺と一緒に学校行けることを悪くは思ってないってことだよな……。
「──っくーん! ねぇー、ねぇってばー」
「おっ、おう」
「ははっ、もうたっくんすぐボケーってするんだから」
「あっ、あぁ、すまんすまん」
「ふふっ、かわいいなぁたっくんは」
「へ、へっ⁉︎」
「やー、なんかたっくん昔のまんまだなーって思ってさ。あっ、いい意味でね? たっくんがたっくんのままでよかったよ。しばらく会ってなかったじゃん? たっくん、めっちゃ変わっちゃってたりするんかなーって。でも安心した!」
「由奈も全然変わらずかっ……」
あっ、危ねえ。つい本心が出そうになった。由奈に直接可愛い、だなんて……。普段の俺ならこんなこと絶対口走ったりしないのに。
「えっ? か?」
「いやいや、なんでもないなんでもない。由奈も前と変わってなくてよかったなーって」
「ふふっ、ほんと? 小学校の頃の私、覚えてる? ……あーでもそっか、中学の頃もずーっと私のこと覚えてたって言ってたもんね、昨日」
「いや、まあそれは……いや覚えてるもんでしょ、小学校の友達は」
「えー、そうかなぁ。私は嬉しかったけどねー、たっくんがちゃんと覚えててくれてて」
な、なんだこれ……。もう俺が一方的に由奈のこと好きって言ってるみたいじゃないか。恥ずい、恥ずすぎる……。
次の駅、その次の駅、と電車が進んでいくごとに、車内にも東の生徒が三人、四人、と増えてきた。
「今乗ってきた子とか同級生ぽくない? 高入生の子かな」
由奈の目線の先には東のセーラー服を着た女子がいた。
「あー、確か一個下かな? 中等部の子だったような気がするけど……」
「気がするって、たっくん他の子に興味持たなすぎでしょー」
「えー、いやだって学年違うとあんまり関わりないし」
「せっかく同じ方面から通ってるんだから仲良くしたらいいのにー」
「まあねぇ。でも俺みたいのから話しかけられても怖いだけでしょ」
「そんなことないと思うけどなー……ま、いっか。今日からは私と行けるから、一緒に登校できる女子がたっくんにもできたってことだし」
「ま、まあ」
というか由奈、ずいぶん積極的な気が……気のせいか? いや、嬉しいんだけど、嬉しすぎるけど。そのせいでこっちは正常に会話ができない。
これって由奈も俺のことを悪くは思ってないってことでいいんだよな……って俺は何回同じようなこと考えてんだ。
駅に着いて電車を降り、学校までの数分の道のりを歩く。本当にたった数分の道のりなのだが、「女子と二人で歩く」というのが何とも恥ずかしく感じてしまう。周りには東の制服を着た生徒がたくさん歩いてるし。同じクラスのやついねーよな?
いや、別にいてもいい。ごくごくフツーのことだろ、女子と歩くことくらい。「男女でいること=付き合ってる」が必ずしも成立するわけじゃない。男女の友情だってあるのだ……でも、俺が由奈に抱いてる感情って友情だけじゃないんじゃ……。よくわかんなくなってきた。
校門をくぐる。目の前には噴水。
この学校、なぜか中庭だけは妙に凝って作られていて、立派な噴水と池がある。この部分だけ切り取ればなんかの学園青春ドラマに出てきてもおかしくない。ここから向かって左にあるのが俺たちの教室がある一号棟、向かって右が高入生の生徒たちの教室がある二号棟だ。
一貫生と高入生の間には何となく見えない壁というか、溝みたいなものがあるような感じで、よく教師たちは「一貫生、高入生関係なくみんなで仲良く交流しましょう」的なことを言ってるけど、絶対この校舎の造りが影響してるだろ、と思えてならない。
「ねー、たっくん今日も部活行く?」
「あ、うん、行くよ」
部活はサボらない主義なんでね。というか部活サボってやるぜ! みたいな人は絶対吹部ではやっていけないだろうと思う。いや、そんな人はそもそもどの部活でもやっていけないか。
「了解! じゃまた部活でね!」
「おう」
俺と由奈は、それぞれ別の棟の教室へと向かった。
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