御箱様

芦原瑞祥

御箱様の会合

「神事があるから帰ってこい」

 小さな神社の宮司である親父からの連絡で、新米神職の僕は奉職中の神社に休暇を願い出て、実家へ戻った。

 父は、神殿ではなく祖霊舎の棚を開け、小さな箱を取り出した。木製で装飾はなく、黒ずんだ色がかなり古いものであることを物語っている。

 親父は机の上に敷いた絹布にそれを置き、「御箱様だ」と言った。


 御箱様はうちの神社に代々伝わっているもので、毎年新嘗祭の翌日に、とある旅館へお連れすることになっている、と親父は語った。他にも御箱様を所持している神社や行者がいて、客間の一室に御箱様を置き、新米や煮物の膳を供えて一晩過ごさせるのだそうだ。


「うちにそんな神事があるって、今まで聞いたことなかったけど」

 僕が言うと、親父が首を振った。

「そりゃ言うわけない。御箱様の中身は絶対に見てはいかんのだ。子どもにそんな話したら、一も二もなく見るに決まってるだろうが」

 確かに、見るなと言われて見ない理性は、子どもの頃の僕にはなかっただろう。

「見たら、どうなるの?」

「死ぬな、たぶん」

 即答で返ってきた答えに、神社系の噂でよく聞く怖い話が、僕の頭の中を駆け巡った。

 掃除をしたら目が見えなくなる内陣、神事が終わるまでは口をきいてはいけないのにうっかり声をだして亡くなった神職、しきりに「誰かが呼んでいる」と言っていた巫女が「いま呼ばれた」と突然車道に飛び出て亡くなった話。

 オカルトっぽい話は、この界隈に普通に存在している。御箱様の話を子どもの頃に聞かなくてよかった、と僕は素直に思った。


 出発の前日から、僕と親父は四つ足動物の肉を避け、酒も飲まずに精進潔斎した。当日は朝から水で身体を清め、身につけるものは下着まで新品だ。御箱様に息がかからないよう、覆面という白い奉書紙に麻紐を通したマスク状のものをつける。

 親父が車を運転し、僕が助手席で絹布にくるんだ御箱様を持つ。本来はずっと捧げ持つのだが、足の上に杉板を敷き、その上に置くことは許されるらしい。

「御箱様を傾けるな。カーブで揺れないようにちゃんと持っていろよ」

 僕は慌てて、足を床と平行になるようにして、御箱様の側面に手を添える。

 そういや三種の神器も、見てはいけないんだっけ。剣爾動座のときに神器をお運びした侍従は、すごいプレッシャーだっただろうな。

 トイレ休憩のときは親父が御箱様を持ち、慎重に運転しながら、僕たちは山奥の旅館へと辿り着いた。


「お待ちしておりました」

 女将が離れの客間へと案内してくれる。僕は御箱様を捧げ持ちながら、親父とともに部屋に入った。中には僕たちのような神職が二組、笈を背負った行者が一人いた。

「そろいましたかな、では」

 ご高齢の神職が、机の上に置いていた自分の御箱様を捧げ持つ。薄紫に柄の入った袴をはいた階級の高い神職なので、この集団のリーダー格なのだろう。

 女将が襖を開けて、隣の部屋へと皆を先導する。親父が「ここからは代わろう」と言ってくれたので、僕は御箱様を捧げ持つ親父の後ろにつき、隣の部屋へと入った。


 畳の間は電気をつけずに蝋燭がいくつか点されていた。中央に、座布団とお膳が四人分。二人分ずつ向かい合わせに置いてある。親父と二人の神職と行者は、それぞれが持つ御箱様を、緞子の座布団の上にそっと置いた。お膳には、白米のご飯、汁物、煮物、徳利などが並んでいる。いわゆる御霊供膳のようなものだろうか。

 皆無言で、御箱様に一礼をして部屋を去っていく。僕も一礼してあとに続く。女将が部屋の襖を閉め、それから廊下に出てドアを閉じた。

 

 元いた部屋に戻ると、ようやく皆表情を崩した。

「いや、今年も無事にお連れすることができましたな」

「まずはお昼にしましょうか。皆さんも、朝から食べていないのでは?」

 緊張の糸が解けた一行は、女将に案内されて離れから本館へと移動し、食事用に用意された部屋で遅い昼食をとった。

「日向神社さんのところは、息子さんですか」

「ええ。今は別の神社で経験を積んで、いずれはあとを継いでもらおうと」

 僕は「ご挨拶が遅れました、よろしくお願いします」と一礼した。

「しっかりしたご子息で羨ましい。うちのは家を出て会社員になってしまいまして」

「私なぞ子ども自体がいないから、御箱様のことをどうしようかと」

 皆の話からすると、御箱様を引き継ぐのは血縁でなくてもよいが、きちんと敬意を持って扱うこと、決して中身を見ないことを厳守できる者でなくてはならない。中身を見ると、血の涙を流して罰を受けるそうだ。

 年に一度御箱様をここへお連れする理由は、正確には伝わっていない。が、行者の師僧が「あの四箱がひそひそと会話をするのを聞いた」と言っていたらしいので、何か神様会合のようなものをしているのかもしれない。

 緊張の糸が解けたのと、お腹がいっぱいになったのとで、僕は眠くなってしまった。

「ご子息は少し休まれた方がよいでしょう」

 行者さんにそう言われて、僕は部屋を出て、ロビーのソファに腰掛けた。急激な眠気にあらがえず、肘掛けに頭をもたせかけると、あっという間に眠りに落ちた。


 どこからか、ひそひそ声が聞こえる。

『今年もなんとか会えましたな』

『近ごろは少子化だし、そのうち連れてきてもらえなくなるかも』

『あれはアンタが、ぞんざいに扱ったら死ぬ、みたいな噂を吹き込んだせいでしょうが。うちのが怖がって、継がせるはずの息子が出て行っちゃったんだぞ』

『だって、箱がボロくなってきたからって、お菓子の空き缶に入れ替えようとしてたから、つい』

『あー、金属は冷たいから嫌だよね。やっぱ木だわ』

『冷たい以前に、空き缶ってどうよ』

 気の置けない仲間同士の雑談、といった雰囲気だ。が、もしかしてこれは。

『わしらの声を聞ける奴も、今の面子にはいないからなぁ。お前んとこの行者、もうちょい修行させろよ。腐っても行者だろ?』

『こればっかりは相性もあるんだから、うちのを責めんでくれ』

『あの初参加の若い奴はどうだ?』

 複数の視線が、僕へと向けられるのを感じる。

『もし聞こえてるなら、ずっと言いたかったことがあるんだ。……もう令和なんだから、もうちょっとハイカラな飯を出してくれ! 煮物はもう飽きたぞ!』

『だよなぁ。お供え物ってなんで保守なんだろ』

『どこぞの神職が、お供えは自分が食べておいしいものがよかろうと、マンゴーやファミチキにしたらしいぞ』

『ファミチキ! ええのう、食べたいのう』

 僕は、四つの声が耳元で延々と「ファミチキ、ファミチキ」と唱え続ける夢にうなされる羽目になった。


 目が覚めた僕は、親父に車のキーを借りて、一番近いファミマまでファミチキを買いに行った。そして、御箱様のいる部屋にそっとお供えしたのだった。


 旅館に一泊して、僕たちは御箱様を連れ帰るために離れへと向かった。失礼があれば命に関わると緊張した面持ちの人たちに向かって、僕はおそるおそる言った。

「あのー、御箱様は皆さんが思っているほど怖くはないようです」

 僕は、夢の中で御箱様から聞いた話を伝えた。

「来年は長雨で稲の実りが悪いので注意せよ。○○山地で土砂崩れが起こるから雨の後は近寄らないように。火山の噴火が――」

 御箱様は、未来を占うために作られたのだろう。恐らくは生贄的な形で。けれども長い年月を経るうちに恨みのようなものは抜け、仲間同士で語らう年に一度の日を楽しみにするようになった。対して、予知をさせていた側がその声を聞けなくなってしまい、意味もわからず怯えながら年に一度集まっていたのだ。

 もう予知なんかさせなくてもいいのだろうけれども、今回は皆に御箱様の言うことを信じてもらうためだ。そして僕は、御箱様たちから託されたメッセージを伝える。


「来年のご飯は、ファミチキがいいそうです」

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御箱様 芦原瑞祥 @zuishou

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