少女戦士アクアマリンの箱庭

市野花音

第1話

 「ただいま〜」

 「おかえり朱音あかね

 黒崎くろさき朱音が家に帰ってくると、リビングから歌川うたがわかなでの声と水の音が聞こえた。

 すりガラスのドアを開けてリビングに入ると、テーブルの近くに置かれた大きな水槽が否応なしに目に入る。

 水槽の中には人魚がおり、人魚は魚の鱗とひれがついた尾の形の下半身が水に浸かり、人間の形をした上半身が水から出ていた。

 この人魚の名前は歌川奏。朱音の同僚で友人の少女だ。

 「何見てるの?」

 「えへへ、これこれ」

 奏が差し出してきたスマホには、エメラルド色の海の写真が映し出されている。

 「故郷を偲んでたのか」

 「……いや、それは沖縄の海だから。私は日本海の出身なんだよ」

 「え、ここから割と遠いね」

 「そう、だから声が全然聞こえなくて……」

 「声?」

 「うん、人魚には人魚にしか聞こえない周波数で会話できてね、広い海でも伝えられる伝わりやすい音なんだけど、やっぱり陸な上に距離がネックで……」

 「そんな鯨みたいな能力持ってんだぬ人魚って。たしかに、奏は歌の泡の能力持ってるもんね。音系の能力が高いのか。でも残念届かないの残念だね。手紙とか出せたりするの?海の中のポストって聞いたことあるけど」

 「それ和歌山と静岡と沖縄にしか無いよ……。っていうか、そんな人間が頻繁にくるところに人魚は行かないよ。手紙はね、泡を生み出して伝えることもできるの」

 そう前置きしてから奏は唇を開き、歌を紡いだ。美しい旋律の歌は澄んだ虹色の泡となって空気注を漂う。

「こうやって、イメージのメッセージを込めた泡を飛ばして伝書を作るの。でも強度があんまり強くなくて鳥とかに突かれて割れちゃうから、長距離だとちゃんと届かないんだよね」

 「頼りない手紙……」

 「だよねぇ、みんなスマホ持ってくれたら楽なんだけど……」

 ふわりふわり、彷徨っていた泡は朱音にぶつかると、朱音の脳裏に段ボールの箱のイメージが現れた。

 「私が出れないから宅配便置き配してもらってたんだけど、気付かなかった?」

 「……ごめん、ぼーっとしてた」

 「学校で何かあった?」

 人魚である奏と違って人間である朱音は学校に通っており、今帰ってきたところだった。

 「いや、なんでもないよ。ちょっと考え事してたの。ごめん、今とってくる」

 「ありがと」

 朱音が玄関に向かおうとしたところで、鍵が開く音がして扉が開かれた。

 「ただいま帰りました。荷物届いていましたよ」

 白い髪と瞳と眼、そしてワンピースまで白い白雪の少女が、段ボール箱を持って立っていた。

 「おかえりなさい!」

 「おかえり、ありがとう恵」 

 「はい、買い出し行ってきましたよ。プリン買ってきました」

 朱音と奏の友人であり同僚であり、一週間前に同居人にもなった天野恵はダイニングテーブルに段ボール箱を置くと緑色のエコバッグを掲げた。

 「いやそうじゃなくて、あたしが箱取り忘れちゃって……」

 「それくらい気にしなくていいですよ。これ、朱音さん宛ですが、『久留米くるめ蘇芳すおう』って誰ですか?」

 「……え?」

 あかねは慌てて宛名を確認した。

 「いや、知らない人……」

「えぇ、もしかして『影月』とかじゃ無いよね……?」

 歌川奏、黒崎朱音、天野恵の三人は、実は「影月」という地球を侵略しようとする敵と戦う少女戦士であり、影月に対抗しようとする神から変身の力を授かった救世主の乙女たちなのだ。

 故に奏は警戒したのだが。

「いや、これママからかも……」

 「え、朱音のお母さん?」

 「うん、宛名には住所が書いてないけど消印の郵便局が実家の最寄りだよ」

 「「……ん?」」

 現代日本の郵便システムをよく理解していない奏と恵が首を傾げた。

 「とにかく、ママだと思う。あの人いたずら好きなんだよ……」

 すこしうんざりしたように朱音が言う。

 「へぇ、じゃあ開けてもいいかなあ?」

 奏が安心したように手を叩く。一緒に水をかき分ける音もする。

 「いや待って、さっきも言ったけどママは、いたずら好きなのよ。その上魔女なの」

 朱音の正体はただの人間だが、その立場は少々特殊だ。母親は優秀な魔女なのだが、朱音は魔法が使えなかった。

 「何か仕掛けてあるかも」

 「えぇ……」

 娘への贈り物にそんなことするの?と奏の顔には書いてあった。

 「そういう人なの。二人とも、箱の中身透視できたりしない?あたしは変身しないと魔法使えないし……」

 朱音は生まれつき魔法が使えなかったが、神から賜った変身能力により魔法使いになり魔法が使えるようになった魔法少女だった。しかし変身には時間と回数の制限があるため敵が来ていない時は変身しないことになっているのだ。

 朱音は変身しないと魔法が使えないが、奏は人魚であるため、恵も神に仕える天使であるため、変身しなくても能力が使える。

 「無理です。お役に立てずすみません……」

 「いや良いんだよ」

 「ごめん、私も役に立てそうな術は……」

 そこまで考えて、奏はあることを思いついた。

 「前にさ、澪お姉ちゃんが目覚めの歌を歌ってたの覚えてる?」

 「勿論」

 「はい……」

 朱音は快活に、恵は気まずそうに答える。

歌川澪は奏の二番目の姉であり、目覚めの歌の名手である気のいい人魚だ。

 朱音と恵は彼女とは以前会話したことがあるのだが、その時恵がやらかしてしまったので気まずげなのである。

 「目覚めの歌の一種にね、物を開ける歌があるのんだけど、この前習っておいた方がいいかなあと思って澪お姉ちゃんに教わっていたからその術が使えるんだ。透視じゃないけど物を保護しながら優しく開ける術なんだけど、どう思う……?」

 「……それ、使ってもらえる?」

 「私も同意見です。よろしくお願いします」

朱音は不安さと申し訳なさを混じらせて、恵はまだ気まずそうに言った。

段ボールの箱を水槽前のリビングのテープリハに移動させると、朱音は恵を下がらせ、奏にも「歌が終わったらなるべく箱から離れて」と忠告した。爆弾処理かと奏は思った。

 「じゃあ、始めるね」

 奏がそう呼びかけると、緊張した面持ちの朱音が重々しく頷き、恵がごくりと唾を飲んだ。

 「〜ーー」

 人魚の歌は惑いの歌。何度聞いても聞き惚れる。紡ぐ歌によって編まれた泡がふわふわと空気を彷徨った後、段ボール箱に吸い込まれた。

頑丈なガムテープが柔らかく溶け、箱の蓋がゆっくりと開いた。

 何も起きない。

 緊張しながら朱音、奏、恵は箱の中を除き。

一様に脱力した。

 箱に入っていたのは危ない物ではない。

 しかし娘への荷物として適切なのかもわからなかった。

 箱に入っていたのは、いっぱいのドラゴンフルーツであった。

 「朱音さん、あなたの母君って、なんか、少しアレですね」

 「変なのじゃなくてよかったね、私インターネットでドラゴンフルーツ使ったスイーツのレシピ検索するからさ、できたら食べてくれ、……朱音?」

 朱音が黙ったままなことをおかしく思った奏が朱音の方を見ると、朱音は床を見つめていた。

 「ごめんね、ただ騒いで迷惑かけちゃって」

 「迷惑じゃないよ。迷惑だったとしてもそれは朱音のせいじゃない」

「そうですよ、何を気に止むことがありますか。警戒することは少女戦士として間違っていません」

 「……でもあたしの早とちりだったし……」

 「……あのさ、朱音。私は正直、朱音がちょっと大袈裟だなって思って……。いつもさ、朱音はお母さんのことを話す時、そんなに嫌そうじゃないのに、お母さんが送ってくれた物、そんなに警戒するかなって……。やっぱり、なにか、あったの……?」

 喋りながら、奏はこんなことを聞いていいのかわからなかった。こんなに、まだ出会って間もない自分が、踏み込んでいいのだろうか。

 「……あの、私が聞いていけないから、私、ちょっと外出ます……。でも、聞いてもいいのなら、ここに居たい、です」

 朱音は黙っていたが、やがて顔を上げた。その顔は、辛そうだった。

 「……………いや、そんな大袈裟なことじゃないんだよ。ちょっと学校でさ、うまく行かないことがあって。ママのこと、思い出してたてて。ママが魔女なのにあたしは魔法使えないから、嫌な思いすることが多かったの。ママはずっとあたしの味方で居てくれたんだけど、ママのせいでこんな目に遭ってるんだって、思ったことが何回かあって。その時のこと思い出したら、怖くて、ピリピリしちゃって、箱に八つ当たりしちゃった」

 「……そっか、話してくれてありがとう」

 「ありがとうございます」

 奏と恵は静かにいった。

 「私朱音のこと大切な友達だと思ってるよ」

 「……え」

 唐突に宣言した奏に朱音は呆気に取られた。

 「私は朱音さんのことを頼りになる同僚だと思っています」

 「……おぉ、ありがとう……?」

 加わった恵の宣言に、朱音はさらに戸惑う。

 「私は少女戦士を引退するまで朱音と一蓮托生で共にいるつもりで、引退しても、友達でいたい」

 「……んん、ありがとう……」

 朱音は少し恥ずかしくなってきた。

 「朱音さんが引退したら掃除をしてくれるととても助かるので、是非神様の家政婦になっていただきたいです」

 「いきなり勧誘された……」

 朱音の戸惑いは深まっていく。

 「ええと、上手くまとまらないんだけど……。……私、朱音のこと大切にする!」

 「いやプロポーズ!?」

あかねがすごい勢いで突っ込んだ。

 「少しは頼ってくださいね。私にできないことは神様にやらせますから」

 「さっきから思ってたんだけど恵の神様への扱い雑じゃない?」

 本当に仕えているのか疑問に思う。

 「……ええ……、うん、よくわかんない」

 疑問だらけだ。わからない言動が多すぎる。

 あとなんでドラゴンフルーツが送られてきたのかもわからない。

 それでも。

 「ありがとう、二人とも」

 二人がとても自分を大切にしてくれているのは、よく分かった。

 そういうと、二人はふんわりと微笑んだ。

 言葉で伝わらなかったから、顔で伝えようとしたのだろう。

 いや、大切なことは伝わったのだが。

 「ところで、なんで朱音さんの母君は偽名を使ったのですか?」

 そう言えば母君の名前知らないなと思いながら恵が聞くと。

 「ああ、名前がわかると魔女って簡単に呪い呪われちゃうからなんだって」

 「「……え」」

 一気に怖くなった奏と恵であった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

少女戦士アクアマリンの箱庭 市野花音 @yuuzirou

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ