ココロ箱

koumoto

ココロ箱

 縦・橫・高さが七センチの立方体。これがわたしのココロである。日々の出来事の宛先である。いつも持ち歩く連れ合いである。


 ココロはみんな、生まれたときにひとつだけもらえる。小ぶりで透明な箱である。沈黙と無表情をたたえた赤ん坊が、両手もろてで箱を掲げ、そっと耳をくっつける。貝殻から聞こえる波の音のように、遠くの部屋のざわめきのように、箱の中から自分の泣き声と笑い声が聞こえる。感情の誕生。自分が出すことのない自分の声が、箱の中から聞こえても、赤ん坊は驚かない。驚きは箱の中で生成される。箱の中身はココロと呼ばれ、箱そのものもココロと呼ばれる。


 箱の上面には、貯金箱と同じような細い穴が空いている。貯金箱同様に、お金を入れることもできるが、大抵の人は手紙を入れる。小さな紙に、自分に起きた出来事を書いて、綺麗に折り畳んで、箱に入れる。あとはココロの仕事である。どれだけお金や手紙を入れても、箱の中身があふれたりはしない。箱が満杯になったりはしない。ココロは海よりも深く広いから。宇宙のように膨張しているから。


 たとえば、今日のわたしの手紙。

 ①起きて、歯を磨いた。

 ②顔を洗った。

 ③朝食を食べた。

 ④天井を見た。

 ⑤服を着替えた。

 ⑥外に出た。

 ⑦空を見た。

 ⑧バスに乗った。

 ⑨人に会った。

 ⑩挨拶した。

 ⑪労働した。

 ⑫昼食を食べた。

 などなど。手紙は簡素なメモのようでもいいし、詳細な報告のようでもいい。一日に何通出してもかまわない。一時間おきに出す人もいるし、眠る前に一通だけ出す人もいる。まったく出さない人もいる。それでも別にいい。手紙を出さなくても、ココロはすべて知っていて、いつでもふさわしく動いている。ココロは働き者なのである。箱の外からはわからなくても。


 箱を失くした人もいるし、箱を棄ててしまう人もいる。小さな箱であるから、うっかりどこかに置き忘れてしまうのかもしれない。棄てる人に関しては、たとえば地下鉄に乗るときに見かけたことがある。電車が来るのを見計らって、線路にぽいと箱を投げ捨てたのである。ぱりんっ、と粉々に砕ける音がした。ココロはとても脆いのである。箱を棄てた人は、それを無表情に眺めていた。駅に立ち並ぶ、ココロを抱えた他の人々と同様に。


 それを見た日のわたしの手紙。

 ①駅で箱を捨てる人がいた。

 ②箱は轢かれて砕けた。

 ③箱を捨てた人は無表情だった。

 ④箱を持った人も無表情だった。

 ⑤箱を持ったわたしも無表情だった。

 ⑥箱の残骸を片づける駅員さんも無表情だった。

 などなど。


 箱は生まれたときにもらえるひとつきりなので、新しい箱は貰えない。箱を失くしたり棄ててしまった人は、ココロのないまま生きるのだ。その違いは外から見てもわからない。箱を持っていない、ということはわかるが、それだけしかわからない。箱の中身のようにわからない。手紙を書く手間が省けただけかもしれない。


 箱の中身は、観測者が開けてみるまで決定されない、と言った人もいる。シュレディンガーという人だ。本当は、もっと難しい議論らしい。箱の中の猫がどうとか言ったらしい。生きている状態と死んでいる状態が重なり合ってなんとやらとか。猫と同じように、ココロも生きているのか死んでいるのか、開けてみないとわからない。でも、ココロが開くことはない。人が死んでも、ココロは開かない。


 わたしの祖父は死んで、遺体は焼かれ、箱が残った。祖父のココロは、縦・橫・高さが七センチの立方体である。いまでも家の棚に置いてある。箱を失くしもせず棄てもせずに死ぬと、幸福な一生と言われるらしい。現代では珍しいのだとか。というわけで、祖父は幸福な一生だったらしい。それについて、わたしがどう思いどう感じるのか、わたしは知らない。わたしのココロは知っている。箱の外側のわたしにはわからない。


 箱を自分で葬ることができず、無様に残したままこの世を去るのは、不幸な一生だと言った人もいる。だれなのかは忘れた。シュレディンガーではない。でも、言っていることはシュレディンガーのあれみたいなものだ。箱を開けてみるまで、幸福か不幸かはわからない。だが、箱が開くことはない。その中身はわからない。


 箱を開き、その中身を知ることができる者がいるとすれば、それは何者なのだろうか。


 電車に轢かれて砕けた箱は、空っぽだった。開くことと、破壊することは違う。壊してしまっても、箱の中身はわからない。なにもない、という結果に辿り着くだけだ。箱を砕いた者自身が。


 わたしはときどき、箱を砕いてみたくなる。


 箱を砕くのではなく、海に流す人もいる。手紙を入れて、船から投げ捨てるのだ。海よりも深く広いココロを、ココロよりも浅く狭い海に託したのだ。でも、海はココロよりも青い。その色彩が箱を誘うのだ。生まれたときにココロを貰い、小さな箱に顔を近づけ、そっと耳を澄ませた。貝殻から聞こえる波の音のように、自分のココロがかすかに聞こえた。それは、見たことのない海のように優しく青かった。この世のどこにもない海のように。


 お金持ちの人たちの中には、ロケットに箱を詰め込んで、宇宙にココロを射出する人もいる。銀河の彼方のどこかのだれかに、箱を開くのを任せたのだ。


 わたしはお金持ちではないから、海に流すことを選んだ。わたしの箱を拾って、わたしの箱を開いて、その中の手紙を読んでくれるのは、わたしの知らないどこかのだれかかもしれないし、未来のわたし自身かもしれない。だれにも読まれずに朽ちるだけかもしれない。


 この手紙を読んでいるあなた。わたしの箱を、拾ってくれましたか? わたしのココロを、開いてくれましたか? その中身は、どんなかたちで、どんな色をしていましたか? これを読んでいるあなたに、ココロはあるのでしょうか?

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