世間の知らない住宅内見

透々実生

サトーさんとタイナカさん

「あっ、こんにちはー」

 東京都●●市。

 閑静な郊外に佇む新築一軒家の前で待っていると、声をかけてきた男性が1人。

 多分、彼が。

「タイナカさん、ですか?」

「はい、タイナカですー。とすると、貴方が」

「ええ。佐藤です」

「サトーさん! よろしくお願いしますね〜」

 にこりと微笑む。人懐こい笑顔だ。

 私もなんとか笑顔で応える。

「よろしくお願いします。早速案内しますね」

 足早にならないように歩きながら、鍵を開けてドアを開く。中に閉じ込められた新鮮な匂いがふわりと鼻腔をくすぐる。

「ん〜。新築の匂いは良いものですね。これまで内見した所はどこもかしこも古い家だったもので」

「そう、なんですね」

 一体、何軒の家に立ち入ったことがあるのだろう。そんな疑問を抱きながら中へと招き入れる。それから扉を閉めた。

 この場面を夫に見られる訳にはいかない。絶対に。今日彼は日帰り出張中だが、念の為。こういう油断からバレてしまうこともままあるのだ。

「では、早速案内しますね」

 タイナカさんは頷く。それを確認してまず1階の紹介だ。

「まず、すぐ左にある扉はトイレです。少し行って右にある階段で2階へ。突き当たりの扉はリビングとキッチンに通じてます」

「ふむふむ。あ、写真は撮っても?」

「どうぞ」

 私は撮影の邪魔にならない様に退く。傍でタイナカさんはパシャ、とスマホで写真を撮った。後で参考にする為だろう。

「しかし、良い家ですね〜。靴箱も広いし! 僕、靴が好きなんですけど、すぐ玄関に溢れかえっちゃって」

「それは……大変そうですね」

 靴、好きなんだ。

 それとなく足元を見る。靴には疎いので分からないが、きっと良い靴なのだろう。

「コールハーンですよ」タイナカさんが言った。ジロジロ見すぎたか。「知ってます? ナイキの傘下に入った会社なんですけどね、ハイヒールとかローファーとかも作ってるアメリカのブランドなんです。結構落ち着きある色が多くて。ほら、これも焦茶みたいな色してるでしょ? フォーマルにも、少しカジュアルめな服にも合うのでとっても良いんです。こう、何にでも馴染むって言うんですかね。こういうファッション好きなんですよ、僕」

「そうなんですね……靴は疎くて、知りませんでした」

「良いですよ。こうして今知ってくれたんですし。こちらこそすみませんね、少しでも興味持ってくれたのを感じて喋りすぎちゃいました」

 えへへ、と微笑むタイナカさん。めっちゃ良い人だな、と思う。

 夫とは大違いだ。

 ……まあ、人の本性なんて、長く付き合ってみないと分からないのだけど。

 私の夫だって最初は――

「サトーさん、上がっても良いですか?」

 はっ、と顔を上げる。

「あ、すみません。どうぞ」

「では、遠慮なく」

 にこりと微笑んで靴を脱ぎ、きちんと揃えて置きながら、「あ」と声を出す。

「靴べらってありますか?」

「あります」

「流石! しかし、内見行った所はどこも靴べらがあって良いですよね。ちゃんと配慮が行き届いてます」

 そんな会話をしながら、次々案内する。

 トイレ。ここは特になんの変哲もないので、数秒眺めて、「ウォシュレットなんですね〜、良いなあ」とタイナカさんが呟くだけだった。

 次にキッチンとリビング。廊下の扉を開けると左手すぐにキッチンがあり、その向こう側にダイニングスペースがある。テーブルがどしりとダイニングスペースに構えられ、向かい合う様に椅子が設置してある。どちらも綺麗に掃除されてあった。そのダイニングの横はリビングで、ソファとテーブル、そしてテレビが置かれている。リビングとダイニングの壁にある窓も、開放的でかなり大きい。夜にはカーテンを閉めるので中は見えなくなるが、昼には目一杯の日差しを取り込むことが可能だ。

 2人暮らしの部屋としては理想的だ。

 ……本当に。

 但し、共に暮らす人が理想的でないと何にもならない、とも思う。

 そんな部屋をタイナカさんは、写真を撮りながらあちこち見回る。壁を叩いてみたり、天井を見たり、テレビの裏を見たり、「開けてもいいですか?」と聞いてからキッチン棚の扉を開けたり。

「……ふむふむ」

 随分念入りに見ているな。

 まあ、それはそうだろう。

 と、「あの、サトーさん。これは?」と指をさす。リビングの中にある、廊下に通じるのとは別の扉。

「それは物置です」私は答える。「小さいんですけど、幾らかモノを置くことができまして」

 扉を開ける。当然中には何も入っていない。そしてその物置の中にも、さらに扉がある。

「それで、この中にある扉は、車庫に通じています。開ければ車の後部に面する様な具合です」

「完璧じゃないですか!」

 タイナカさんはこの作りを甚く気に入った様だ。

 この時も彼は笑顔だったが、今度は流石にゾクっとした。

「サトーさん。もうここは大丈夫です。2階を見ても?」

 時計を確認する。まだ余裕はあるが、早く終わらせなくては。

「……はい」

 タイナカさんを後ろに従えるように階段を上る。10数段上ると踊り場だ。ここで左右に道が分かれ、右に行くと脱衣所と風呂場、左に行くと更に数段の階段があって、扉が4つ見える。内訳は、部屋が3つとトイレが1つ。ということで、この踊り場はいわば1.5階みたいな扱いだ。

「風呂場、見ても良いですか?」

「どうぞ」

 避けて道を譲ると、タイナカさんは風呂場に入っていく。

「成程、窓は付いてるんですね」シャッター音を響かせながらタイナカさんは言う。風呂場だからか、若干声が反響している。「でも、これだけ高い場所なら、覗き見られることもないですね〜」

 確かに外から見られる可能性は低い。ドローンでも使わない限りは、何をしているかは分かりようがないだろう。

「で、そこの小さい階段を上がると、2階なんですね」

「ええ」

 そして本当の2階へ。トイレはさておき、3つの部屋を案内する。

 この内、階段に最も近い1つは小さい部屋で、頑張れば机と椅子と棚が1つは置けそうなくらいの広さしかない。ここは恐らく物置になるだろう、と軽く流す。

 次に案内するのは、トイレに1番近い部屋。

「タイナカさん。ここが、




――になる予定の場所です」


「ふむふむ。あ、中には入りませんよ。プライベートな空間になるでしょうから」

 ……その配慮は大分助かる。まあ、どうせ今は何も置かれてないのだけれど。

 しかし、私の部屋などはどうでも良い。だ。

「隣がです」

「ふむふむ」

 タイナカさんは夫の部屋に入る。また壁を叩いたり天井を見たりしてから、部屋の外に出る。そこから風呂場の出入り口を遠くから眺め、それから更に視線を下――リビングに続く階段へと移す。

 何度か視線を行き来させ、確認してから、「よし」と言う。

「サトーさん」

「はい」

です」

 タイナカさんは笑顔を浮かべる。

 今度こそ明確に、私は恐怖を感じた。

 靴の大好きな笑顔の可愛い若い男性、というイメージが全くの虚飾であると見せつけるに足る、目の笑ってない笑顔。

 本当。

 人の本性なんて、長く付き合ってみないと分からない。

 数分かけて作り上げたイメージなんて、一瞬で崩れ去ってしまう。

「請けましょう。それに当たって、サトーさんにもやって貰いたいことがあります」

 そう言ってタイナカさんは、1つ指を立てる。

「1つ。透明なテープか何かを、1階の窓のどこかに貼っておいて下さい。あ、当然外から、ですよ?」

 頷く。恐怖は増すが、受け入れるしかない。

 彼に――タイナカさんに。いや、に依頼したのは、私だ。

「2つ」そう言ってタイナカさんは、ズボンのポケットから小さいプラスチックの袋を取り出す。中には、少量の白い粉。

「これでも下さい。

 あ、大丈夫ですよ。アブナイ薬じゃないので。

 にこりと微笑む。全然安心できないが、おっかなびっくり袋を受け取る。

 平穏な生活を得る為だ。平穏な生活を得る為。平穏な生活。平穏。

 自己暗示をかける様に、何度も自身の心に言い聞かせる。

「で、最後。3つ目ですね」

 タイナカさんは、3本目の指を立てる。

「夜は、ぐっすり寝てて下さい。絶対に寝てて下さいね。心配せずとも、起きた時には、から」

 ……そう、眠っている間に全てが行われる。

 夫の寝室。

 風呂場。

 そして1階リビングの、車の後部――トランクに通ずる物置。

 私はもう、頷くことしかできなかった。


***


 ――2週間後。

 新聞記事より抜粋。


『山林にバラバラ死体 捜索願の出た男性か


 昨日、東京都●●市の山林にて発見されたバラバラ死体について、警察が調査したところ、DNA鑑定から捜索願の出ていた会社員、佐藤凡蔵はんぞうさん(34)のものと判明した。妻である女性から2週間前に捜索願が出ており、行方を追っていたところ、今回山林にて発見された。警察は殺人事件として、経緯を調査する見込みである――』


 妻である佐藤さんは、元気を少しばかり失いながらも、犯人が捕まることを祈りつつ、ちゃんと生きているそうだ。

 それが、あの住宅内見について何も知らない世間から見た、彼女の印象であり評価である。

 だが、忘れてはならない。

 人の本性なんて、長く付き合ってみないと分からない――と。

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