入鉄砲に出女 ~お龍vs土方歳三~

諏訪野 滋

入鉄砲に出女 ~お龍vs土方歳三~

 嘉永かえい六年(一八五三年)の黒船来航を機に、国内は尊王派、攘夷じょうい派、佐幕派など様々な派閥が入り乱れ、さながら戦国時代のような魑魅ちみ魍魎もうりょうとした世相を現出させていた。長州藩と薩摩藩の台頭、それに反発する幕臣たち、その間を奇怪に立ち回る公家諸侯。お互いがにらみ合いながら来るべき武力衝突に備え軍備を増強し、一触即発の気配が濃厚となってきた、時は慶応けいおう元年(一八六五年)――


 東海道は江戸の日本橋と京の三条大橋とを結ぶ五十三次の長い街道であり、幾条もの河川や箱根はこね峠が交通の難所となっている。これらは江戸と京を行きかう商人や参勤交代を行う武士たちにとっては確かに厄介なものであったが、その反面、軍事的には天然の要害となって、大軍を動かすことを困難にもしていた。そしてさらには、数々の関所が厳しい詮議せんぎで人と武器の流れに目を光らせており、人々はその物々しさに戦乱の予感を敏感にかぎ取りながら、肩を縮こまらせて関所の門をくぐるのであった。




 新居あらい関の番人は大きなあくびをかみ殺すと、おや、と街道の先を見やった。曲がった山道から不意に湧き出てきたような、派手ないでたちの旅座の一行がこちらに向かってきていた。とりわけ一行の先陣を切っているのは女であろうか、手に持ったでんでん太鼓を振り回しながら、ちんちん、どんどん、とゆっくりと大門の方へと歩いて来る。やがて木戸口の手前で立ち止まった女は、番人に丁寧に会釈した。


「お勤め、まことにご苦労様で御座います。旅の一座、京から江戸に参っております」


 女は手形を番人に差し出しながら、つややかに笑った。

 美しい女だった。二十歳はとうに越えているのであろうが、それよりはるかに若い生娘きむすめの無邪気さと、そしてはるかに老獪ろうかいな熟女のなまめかしさとを同時に備えていた。

 自分が気圧けおされていることに内心動揺しながらも、番人は胸を張って詰問した。


「江戸は、どちらへ行くつもりおつもりか。相手方への紹介状があるのなら、それも見せてもらいたいが」


 女はころころと笑うと、しなを作りながら番人を見た。


「あら、行く先の当てなどありはしません。最近の京は物騒な人斬りさんが多くて、私らみたいな一座も商売あがったりで。そこでみんなで相談しまして、将軍様のおひざ元なら安心して興行ができるだろうと、こうして下ってきた次第で」


 そう言うと女は番人のふところに、ずしりと重いきんちゃく袋を素早く滑り込ませた。


「これで、今夜はおいしいうなぎでも食べておくれやし。そうそう、他の皆様方もご一緒に」


 番人は一瞬ぎょっとしたが、慌ただしく周囲に目を配ると、誰にも見つからないように袋をさらに深く押し込んだ。


「そ、そういうことならば、これはそれがしが預かっておこう。だが、そちらの長持ながもちの中は改めないわけにはいかんが」


 番人は一座の人足たちが運んできた大小さまざまな木箱の方へ顎をしゃくって、それらを開けるように促した。恐らくは興行の時に使う幕や屋台の骨組み、それに道中で使う様々な雑貨などが入っているのだろうが、それにしてはやたらと重そうなのが、番人は最前から気になっていた。しかもそれが十余も連なっていれば、不信の念に誘われるのも無理からぬことである。

 そちらへと足を踏み出しかけた番人に、きらりと目を光らせた女が、さらに重い袋を二包み、その手に無理やりに握らせた。


「いやですねえ。私のような年増女の下着など見たところで、お役人様のお気を悪くさせるだけでございますよ。ここはひとつ、これでお目こぼしくださいませ」


 そして袋を覆い隠すようにその上に伊勢神宮のお札を重ねた女は、何事もなかったかのようににこりと笑った。賄賂わいろに霊験あらたかなお札のおまけまでつけられた番人は、わずかに考える素振そぶりをみせたが、やがて大きな咳ばらいを一つすると、門のそばにあるやぐらの上に声をかけた。


「この者たち、問題なし。開門せよ!」


 女は深々と頭を下げると一行を手招きして、大きく開かれた関所の門を、長持の箱の列と共にゆるゆるとくぐりり抜けていった。




かつ様、お久しゅうございます」


「おいおい。あんた独りで京からはるばる来たってのかい、おりょうさん」


 勝海舟かいしゅうは、目の前に折り目正しく正座している女をあきれたように見やった。


 勝は、幕府の弱腰と姑息な日和見主義を批判したかどで昨年に軍艦奉行を罷免ひめんされ、現在は私邸に蟄居ちっきょしている身である。だが本人はそれを特に気にかける風もなく、書物を抱え込んで悠々自適な生活を送っているように、周囲の者には見えた。


 お龍、と呼ばれた女は、苦笑しながら頭を小さく下げた。


「うちの人は江戸は嫌いだそうで、京よりこちら側には寄り付きたくないのだと。勝様には一度きちんとした挨拶をしないといけませんよ、と常々言っているのですけれどね」


 勝は手に持った扇子をぴしゃりと閉じると、白い歯を見せて笑いながら何度もうなずいた。


「そうかい、まあ龍馬りょうまらしいやね。それになんだかんだ言って、時代はもう上方よりはるか西方、長州と薩摩の動向次第ってやつだからな。江戸に来たところで、奴は退屈するだけだろうよ」


 お龍は小首をかしげて、白く細い指を形の良い顎に当てた。


「あら。そんな安房守あわのかみ様は、こちらでご精勤なされているのに」


 勝は渋い顔をした。堅苦しい肩書きでわざわざ自分を呼ぶことで、この女は馬鹿正直に将軍家に義理立てをしている俺をわらっているのだろう。


「上様はね、それは良いお方。掛け値なしにね。そして良いお方ってのは、えてして早死にしちまうものと相場が決まってやがる。だからせめて俺っちが江戸で頑張って、そいつを防がねばならねえのさ。だからよ、お龍さん。あんたも龍馬の身辺には気を付けるこった」


 お龍はぷっと噴き出した。うちの人は果たして良い人かねえ、と勝の言葉に可笑しみを感じたのである。そしてそんな行儀の悪いお龍を、勝は嫌いではなかった。


「まあ、あの人はきっと長生きしませんよ。弱っちいですから。人を一人も斬ったことないって常々自慢しているくらいで」


 ほ、と勝は目の前の茶をぐいっと飲み干した。


「そりゃあ本当かい? 奴ぁ、北辰一刀流の目録持ちだろ。俺の門人だった時でも、道場で奴にかなうのは一人もいなかったぜ」


「最近では、斬り合う前にすでに勝負は決まっている、とか偉そうなこと言ってますけれどね。本当に弱いんだと思いますよ、私は」


 案外そうかもしれねえなあ、と勝は妙に納得した。剣の腕は立つくせに、昔から剣術というものに妙に達観しているところがあった。坂本龍馬という男は、まったくつかみどころのない、雲のような男だった。


 昔なじみの龍馬のことを脳裏に思い浮かべていた勝は、あ、と腰を浮かした。


「おっといけねえ、また忘れるところだった。お祝い、持って行ってくれねえかな」


「お祝い? 何でございましょう」


「あんたさ、龍馬と内祝言を挙げてもう一年以上たつだろ? その時の祝いだよ。こんな時世だ、つい渡しそびれちまったが」


 ああそんなことですか、と笑ったお龍は、行李こうりの方へとにじり寄ろうとした勝を片手で制した。


「お待ち下さい、勝様。せっかくお祝いをと言われるのならば、一つ所望したいものがございます」


 含み笑いで話すお龍の顔をいぶかしそうに見た勝は、胡坐あぐらをかいて座り直した。


「なんだい、言ってみな」


仲人なこうどになっていただきたいのですよ」


 要領を得ない表情の勝は、口をへの字に曲げた。


「なんだい、今更。出遅れたってもんじゃねえだろうが」


「ふふ、私とあの人の仲を取り持っていただくのではございません」


「じゃあ、誰の」


 お龍は、勝から目をらさずに言った。


「薩摩と、長州」


 勝はお龍をじろりとにらんだ。まったく、ふてぶてしいという言葉がふさわしい。旦那も含めて遠慮のない、似たもの同士の夫婦だ。


「なんでえ。お龍さんが江戸に来たのも、そいつが目的かい?」


 お龍は澄ました顔で茶菓子などに手を伸ばしている。


「あら、何のことでございましょう」


「とぼけなさんなって。大黒屋に運びこんだんだろ? あのたくさんの長持をさ」


 お龍は菓子をかじりながら、長いまつげの下の目を細めた。


「商いのお手伝いですよ。うちの人、お金が大好きだから」


「商い、ねえ。だが大黒屋といやあ、長州の浪人どもが大勢囲われているってその筋じゃ有名なところじゃねえか。何しろ昨年に長州藩の江戸屋敷は打ち壊されちまって、奴ら行き場がなくなってるからな。俺ら幕府に対する恨みも、きっと骨髄に達していることだろうよ」


「それと私が運び込んだ箱に、なにか関係が?」


いり鉄砲でっぽう


 お龍は口に手を当てて笑った。


「さすが、勝様には隠し事はできませんねえ。だって、薩摩とあなた様方がお手を組まれて長州の方々をいじめるんですもの、かわいそうじゃありませんか。薩摩の方は自前で鉄砲を調達できるのですから、私共が長州の方に肩入れしなければ、不公平というものでしょう?」


 勝は、こみ上げてくる笑いを押し殺すのに苦労した。幕臣の自分に大それたことをぬけぬけと話す目の前の女を小憎らしくも思うが、江戸っ子の勝は、お龍のすがすがしさと大胆さにたまらない魅力を感じてもいた。


 勝は庭に咲く牡丹ぼたんを眺めながら、世間話のように言った。


「お龍さん。俺は今度、西郷さいごうに会うよ」


「え。本当でございますか?」


 勝はうなずいたが、その表情は自然厳しくなった。


「ああ、そちらの方は任しとけ。だがね、お龍さん。長州のかつら小五郎こごろうって男は、たいそう気難しい奴でね。こんな俺っちと会ったら、下手したら斬り合いになっちまう。だからよ、そちらの方は龍馬になんとかしてもらいてえんだが」


 お龍は無邪気に笑いながら、着物の袖をいじったりなどしている。幼子のようなその仕草を、勝はまぶしく思った。こんな女が出てくるとは、これもまた時代だねえ、と。


 聞きたいことはすべて聞いてしまったとばかりに、お龍は何の未練もない様子でさっさと立ち上がった。


「勝様の今のお言葉、確かに夫に伝えさせていただきます。桂小五郎様ですか、きっと大丈夫ですよ。うちの人、男の方に妙にもてるところがありますからねえ。憎らしいったらありゃしない」


 お龍の言葉につられて笑った勝も立ち上がると、箪笥たんすの引き出しから細長い小箱を取り出して、それをお龍に差し出した。


「江戸に入るのは簡単でも、出るのはちょっとやそっとじゃいかねえ。出女でおんなっていってな、人質として江戸にとどめられている外様大名の妻子が国元へ帰ることを、幕府は極端に警戒しているのさ。反乱の兆候だってな」


 小箱を手渡されたお龍は、ずしりとした手応えに眉をひそめる。勝は笑いながら、顎でしゃくってそれを指し示した。


「お前さんのことだ、偽の通行手形くらいは持っているんだろうがね。こいつは俺っちの勘に過ぎねえが、きっと役に立つはずさ」


「開けてもよろしい、勝様?」


「ああ」


 ふたを開けて箱の中をちらりと覗き込んだお龍は、再び素早く閉じると、深々と頭を下げた。


「本当に勝様は、私たち二人のことを良くお分かりでいらっしゃる」


 腕を組んだ勝は、お龍を玄関に案内するために女中を呼んだ。


「龍馬もそいつと同じものを持ってる。俺が昔メリケンに行った時にゃあ、異人の夫婦は何かおそろいのものをお互いに持っておくことが流行ってたんでな。お前さんたちにゃあ、お似合いだろ?」


 お龍は嬉しそうに小箱を胸にかき抱くと、朗らかに笑った。


「ありがとうございます、勝様。西郷様のことといい、この箱といい、こんな素晴らしいお祝いをいただいて」




 街道沿いも夕暮れ時となれば風は少し冷たく、すれ違う旅の者もまばらである。次の宿場までの距離を考えながら早足で歩いていたお龍は、前方からぶらぶらと歩いてくる二人の武士に目を留めた。近づくにつれて、徐々にその姿がはっきりとしてくる。


 一人は身長は五尺五寸(現在の一六八センチ)ほど、総髪の美男子である。年齢は三十前後であろうか、男子としては色白でなで肩であることも相まって、歌舞伎の女形でも務まろうかというような色気があった。だがその優し気な風貌の中に、どこか殺伐とした冷たさを秘めているようであるのがお龍は気になった。

 そしてもう一人は、最前の男に付き従う形でやや後方を歩いていた。やはり三十路過ぎには見えたが、六尺(現在の一八二センチ)を優に超える長身である。全体的に細身ではあったが、すらりと長い手足は内に秘めた力を感じさせた。短髪に彫りの深い顔、どこか禁欲的な雰囲気を漂わせる男である。


 ただの素浪人ではなさそうだ、とお龍は思った。着ている服は薄汚れたそれではなく真新しくぱりっとしているし、腰のものはかなり銘のある刀だと知れた。つまりは羽振りが良いという事であり、彼らには何らかの組織の後ろ盾があることを暗に示している。


 すれ違いざまに小さく会釈をしたお龍を、はたして総髪の男が呼び止めた。


「もし。いらぬお節介だとは思うが、もうじき日も暮れる。女が一人旅とは、ちと物騒ではないか?」


 容姿にたがわぬ涼やかな声である。だがお龍はその中に、命令することに慣れた者の口調を敏感に感じ取った。お龍は足を止めると、振り向いて男に愛想笑いを送った。


「ありがとうございます、お侍様。ですが、私のことならばお気になさらず。これでも旅慣れておりますし、自分の身は自分で守れると、生意気にもそう思っておりますのよ」


「ほう、実に気丈なお方だ。あなたのそのなまり、京の?」


「ええ、寺田屋てらだやに寄宿しております。ご存じでしょう?」


 そう言ってころころと笑うお龍を、総髪の男は射抜くような目で見た。後ろの男は、早くも刀のつかに手をかけている。


「大胆ですな、俺たちのまえで不逞ふてい浪士の巣窟そうくつである寺田屋の話をするとは。ひょっとして、京のどこかで見られてでもいたかな?」


 お龍は男の刀をちらりと見て、ふふと笑った。


和泉守いずみのかみ兼定かねさだを腰に差した色男なんて、京にはお一人しかいやしませんでしょう。ねえ、土方ひじかた歳三としぞう様?」


 土方歳三。新選組しんせんぐみ局長である近藤こんどういさみの腹心。京の尊王攘夷派を容赦なく弾圧するだけでなく、「士道不覚悟」を掲げた隊規をもって隊内にも粛正の雨を降らせている鬼の副長。それがこの優男やさおとこか、とお龍は妙な感慨にとらわれた。


 土方は苦笑すると、後ろの男に首を向けた。


「参ったね、服部はっとり君。ちと遊郭ゆうかくで遊びすぎて、俺ぁ有名人になりすぎたようだよ」


 土方から服部と呼ばれた男は仏頂面のまま、ただ肩をすくめたのみで押し黙っている。


 こいつが服部武雄たけおか。これはまた土方は強力な隊士を連れてきたものだ、とお龍は内心で舌打ちした。土方自身も目録こそ持ってはいないが天然てんねん理心流りしんりゅうの達人であり、喧嘩仕込みの剣術は相当なものである。だがお龍の見るところ、この服部武夫という男は新選組の隊士の中でも別格だと思われた。


 新選組では一番隊から三番隊までが実働部隊としては抜きんでており、それぞれの組長はまさに剣豪ぞろいである。だが服部は、実力においては彼らに決して遜色そんしょくのないものと噂されていた。その彼が、今も助勤じょきんですらなくただの一隊士にとどまっているのは、勤皇に傾きすぎた新選組参謀さんぼう伊東いとう甲子太郎かしたろうに服部が傾倒しているのを、佐幕派の近藤と土方が危惧した結果だというのが大多数の見方であった。それでも服部が粛正されることもなく、こうして土方のそばに置かれているという事実こそが、服部の実力を示しているともいえた。


「それでその土方様が、私に何か御用でしょうか」


 土方は赤く染まりつつある空を見上げながら、良く通る声で言った。


「単刀直入に聞こうか。坂本って男は、今どこにいる」


 なるほど。土方は自分が坂本龍馬の妻であることをとうに知っていて、鉄砲を江戸に持ち込んだ私を帰り道のここで待ち伏せしていたのか。新選組の副長が京からわざわざご苦労なことだ、とお龍は頭を下げてねぎらってやりたい気分だった。


「さあて。うちの人は一度出て行ったら、ひと月やふた月は家に寄り付きもしません。それこそ、新選組ご自慢の探索方のお力で、あの人を探しだして頂きたいくらいです」


「やはりあんたは坂本の妻のお龍か。それならばお前さんをにすれば、向こうの方から来てくれるかもな」


 噂通りだ、とお龍は思った。この土方という男は、目的を達するためなら何でもやる。抜け駆け、だまし討ち、同士討ち。近藤勇が芹沢せりざわかもから局長の座を奪ったのも、土方の入れ知恵によるものが大きかったという。

 志を持つものはいっそそうでなければ、とお龍は薄く笑った。そういう男は嫌いではない。


「あら、人質ですの? 本人より強い人質なんて、聞いたことありませんわね」


「あんたが、坂本より強い?」


「うちの人は、剣なんてはなから馬鹿にしていますけれどね。御用がおすみでしたら、私は…」


 お龍の言葉が終わるのも待たず、服部が土方の後ろからするすると進み出てくると、抜き打ちに刀を横に払った。お龍はわずかに下がったのみで、顔色も変えずにそれを避ける。空を切った姿勢のままで、服部はふうと息をつくと一歩下がった。

 土方が苦虫をかみつぶしたような顔で、服部の背に声をかける。


「おいおい、服部君。確かに殺しちゃまずいが、それにしたって本気を出してくれなくては……」


「副長。この女、永倉ながくらさんより速い」


 服部の言葉に土方は目をむいた。二番隊の組長である永倉新八しんぱちより速いとは、一体どういうことか。服部ほどの剣豪が言うのならばそれは正しいのだろうが、そうであればこの坂本龍馬の妻、お龍という女は、一番隊組長の沖田おきた総司そうじか三番隊組長の斉藤さいとうはじめと同等という事になる。

 ありえるのか、そんなことが。


 服部は広げた手を土方の方に伸ばした。


「副長の兼定、お借りしてもよろしいですか」


「本気かね、服部君」


 土方の刀を受け取った服部は、二刀を身体の前で交差させると、半身になって構えた。お龍は自分の背に冷たい汗が流れるのを感じた。通常二刀流と言えば、腕力のある利き手に太刀を、そしてもう反対側には立ち回りに優れる小太刀を持つことがほとんどである。なのにこの服部は、重量のある太刀を片手に一本ずつ持ち、なおかつそれを構える動作は軽々と遅滞ない。

 はったり、であろうはずがない。だがそうであれば、並外れた膂力りょりょくの持ち主と言わざるを得ない。


 じり、とにじり寄った服部の喉から、ひゅうという息がこぼれた。


「参る……双弧そうこいち落礫らくれき!」


 服部の右の刀が足元から中天へ跳ね上がり、のけぞってよけたはずのお龍の着物のすそが、続けて横なぎに襲った二の太刀にすぱりと割られた。白い太ももがあらわになり、絹のような肌から一条の血が流れる。


「? 浅い!」


 服部の驚愕の声が、深い森の中に吸い込まれた。

 二の太刀をかわした勢いを殺さないままで、くるりと独楽こまのように回ったお龍の手には、勝から贈られたあの小箱がいつの間にか握られている。ふたに手をかけたお龍は、それを服部の顔面目掛けて投げつけた。


「苦し紛れを、女ぁ!」


 だが、右の太刀でそれを軽くいなした服部が見たものは、黒光りした筒を構えたお龍の姿だった。


「……銃!」


 轟音とともに、服部の右の耳たぶが弾丸に持っていかれた。後ろにのけぞる服部を、駆け寄った土方が背中から支える。

 お龍は銃口から立ち昇る硝煙しょうえんを、桜色の唇から放つ吐息で払った。


Sスミス&Wウェッソン社製、モデルナンバーツー・アーミーです。頭が吹き飛ばなかったのが私の失敗ではないことは、服部様ならお分かりいただけますよね?」


 右手を真っ赤に濡らしたまま鬼のような形相で睨みつける服部に流し目を送ると、お龍は銃口をわずかに傾けて、土方に狙いを定めた。

 

「土方さん。あなたがもしうちの人に会うようなことがあれば、今度この弾を受けるのは、服部様ではなくあなたですよ」


 そこまで言ったお龍は、銃を向けたまま数歩後ずさりしたかと思うと、新選組の二人に急に背を向けて、脱兎のごとく街道を駆け去っていった。


 残された二人はしばし呆然としていたが、先に我に返った土方が、自分の手ぬぐいを服部の手に握らせた。


「服部君、大丈夫か?」


 服部はやや躊躇ちゅうちょしていたが、土方から渡されたそれを右耳の傷口に押し付ける。隊士に温情など掛けたことのない土方としては異例のその行動に、服部はただ驚いていた。


「いえ、耳のほんの先の方をやられただけです。それでも不覚には変わりありません。士道不覚悟のとがで、いかようにもご処罰を」


 新選組の隊規は厳しい。相手に背中を斬られようものならば、敵に背を向けた臆病者、卑怯者とのそしりを受け、即座に切腹である。たとえ服部のように正面から受けた傷であっても、新選組の顔に泥を塗ったと罪を着せられて詰め腹を切らされたものは、それこそ枚挙にいとまがなかった。

 だが、土方は。


「馬鹿あ言っちゃいけない、服部君。向こうにあんな凄ぇ女がいるんだ、他にどんな奴らがいるかわかったもんじゃねえ。君の力、これからも頼りにさせてもらう」


 服部はわかりやすい男であった。土方の言葉に単純に感動したものの、自分は伊東という盟主をすでに仰いでいる。裏切れない、との思いに板挟みになった服部は、ただうつむくしかなかった。


「でも副長。おれは、伊東さんの」


「わかってる。伊東君と俺は、いずれ決着をつけなきゃならねえ。だが俺は、君のことは嫌いになれんのさ」


 豪胆な服部が言葉を失うほどに、土方の口調は限りなく寂しかった。あるいはお龍に会ったことが土方の心の奥底にあった何かを思い出させたのかもしれない、と服部は思った。

 土方は服部の視線に気づくと、苦笑を漏らした。


「そんなに意外な顔をするなよ。俺だっていつも鬼ってわけじゃねえ。だがな」


 やおら笑いを引っ込めた土方は、お龍が去っていった街道の向こうを、食い入るように睨みつけている。


「近藤さんの邪魔をする奴らは、俺が叩き潰す。どんなきたねえ手を使っても、全力でな。そのことだけは、君も覚えておいてくれるか」


 服部は土方から借りた和泉守兼定を渡すと、黙ってうなずいた。



 

 旅籠はたごの風呂場で、お龍は太ももの傷を洗っていた。薄皮一枚ではあるが、痕が残りそうな厄介な傷だ、とお龍は思った。なみなみと張られた湯に身体を沈めると、命のやり取りをした疲労が水面に浮き上がってくるようだ。


「私の身体に傷をつけた、か。うちの人以来だねえ」


 お龍は豊かな右の乳房にくっきりと浮かび上がる一条の傷跡に、そっと指を触れた。懐かし気にそれをなでると、風呂場の窓から顔をのぞかせている満月を見上げる。


「なんか適当な箱でも探さなくっちゃあね。むき出しの拳銃なんて見られたら、はしたない女だって龍馬さんに思われちゃう」


 薄く頬を染めたお龍は、小さなため息をつくと、熱い湯船に頭まで深く潜った。


 彼女たちを待つ京は、さらに騒がしくなりそうだった。

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