ミッチーは俺の推し ~男の娘その1~
時輪めぐる
ミッチーは俺の推し
(い、息が出来ねぇ。胸がチョー苦しい。心臓がバクバクして、変な汗が出てきたぜ。畜生―っ! 目が離せねぇ。腹まで痛くなってきた。何か変な物食ったっけ?)
「……ズサ、谷原アズサ君!」
「う、あっ?」
「お腹でも痛いのですか?」
「何故、分かる? カヲル」
「だって、
アズサは、知らずに両手で腹を押さえて、長身を前屈みにしていた。
「トイレは、あっちみたいですよ」
幼稚園の時から、ずっと一緒の玉山カヲルは、文具屋の店内を見回して、指差した。
「ち、ちげーよ、腹は痛いが。そうじゃねぇ」
そうじゃないんだと言う、アズサの目線の先を追ったカヲルは、合点がいった。
色素薄い系の二人の少女が、楽しげにファンシーコーナーでグッズを選んでいる。一人は、私服でウルフカットのボーイッシュな少女。もう一人は、柔らかそうな巻き髪を制服の肩に散らした、少女漫画のヒロインのような子だった。
「どっちなのです?」
「み、右」
スキニージーンズにレイシーなチュニックを着た、スレンダーな方だった。
「ふむ、確かに綺麗な子達ですね。私も男として、ちょっと気になります」
「どっち?」
「私は、左の子かな」
「左の子の制服は、うちだよな。ってことは右の子も夢ヶ丘かなぁ。入学式の時に、気付かなかったぜ」
「もう少し、側に寄ってみましょうか」
カヲルは、ビビるアズサの腕を掴むと、商品を見る振りをしながら、二人に近付いた。
「ミッチー、見て、見て、これ可愛い!」
ふんわり巻き毛が、ウルフカットに、緑色の何かを差し出した。
「うっ、モモコ。それはちょっとマニアック過ぎる」
艶のあるアルト声の主は、別の物を手に取って巻き毛に勧めた。
「じゃあ、ミッチー、これオソロにしよう。約束ね。明日、スクールバッグに付けて学校に来ること」
「オソロは、ちょっとハズイから、
「えーっ、ハズくないよ」
そう言うと、二人は変顔の猫のマスコットを持ってレジの方へ歩いて行った。
「ミッチーって言うのか。ミチ? ミチコ? ミチヨ? ミッチェル?」
いつの間にか、腹の痛みを忘れている。
「ボクっ
「『明日、学校に付けて来る』ってことは、やっぱり夢ヶ丘だな。二人は、親友同士なのか?」
「それとも、百合って奴でしょうか」
「ゆ、百合? じゃあ、男子の出る幕はないってか?」
アズサは眉を曇らせる。
「まぁ、アズサならもしかしたら、振り向いてくれるかも? ですよ」
翌日、アズサ達は、昨日のボクっ娘を探した。
制服の新しさからして、自分達と同じ一年生で、変顔の猫のマスコットを付けている子。すぐに見付かると思ったのだが。
「いねぇええええ。何でだ」
「巻き毛の子は、三組の速水モモコさんと分かりましたが。僕っ娘は、今日は欠席なのでしょうか」
カヲルも首を傾げる。
昨日の様子だと二人は、かなり親しいようだから、モモコの身元が割れれば、すぐに辿り着けるはずだった。
「大丈夫だ。変顔の猫のマスコットを見付ければいいんだ」
ここ夢ヶ丘高校に入学して、まだ二週間。時間は、たっぷりある。
捜索の範囲を全学年に広げてみようと、アズサは言った。
しかし、ゴールデンウィークが過ぎ、梅雨になっても『ミッチー』の身元は分からなかった。
「速水さんは、別の女子といるのを、よく見掛けますね。時々、彼氏なのか、男子と下校していますよ」
「彼氏いるのかよ。じゃあ、カヲル、失恋じゃん?」
「私は、元々そんなには。どちらかと言えば、ミッチーさんより、速水さんかなって、思っただけです。……本命は他に居ますから」
「なんだそうか。てか、ミッチーは、誰なんだ。この学校の生徒じゃねぇのか。こうなったら、手紙書くわ。んで、速水から、ミッチーに渡してもらう」
「ラブレターですか。アズサって結構、古風なのですね。直接、速水さんに尋ねるというのはどうなのですか?」
「お前さぁ、いきなり知らん奴から『何月何日にファンシーショップにいましたね。一緒にいた人は誰ですか』て訊かれたら気持ち悪くねぇ?」
「まぁ、そう言われればそうですね」
「こんなに気になっちまうのに、誰だか分かんねぇし。速水しか手掛かりがねぇんだ。仕方ねぇじゃん」
今までずっと、そのハーフっぽい容姿で、女の子には不自由しなかったアズサが、片想いに悩む姿は新鮮だ。カヲルは、面白いと思う反面、自分の中の見知らぬ気持ちに戸惑った。
数日後、アズサは、三組の入り口にモモコを呼び出すと、ミッチーへの手紙を手渡した。
「ミッチーに?」
モモコが、ふわりと巻き毛を揺らし小首を傾げると、乙女チックな香りが漂った。
「渡して貰えれば、分かるからっ。頼んます!」
後も見ず小走りに、アズサは、その場を立ち去った。心臓がバクバクして、腹が痛くなってきた。
俺ってチキンだなと、トイレの個室で気を鎮めていると、どやどやと複数の男子が、トイレに入って来る気配がした。
「おい、小池。速水さんが、さっき一組の男子に手紙貰っていたぞ」
「マジ? どんな奴?」
「何ていったっけ、女みたいな名前のチャラい奴。アンズ? アとズが付いた」
「アズ……サ、だっけ?」
「そうそう、ソイツ!」
小池と呼ばれた男子が、他の男子達に「しっかりしろよ」と言われながら、声は遠ざかって行った。トイレが静かになってから、アズサは呟いた。
「チャラい? 余計なお世話だっつーの。小池って奴、カヲルが言っていた速水の彼氏か? 勘違いするんじゃねぇ。俺が好きなのは、ミッチーだ」
「今日、アズサって奴から、手紙貰ったんだって?」
学校の帰り道、小池ミチオは、隣を歩くモモコに訊ねた。不機嫌さを抑え、できるだけ軽く言ったつもりだ。
「うん。よく知ってるね」
無邪気にモモコは笑う。
「ソイツ、チャラくて、おかっぱ頭の男といつも一緒にいるって。お前、二股かけられているんじゃないか? 気を付けろよ」
「あら、お相手がいるの? でも、手紙読むだけ読んだら……?」
「はい」っと、手紙を差し出した。
「えっ、読んでいいの?」
「うん。だってそれミッチーに渡してって頼まれたの」
「へっ?」
手に取ると宛名に『ミチ
「何だよ『ミチ○』って」
封筒も便せんも和紙だった。ミチオは、手紙を開いた。
『こんにちは、ミチ○様。俺は、
達筆だが、誤字がある。
「何、これ?」
「果たし状かなぁ? ほら、だってここ、『どうしてくれるんだ。このまま、済ます訳にはいかない』って書いてあるよ」
「僕の所為なの? お腹が痛くなったのって。何か変な物食べたんじゃないのかなぁ」
「どうする? ミッチー」
「行くしかないか。だって『異議は認めない』って、釘刺してるし」
アズサという奴は、チャラい上に訳の分からない奴だと、ミチオは思った。
「それじゃあ、速水さんに、手紙頼んで来たのですね?」
「ああ、バッチリだ」
「書き方を事前にレクチャーしようと思っていたのですが。アズサは達筆ですが、その、作文がアレですから」
「大丈夫だよ。俺、十三回読み返したし、宛名も、こう」
さらさらと筆を運ぶ真似をする。
十三回とは不吉なと呟いて、カヲルは更に訊ねた。
「『ミッチーさんへ』と書いたのですか?」
「まさか。初めて手紙出すのに、そんな失礼なこと書けねぇよ。で、ミチの下が分かんねぇから、『ミチ○様へ』って書いた」
アズサはドヤ顔をする。
「えっ」
続いて手紙の下書きを読み、カヲルは絶句した。パッツンと眉の位置で切った前髪を掻き上げ、額に手を当てる。
「果たし状っぽいですね」
「そうか?」
「恋が
あの娘は来るのでしょうかと、カヲルは心配になった。
次の土曜日、梅雨の中休みで、空は嘘みたいに晴れ渡っていた。ハチ公前広場に、ハーフっぽい顔立ちの少年が、植え込みの縁に腰掛け、長い足を投げ出している。タンクトップに、てれっとしたシャツを羽織り、ダメージジーンズを
カヲルは、ちょっと離れた所から、こっそりと観察していた。
例によって例の如く、男女問わず、行き交う人に声を掛けられている。
以前、一緒に居た時には、芸能プロのスカウトに声を掛けられた。目立つのだ。
アズサは、面倒臭そうに片手を振って、「NO」の意思表示をした。
「さてと、ミッチーさんは来るでしょうか」
カヲルは、独り言を言いながら、周囲を見回した。此処は、みんな待ち合わせ場所にするけれど、いつも人が多いので相手を見付けにくい。待ち合わせ場所としてどうなのだろうか。
その時、カーゴパンツにパーカーを羽織った少年が、アズサに近付いて行った。色素の薄い髪が、日に透けて輝いている。
「あれは、確かモモコさんの彼氏」
会話を聞く為に、カヲルはキャップを深く被り直して、近付いた。
「……の手紙は、君がくれたの?」
カーゴパンツの少年は、アズサに手紙を差し出した。
「おわっ、何でお前が持ってんだよ? てか、誰?」と言いつつ、どこか見覚えがある気がした。
「僕は、小池ミチオ。君がモモコに、僕に渡すように言ったのでしょ?」
「お前に? 俺は、ミッチーに渡してくれって頼んだんだぜ」
「だから、僕でしょ?」
「あぁ?」
アズサは、全く意味が分からないといった風に眉根を寄せて、小池ミチオを見詰めた。
「速水の知り合いに、他にミッチーがいるだろ? その子に渡して欲しかったんだが、間違えちゃったみたいだな」
「他のミッチー?」
「ああ、こう、すっとスレンダーで、ボーイッシュな女の子」
「……どこで、見た?」
「速水と一緒に、変顔の猫のマスコット買っていたな。俺、一目惚れしちまったっつー訳」
ミチオは、何故か赤くなって
「……残念だけど、諦めてくれないかな」
「何でだよ。てか、何でお前にそんなこと言われなきゃならないの? お前は、速水の彼氏なんだろ? まさかミッチーと二股かけているとか? そんなこと、許さないぜ」
「いや、そうじゃないんだ」
「じゃあ、何だよ」
黙ってしまったミチオを前に、アズサはイラついて貧乏揺すりをした。
思案顔で
「それは!」
「君が見たミッチーは、僕なんだ」
「は?」
「僕が、じ、女装していたんだ……」
カヲルは、声を上げそうになって、慌てて口を押さえた。
代わりに、アズサが叫んだ。
「えーっ!」
ハチ公前広場に居た人々が、何事かと、一斉に二人の方を振り返る。
「と、とにかく、こっちに来て」
ミチオは、アズサの腕を掴むと、モヤイ像の辺りまで引っ張っていった。
この辺は、割と空いている。
「どーゆーことなのか、ちゃんと説明してくれよ。俺、お前の所為で腹痛くなっちまったんだから」
「君のお腹と、どういう関係かは知らないけど。君の見たミッチーは、僕なんだ」
「お前、……オカマなの?」
「違うよ。ちょっと訳があって、子供の頃から女装している」
「つまり、その、……変態なのか?」
「それも違う。……あー、こんな事話したくないのに」
まぁ、座ろうよと柵を背に腰掛けると、ミチオは、心を決めたように話し始めた。
「モモコとは、家が隣同士で幼馴染なんだ。で、小さい時から、よく遊んでいた。モモコは一人っ子で、僕は上に姉が二人居る。その姉達と一緒に、僕を着せ替え人形にして遊んでいたんだ」
「着せ替え人形……!」
モヤイ像の裏側に隠れているカヲルは、思わず小声でハモってしまう。
「ん?」
アズサは、キョロキョロと辺りを見回した。
「それが、女装するようになったきっかけ」
「だけどよぉ、もうガキじゃねぇんだから、嫌なら断れば良いんじゃね?」
「……嫌じゃないんだ。姉達は家を出て、今はもういないけど。モモコとのコミュニケーション・ツールっていうか……」
「つまり、お前は速水が好きで、好きな子と一緒にいたいから、女装続けているってこと?」
「まぁ、そういうことかな。モモコは、僕の事を異性だと思ってないみたいだけど、女装すれば喜んでくれるし」
「それで良いのか?」
「自分も楽しいしね」
女顔で、全体的に色素が薄い。小柄ではないが体つきは
(姉さん達が、着せ替え人形にしたくなる気持ちも分かるぜ。って、何、共感しちゃってるんだよ)
「まさか、あの日、君に目撃されていたなんて」
可愛いグッズが好きなのだが、一人では買いに行けず、女装してモモコと一緒に行くのだという。
「で、でもよぉ、似合っていたぜ」
「それって、
顔を上げたミチオは、困った様に微笑んだ。
(やべぇ、マジやべぇ。また、腹が痛く……ならねぇ。腹じゃなくて、胸がキュンて)
アズサは胸を押さえた。
「褒めてるつもり、ダゼ」
どこかぎこちない。
「ありがとう。でも、この事は、人に言わないで欲しいんだ」
「分かった。男と男の約束だ」
「よろしくね。あ、そうだ」
ミチオは、バッグの中から小さな箱を取り出した。
「これ、整腸剤。お腹弱そうだから、出掛けに薬局で買って来たんだ」
「俺に?」
ミチオは、にっこりと頷く。
「『どうしてくれるんだ』って書いてあったでしょ」
「サンキュ。マジ嬉しい」
アズサは、大事そうに受け取った。
「さて、これで誤解も解けたみたいだし」
ミッチーが立ち上がったので、アズサは、すかさず言った。
「あ、あのよぉ、その、俺も、ミッチーって呼んでいいか?」
「えっ、うん。じゃあ、僕は君のこと、何て呼べば良いかな?」
「アズサ
「可愛い名前だね」
艶のあるアルト声が心を震わせ、アズサは、柄にも無く真っ赤になった。
じゃあ、僕はこれで。ミチオが手を振って帰って行くのを、夢心地で見送った。
「ミッチー……」
小声で呟いてみる。
「アズサちゃん!」
名を呼ばれ、飛び上がって振り向く。
「カヲル! なんで、お前、此処にいんだよ?」
「あははは。つまり、アズサが心配で」
カヲルは、変装用キャップを取って、おかっぱの黒髪を風になびかせた。
「どの辺から聞いていたんだよ」
「うーん、最初から。ハチ公前からね」
「お前、良い趣味してやがるぜ」
「そういうアズサは、趣味が変わったのですね?」
「あぁ?」
「いや、何でもない」
カヲルは、にんまりした。
「お前が、そういう顔するとロクな事がねぇ。何、
「人聞きの悪い。何にも企んでなんかいませんよ」
「まぁ、聞いていたなら話は早い。つー訳で、俺は失恋? しちまった。俺の、この二ヶ月間は、一体なんだったんだ。
「男女の違いなど、大きな問題ではないですよ。その証拠に、アズサは失恋したといっても、そんなにこたえてないじゃないですか」
「実はそうなんだ。あんなに好きだったのに、あんまりこたえてねぇのが、不思議なんだが。男女の違いは大きな問題だろう?」
カヲルは、ゆっくりと首を横に振り、切れ長の瞳でアズサを
「相手の呼び名が変わっただけですよ」
「呼び名?」
「女の子ミッチーから、男の
「はぁあ? そ、そんなことはねぇ」
「おや、何をそんなに、うろたえているのですか?」
「カヲル、お前、テキトーな事言うんじゃねぇよ」
と言いながら、胸はザワワと落ち着かない。
「俺、帰るわ」
「え、これからランチでもって……」
カヲルの言葉を最後まで聞かずに、アズサは、立ち上がった。
大股で、人込みをずんずん歩いていく。前を向いているが、前を見ている訳ではない。反射的に人を
一連の動作を無意識にこなして、気が付けば電車に揺られていた。
(……ったく、カヲルの奴)
車両は比較的空いていた。ドア付近に寄り掛かり、後方へ流れる窓の外を見るとはなしに見ている。
(俺が、男のミッチーを好きだって? 考えられねぇ。そうじゃなくって、気持ちの座りが悪いのは……)
容姿の所為で、小さい頃から色々とトラブルがあった。変なオッサンに、誘拐されそうになったり、『女の子みたいで可愛いね』と、上級生や先生にセクハラされたり。それで、父親は、護身術として合気道を習わせたのだ。
『女っぽさ』を
(そうやって気を使って生きて来たんだ。なのに、アイツときたら。好きな女の為に女装するだって? 他人の目を気にして生きてきた俺って、どうなのよ)
一つ前の駅から乗り込んで来た、ドブネズミ色のサマージャケットを着た年配の男は、ドア前座席横のコーナーに、アズサを閉じ込めるように立った。
チラリと視線を送り
(今回は、マジ一目惚れだったんだぜ。告ったのも、付き合って欲しいって思ったのも、生まれて初めてだった。まぁ、アイツは、女じゃなかったけどな)
ミチオの姿を思い出して、溜め息を
(アイツだってあの容姿だから、色々あったはずなのに。そうなんだよ、俺が動揺しているのは、アイツが、俺と真逆の方向を目指しているからなんだ。好きとかそんなんじゃねぇ……と思う。いや、どうだろう。好きかも知んねぇな。べ、別に変な意味じゃねぇ。そう、例えば、こんな野郎から、守ってやりてぇって思う!)
さっきから、下半身に触れる不快感がある。アズサは、前に立つ初老の男の前腕を掴み、合気道の技で床に転がした。
「この変態野郎! 汚ねぇ手で、俺に触るんじゃねぇ!」
その時ちょうど、駅に着いてドアが開いた。
周囲の客が
「お兄ちゃん、良いの? 逃げちゃうよ」
近くにいたリーマン風の男が言った。
「良いんだ、別に」
捕まえることではなく、止めさせることが目的なのだからと説明する。
(男のなりをしていても、痴漢に遭うのだから、女装したミッチーなら尚更じゃねぇのか? 危ねぇ。やっぱ、俺が守ってやらねぇと)
「で、何でそうなるのです?」
一週間後、アズサの部屋で、カヲルは思いっきり
「だってよぉ、ミッチーを守る為には、混ざらねぇとなんないじゃん?」
ネット通販で購入したという、金髪縦ロールのウィッグを着け、ゴスロリのワンピースを着込んだアズサは言った。
やたらと似合っている。口さえ利かなければ、ハイソなお嬢様で通るだろう。
「んで、化粧の仕方も習わねぇとな」
母親が面白がって貸してくれた化粧道具を、「何だこれ」と言いながら摘んで眺める。
「あー」カヲルは、額に手を当てた。予想の斜め上を行くアズサが心底面白い。
「分かりました。私もお付き合いします」
「えっ? 何でお前まで」
「今日から、私はカヲル
カヲルは、メイクアップベースを受け取ると、慣れた手付きで、アズサの顔に伸ばし始めた。
「カヲル、いやに慣れてねぇ?」
「よく、母親の化粧を見ていましたから」
カヲルの母親は、有名なモデルで、数々のファッション雑誌の表紙を飾っている。幼い頃から、撮影スタジオに連れて行かれ、母親の仕事を間近に見ていた。時折、子供モデルに混ざってポーズを取ったりもしたという。
鏡の中の自分を、アズサは不思議な気持ちで眺めた。一つの工程が終わる度に、魔法のように妖しく綺麗になっていく。
(何だ? わくわくしてきたぞ!)
あんなに一線を引きたかったはずなのに、『女の子』に変身する自分を、割とすんなり受け入れられる。化粧を施すカヲルの手も優しくて心地良かった。
「結構、楽しかったりするぜ」
アズサの化粧を終え、自分のメイクを始めたカヲルを眺めながら白状する。
「アズサは元々美人だから、化粧映えがしますね」
カヲルは目尻に紅を差しながら言った。
「そう言うカヲルこそ。ちょっと待ってろ、お袋に何か着る物借りてくるから」
アズサは、エレベーターで階下へ降りて行った。マンションの一階がテナントになっており、アズサの母親は、そこで高級ブティックを経営している。
メイクを終えたカヲルは、アズサを待ちながら、勝手知ったる部屋の中を見回した。
壁には、数々の書道コンクールの賞状や、合気道の段位証書、道着姿の写真が飾られている。最近、合気道をやめたらしいが、小学生の時から熱心に道場に通っていたのを知っていた。
「アズサは、もっと自然体になれば良かったのですよ。側で見ていて少し辛かったです」
本人には言わない言葉を、カヲルは呟く。
「……しかし、遅いですね」
待てど暮らせど、下に降りて行ったアズサは、ちっとも帰って来なかった。
やがて、アズサがパニエの裾を揺らし、息を切らして部屋に駆け込んで来た。
「参ったぜ。店に行ったら、客やスタッフが騒いで、帰れなくなっちまった。振り切ろうと、階段を駆け上がって来たんだが、厚底靴が走り難くてよぉ」
ほれ、これを着ろと、和服地で出来たマキシ丈のストンとしたワンピースを差し出した。
それは、黒髪ボブで切れ長の瞳のカヲルに、よく似合った。和風美人といったところだ。
「で、これからどうするのです?」
「写真をミッチーに送る。俺の決意表明だ。この間アカウント交換したからな」
「決意表明ですか?」
「ああ、今後、俺はミッチーを守り、応援するっていうな」
和洋両極の二人は、にっこりと顔を寄せ合い、写真に納まった。
「返信来たああああ! うおっ、ミッチーの写真も添付されている」
かわええ、と画面を食い入るように見詰めるアズサを、カヲルは、ちょっと複雑な思いで眺めた。
「女装男子の同好会立ち上げたいとか、言っているぜ?」
「ミッチーさんは、隠して置きたかったはずなのに、正々堂々と女装する道を選んだのですね」
「女装仲間が増えて心強くなったんじゃね?『みんなで着れば怖くない』みたいな」
「アズサが、ミッチーさんの心に寄り添ってあげようとしたからかもしれませんね」
「私は、アズサに付いて行きますよ」と、カヲルは笑う。
「お前も、物好きだな」
「はい。アズサと居れば、退屈しませんから」
「なぁ、カヲル。俺さぁ、ミッチーと出会ってから、何だか身も心も軽くなった。てか、息をするのが楽になった気がする」
「良かったですね。自分らしくいられるのが一番です」
「お前この間、『男女の違いなど、大きな問題ではない』って言ったじゃん? そうなのかもな」
男だと分かった今も変わらず、モモコを想うひたむきさも含めて、ミッチーが生き易い様に支えてやりたい、守りたいと思う。この気持ちを何と呼ぶのだろう。
(もしかして、恋ー?)
そう思った途端、めちゃくちゃ動揺した。
「あのよぉ、お、俺がミッチーを守りたい、応援したいって思うのは、その、こ、恋ナノダロウカ?」
昔から、自分で分からない時は、カヲルに訊くと良い。
アズサは、初めて恋したお嬢様のような瞳で答えを待った。
カヲルは当惑しつつ答えを探す。
「うーん、それって、推しと言うのではないですか?」
「推し? 俺はサイリウムを振り回したいわけじゃねぇんだ」
「別にサイリウムを振り回さなくても、推しは推しですよ」
アズサは、アイドルヲタのことが頭に浮かんだようだ。
「私が思うに、推しはちょっと片思いに似ている気がしますが、推しと恋愛とは違うそうです。諸説ありますが、推しは他人に勧めたいけど、恋愛は独り占めしたいとか。しかし、推しにガチ恋することもあるようなので、実は、境界は曖昧なのかもしれませんね。アズサは、ガチ恋なのですか?」
少し探るような口調になった。
「な、なに言ってやがる。推しだ、推し……たぶん」
ふふっとカヲルは笑う。
「三人で女装男子の同好会、作っちゃいましょうか。そうしたら、一緒にいられる時間が多くなるかもですよ。推し活しましょう!」
ミッチーは俺の推し ~男の娘その1~ 時輪めぐる @kanariesku
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