これで今日から共犯関係

鷹見津さくら

〇〇しないと出られない部屋の内見に来たら閉じ込められた

 セックスしないと出られない部屋の内見に来たら、お客様と共に閉じ込められた。

 確かにドアストッパーを玄関に仕込んでいた筈なのに! と叫んだ俺にお客様が外したドアストッパーを見せびらかしてきたので、思わず殴ったのは何も悪くないと思う。

 殴られたお客様は盛大に転んだ。その姿を見て、多少溜飲が下がったが、事態は何も好転していない。ここから出られたら絶対にこのお客様はブラックリストに入れてやる。


 俺の勤める不動産屋は、オーパーツと呼ばれる特殊な物件を扱う不動産屋だ。現代の技術では再現不可能な物件は、商品として扱っている俺たちどころか、この地球上で取り扱い方を正確に理解出来ている人間はいない。

 特殊物件は、時折街中にふっと現れる。出現はランダムで、その効果もランダム。出現理由も分からなければ、何もかもが分からない。玩具が無限に落ちてくるだけという平和な物件もあれば、死ぬまで出られないとされている物騒な物件もある。触る神に祟りなしという言葉もあるように特殊物件は放置しておくのが一番だろう、と俺も思うのだけれども。その特殊性から、多大なる利益と需要が生まれてしまうことが分かっているのにどうして指を咥えて見てなきゃいけないんだと考えた野心家達が大勢いた。

 その大勢の野心家の内の一人が、俺の勤める不動産屋の社長だった。

 正しいマニュアルだなんてものが存在しない特殊物件を取り扱う仕事は、危険手当がものすごくつく。とんでもなくつく。基本給もお高めなのだが、手当がすごい。その高い給料目当てに危険を犯す人々も多いので、特殊物件業界は成り立っていた。

 どこにだっているのだ。危険性が分かっていても、とにかく金が必要な人間は。

 俺だって、親が残していった借金のカタとして連れて来られなければ、こんな命を金と交換するような仕事にはつかなかった。


「おま、お前……お客様、本当にふざけないでくださいよ。どうやって出るつもりですか。絶対にドアストッパー外すなって、俺言いましたよね!?」

「ここに閉じ込められたかったから、外しちゃった」

「外しちゃったじゃないんですよ! 俺たち、出られないまま死にますよ!?」


 死にたくない一心で真面目に過去の特殊物件の事例を読み漁り、トラブルの対策を頭に叩き込んできた俺だったが、今回ばかりはお手上げだった。セックスしないと出られない部屋の事例報告書は多くない。セックスしないと、とついているだけあって、閉じ込められた人間のセンシティブな部分に触れざるを得なくなってしまうのだ。そうなってしまうと、報告に協力してくれる人の数はガクッと減ってしまう。結果、当たり障りのないセックスをしたから出られたという証言内容のものしか記録に残らないのである。

 ならば、セックスをして出たらいいじゃないかと言われるかもしれないが、俺は初対面の人間とセックスをしたくない。命と金は交換したが、貞操までは交換したつもりはなかった。それにここはカクヨムなので、レーティング制限に余裕で引っかかる。


「何が目的でこんなことしたんですか!」

「セックスしないと出られない部屋の調査がじっくりしたくて……」


 お客様が差し出してきた名刺を両手で受け取り文字に目を通す。


「オーパーツ研究所の職員、さん?」

「そうそう。いやぁ、そろそろ研究成果を上に報告しろって上司が煩くてね。俺も仮説の立証がしたかったし、内見を装って潜入しに来たんだ」

「……せめて、うちの会社に研究依頼を出してからやってくれませんか?」


 そうすれば、専門の社員が来て、俺が巻き込まれることも無かったのに。頭を抱える俺にお客様は笑いかけてくる。


「そんなことしたら、断るだろう? 君の会社は」

「まあ、そうだと思いますけど」


 特殊物件は危険も大きいが、利益も大きい。下手に研究なんかされてしまえば非常に困る。人は、神秘に惹かれるのだ。何故そうなるのか分からない不思議さがあるからこそ、特殊物件の価値は高まる。ブラックボックスでなくなってしまった特殊物件は、もう特殊ではなくなってしまったただの物件だ。

 だから、研究は一律お断りの不動産屋が多いのだけれども。たまにこうやって内見を装って潜入してくる人間がいるとは聞いたことがあった。犯罪スレスレというか、がっつり犯罪行為なのに本当にやるやつがいるんだ。


「ほんとに勘弁してください……。俺が何やったっていうんですか」

「内見の担当になっちゃったのが運の尽きだと思って諦めた方がいいよ。ほら、働いてたって特殊物件に閉じ込められるって経験は中々出来ないだろ?」

「一生しなくて良かった経験を強制的に味わせてる側の言うことじゃないんですけど」


 開き直っているお客様は反省の色が全く見えなかった。こいつ、どうしてくれよう。最初は一発殴ってしまったけれど、彼を昏睡させたところで何も解決しない。それどころか、逆に脱出から遠ざかってしまう。


「……それで、何か策があって閉じ込められたんですよね?」

「勿論!」

「よし、今すぐその方法で出ましょう」

「セックスしたら出られるよ。君も知ってるでしょ」

「それ以外が良いです!」


 勢いよく距離を取った俺にお客様が苦笑いを浮かべる。


「襲ったりしないから、もう少し近くに寄ってよ」

「セックスしないと出られない部屋に意図的に閉じ込めてきた人間の言うことはあまり信用出来ないんですが」

「君だって、このままじゃ困るだろ? セックス以外の出る方法、俺になら分かるよ」


 少しだけ近寄って、俺はじっとお客様を見つめる。見た目は普通だ。何処も怪しくない。こちらを見つめる瞳は、タレ目で少し優しそうにさえ見えた。


「……出る方法って?」

「特殊物件は似たような部屋だとしても、中身は別物になりやすいんだ。でも、多少は参考になる。この部屋みたいな条件指定型密室構築物件には、抜け道が用意されていることが多い」

「……それで?」

「その抜け道を探すために今から、この物件の紹介を俺にしてくれ。内見しに来たんだから、紹介の用意はしてるだろ?」


 正攻法をやりたくない俺に残された選択肢は、それしかないらしい。やっぱり特殊物件なんて最悪だ。


「……承知しました。では、こちらから」


 玄関の近くにあるトイレへと案内する。お客様は興味深そうに辺りを見回していた。


「ここは普通のトイレだな」

「他所は知りませんが、うちの物件は普通の見た目のものが多いですよ。当然、機能自体は特殊ですが」

「なるほど、なるほど」


 頷いているお客様を連れて、キッチンへと向かう。途中の廊下で壁をノックしつつ歩くので、少し煩かった。この物件は、防音が整っているので――そうでなければ、あまり聞きたくない類の騒音を撒き散らしてしまう――近所迷惑には決してならないのが幸いだ。


「キッチンのガスコンロは三口です。冷蔵庫と電子レンジは備え付けのものがあります。床収納には色々と入れられますが、一応、炭とバーベキュー用品が既に用意されています」

「ここでバーベキューするやついるの?」

「俺が担当になってからは、聞いたことありませんね。こんなところでバーベキューなんかしたら煙がとんでもないことになりそうですし」


 お客様は俺の説明を聞きながら、換気扇をつけたり消したりしていた。落ち着きがない人だなと思うが、ここから出る方法を探しているのだから黙っておくことにする。変なことを言って、刺激したくない。正攻法で出ようと言われたら、嫌なので。


「……君は、こんなところで働いている割に割と普通だね」

「それは……褒め言葉ですか?」

「勿論。特殊物件専門の不動産屋で働く人間なんて、スリルジャンキーぐらいだと思ってた」

「あー、そういう同僚もいますねえ」


 今日までは平気だったのに次の日に何が起きるか分からないスリルがたまらないのだと言っている同僚たちのことを思い出す。よく、危険そうな賭け麻雀をしてるので、スリル中毒なのだろう。俺は危険なんて仕事だけで十分だ。


「君はスリルが嫌いなんだな。危ないことは極力したくない」

「そうですね。だから、今もさっさとここから出て安全な場所に行きたいです」

「あはは、頑張って出る方法見つけるよ」


 お客様の返答が軽すぎる。もっとやる気を出してほしい。


「……冷蔵庫の中身は常に新鮮なものが入っています。食材を取り出した場合、冷蔵庫の扉の開け閉めをすることで中身が元通りになります。取り出された食材はそのままなので、調理に使用出来ます」

「この食材を持って外に出た場合は?」

「えっと、確か食材を持ったまま、条件をクリアした場合には、外に持ち出すことは可能ですが、出た途端に腐敗したという事例がありました」


 ポケットからメモを取り出したお客様が俺の話を記していく。これぐらいなら、企業秘密にしている訳でもないので問題はないだろう。普通に内見に来たお客様にも説明している範囲の話だ。


「食材を持ったまま条件を達成した場合、という注釈がつくってことは、もしかして、自分の足で出ていくタイプの物件じゃないのか」

「はい。条件クリアによって、いつの間にか外に出ているタイプの物件ですね。これは寝室でお話ししようかと考えていたのですが、当物件では、条件がクリアされた後に自動的にこの物件の入り口に戻されます。その際、服や持ち物などは元通りになっており、物件も元に戻っています。全てがリセットされる、というイメージを持っていただければと思います」


 便利なシステムだなと思う。おかげで普通の物件ならば、必ずやらなくてはならない部屋のクリーニングが不要なのだ。その分、費用がかからないので利潤が増す。


「ここで何日が過ごした事例はある?」

「あります。数日とは言わず、年単位で過ごそうと思えば過ごせる物件ですし。たまに一週間単位で借りていくお客様もいますよ」

「じゃあ、調査が長丁場になっても大丈夫だな」

「駄目に決まってるでしょう。今回はただの内見として来てるんですから」

「でも、これまでも事故で閉じ込められたことがあったりするんじゃないの?」

「それが以外と無いんですよね。……事故が闇に葬られているだけの可能性もありますが」


 コンコン、と壁をまたノックしていたお客様が、寝室に行こうかと呟く。その言葉に従って、俺は彼を奥の部屋へと案内した。


「普通の寝室だ。男二人でも問題なさそうなキングサイズ」

「寝るなら一人で寝てください」

「一人で寝たら寒そうだからなぁ。豪華なベッドなのに掛け布団がない」

「そういう仕様です」


 しばらく寝室を眺めていたお客様だったが、すぐに観察をやめてしまった。出る方法を探すなら、ここが一番適切だと思うのだけれども、素人考えなのだろうか。

 次は風呂場に案内をする。こちらもシンプルな風呂場だ。シャワーと湯船。ボディソープとシャンプーのボトルが置かれている横には、入浴剤が何種類か設置されている。


「このボトルとかも備え付け?」

「はい。入浴剤はたまに中身が変わりますが、備え付けです」


 食材もだが、ボトルも入浴剤も一応、人体に影響がないという保証はされているらしい。どうやって調べたんだろうと思ったこともあったが、多分あんまり深く考えない方が良い気がしている。


「最後の部屋はリビングだっけ?」

「机とソファーがあるぐらいの部屋です。テレビはありません」

「冷蔵庫も電子レンジもバーベキューセットもあるのに?」

「はい。外界から隔離された状態の方が好ましいと物件が考えているのかも」

「一応、誰かが設計して作っている筈だしね。それが人間じゃないことは確かだろうけど、何かしらの考えはあるんだろう。物理法則をまるっきり無視してるって訳でもないし」


 ソファーに座ったお客様の向かいに座る。お茶でも用意した方が良いかなと思ったが、そもそもここに俺を閉じ込めた張本人なのだから、もてなす必要は微塵もなかった。


「出る方法は見つかりましたか」

「そう焦らないで。一応、いくつか仮説を立ててこの部屋に来たんだが、ほぼほぼ立証出来なかった」

「えっ、じゃあ」

「焦らないでって言っただろ? まず、俺は抜け道を探した。条件指定型密室構築物件には、いざという時の抜け道が用意されていることが多いんだ。これは物件を建てている途中にうっかり中に取り残された時の脱出口として作られているのではないかという説が学会では有名なのだけれども」

「物件が建て終わったら、そういう抜け道は消すのでは?」

「んー、下手に消すと不味かったりするんだ。多分。そこに抜け道があるという前提で建てているから、消すとバグが生まれやすい。物件として欠陥品になりやすくなるんだろうな」


 お客様がふぅとため息をついてから、口を開く。


「でも、壁には空洞が無さそうだった。何処を叩いても同じ音しか聞こえない」

「抜け道はない、と?」

「いいや。物理的な抜け道が無さそうだ、ということが分かったんだ。それなら、他の抜け道を探すしかない。この物件は、セックスをすると自動的に外に対象を吐き出し、物件内をリセットして元の状態に戻るんだろう?」

「はい」

「それを利用して、抜け出せないか考えてみた」

「なるほど」


 色々考えて内見してたんだな、この人。俺のことを閉じ込めたのは許さないが、ちゃんと出るつもりが感じられたのは好印象だった。


「セックスをしたという判定を何処でしているんだろう、と考えた。バーベキューセットがあるから、閉じ込められた人間が練炭自殺を試みた際、阻止する必要があるのではないか。そうなると匂いで監視しているのかとも思ったんだが……それだと換気扇を回された時に感知しにくそうだなとも考えられる」

「さっき、練炭自殺のこと考えてたんですか。めちゃくちゃ物騒なこと考えてたんですね」

「バーベキューセットなんか置いてる物件が悪い。こんな密室でバーベキューしたら危険だろう」

「それは……そうかもしれませんね?」

「俺が言うのもおかしな話だが、君は少しちょろすぎないか? 堂々と壺を売りつけくるような人間と会ったら、すぐさま逃げた方がいい」


 人のことを状況に流されやすく騙されがちだとよく言えたものだ。セックスしたら出られない部屋に突然閉じ込められた人間が取れる選択肢なんてほぼないのだから、お客様のことを信じて動くしかないのは、俺がちょろいせいではない。


「次に違和感を覚えたのは、ベッドに掛け布団がなかったことだ。ふつうは用意しておくだろう。食材や風呂場ではあんなにサービスが良いのに、肝心の寝室でのサービスが悪すぎる」

「いくら熱くなる行為をするとはいえ、寒いですよね」

「しばらく暮らすことが出来る物件なのに、おかしいだろう。だから、シンプルに布団があると都合が悪いのだろうと考えた。体を隠せるものがあると困るんだ。だから、恐らくこの物件は視覚でセックスの判定をしている」

「赤の他人に見られてるかもと思うと嫌ですね」

「ああ。そうだな。……布団程度で隠されると監視が出来ないということは、ここはそんなに性能が高い物件じゃないんだろう」

「……一応言っておきますけど、顧客満足度は高いですよ。うちの物件」


 つい弊社の擁護をしてしまった。あまり良い会社でもないし、特殊物件になんか関わりたくないと思っているけれど、面と向かって悪口を言われると庇ってしまう。愛着があるのかと問われたら首を横に振るし、なんならこの世から無くなった方がいいとも思ってはいるのだけれど。


「まあ、顧客評価はどうでも良いんだ」

「どうでもは良くないですね」

「とにかく、今大事なのは、ここから出ることだろう?」

「……はい」


 お客様が立ち上がった。すたすたと歩いていく彼を追いかける。


「この物件には、あともう一つ、違和感がある」

「なんですか?」

「セックスをする為なのに盛り上げる小道具がない」

「……それは、お客様の主観では?」

「主観は大事だろ。ムードを作るようなものがない。ラブホテルの方が揃ってるぞ」


 確かにこの物件はただのアパートの一室にしか見えない。けれども、その平凡さがウケているのだ。


「その中で、ラブホテルにありそうなアイテムは泡風呂の入浴剤だ!」

「それは、お客様の偏見では?」

「でも、実際、変だろ? 遊び心を出した物がほぼないこの部屋で入浴剤は目立つ」

「確かにそうかもしれませんが、入浴剤は毎回ラインナップが変わって……いや、待ってください。泡風呂の入浴剤だけは毎回用意されてるかも……」

「ほらな!」


 得意げなお客様の顔がムカつく。しかしながら、ここで言い争いになっても仕方がなかった。

 風呂場に来たお客様は、湯船にお湯を張り始める。


「要は、監視の目を掻い潜ればいいんですよ」


 勢いよく溜まり出したお湯が、ドバドバと音を立てて、声が聞こえにくい。


「俺たちがセックスをしていないのに、この物件からいなくなったのだと錯覚させればいい。例外処理が吐き出されたのだと混乱させて、物件の中をリセットして元に戻してくれるかもしれない」

「確証はないんですか」

「ないよ。でも、試す価値はある。研究では、上手くいかなかったことも重要だから」


 しばらく無言で俺たちは湯船を眺めた。途中でお客様は泡風呂入浴剤をその中にぶち撒ける。泡がぶくぶくと増殖していく。入浴剤なんて何年振りだろう、とどうでもいいことを考えた。


「よし、これぐらいでいいだろ」

「えっあ、ちょっとお客様!?」


 服のままお客様が湯船に入る。


「君も早く入りなよ。服を脱いでも良いけど、脱出出来た時に全裸だと気まずいと思う」

「警察に捕まるのは嫌ですね……」


 湯船に足を入れるとスーツが張り付くのと同時に泡も肌にくっついてくる。気持ちが悪い。嫌な顔をしているとお客様が吹き出した。


「君、今日で一番嫌そうな顔してる」

「そりゃ、しますよ。気持ち悪くないですか?」

「心地よい感覚ではないけど、中々経験出来ないから、楽しんでるかな」

「ポジティブですね」

「君もポジティブになった方がいい」


 広めの湯船だとはいえ、お客様との距離は近い。えっ、あれ、なんか近付いてきてないか?


「あのー、お客様」

「息を大きく吸って。俺たちの姿を隠さないといけないから、泡風呂の中に潜るよ」

「えっ」

「抱きつくけど、我慢してくれ。セックスよりはマシだろ?」


 掛け声の後、どぷんと俺たちは湯船に潜った。いつまで我慢するんだ、とか聞きたかったのに目を閉じるしかない。泡だらけのお湯なんて目に入ったら、とんでもなく痛そうだった。

 泡が耳に入ってパチパチ弾ける。滑りがあるせいで体が安定しない。

 ぎゅうとお客様の背中に巻きつけた腕の力を強くする。離れて、一人取り残されるのが恐ろしい。まるで命綱に縋るように、人間に縋り付いたのは、いつぶりだろうか。非常に癪だけれど、安心してしまう。


「はぁ、帰ってこられたようだ」


 お客様の声に俺は目を開ける。洗濯したばかりのシャツの感触がした。泡だらけでも濡れてもいない。


「出られた……」

「うん。これで、俺も研究成果を上に報告出来る」


 機嫌の良さそうな声だった。俺は、一息つくと時計を確認する。さほど時間は経っていないようだ。今回の事故のことが社長に知られれば、また給料を減らされる。誤魔化すことが出来そうなので良かった。

 お客様のせいで閉じ込められたが、お客様のおかげで出ることが出来た。少々マッチポンプ気味だとは思うけれど、礼を言おうとした時、お客様が口を開く。


「君、特殊物件の不動産屋で働くの嫌なんだろ。特殊物件が無くなればいいのにって、思ってる」


 薄く笑う彼が、俺に再び名刺を差し出してくる。全て分かってる、みたいな表情だった。


「利害の一致だ。俺が特殊物件の神秘を暴き立てて、安全なお仕事にしてやるよ」

「……弊社のブラックリストに入れるのは、勘弁してあげますよ。お客様」


 今後ともご贔屓に、と笑いながら名刺を受け取ってやる。俺が即答したことに少し驚いた彼の顔を見て、胸がすいた。

 親の借金に振り回されて、色んなことをやってきたけれど、これが最初で最後だろう。俺が自分の意思で行う悪いことは。

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