おまけ


 玄関の鍵をがちゃり、と開ける。


 扉を開いて待っていようか――

 でもそれだとなんか焦っているみたいでカッコ悪いかもしれない――

 でもわざわざチャイムを押させるのもな――


 と一瞬の間にごちゃごちゃと悩んで、自分の女々しさに苦笑いをしてしまう。


「……」


 引っ越しをしないといけなくなって、ネットで良い感じのところを見つけて、でもその入居条件のところに『片想い』と書いてあって、なんじゃこりゃ、って思った。ふざけてるのか?いやでも他の項目は至って真面目だし、何かのミスかな。

 と、疑問だったけど、それ以外の条件(駅からの距離とか、部屋の広さとか、角部屋なこととか)が合致したので、ここに住むことにした。

 住んでみるとまあまあ快適で、特に不満もない。

 そのまま一年ほどの時間が経った。


 しかし不満はないけど、不思議なことはあった。いつまで経っても隣の部屋が埋まらないのだ。


 このマンションに人気がないわけではないはず(実際、他の部屋は空きが出るとすぐに埋まってしまうのだ)なのに、なんでだろう。まさか事故物件とかじゃないよな。ちょっと不動産屋の人に問い合わせてみようかな。そういえば私にこの部屋を案内してくれた愛想の良い(ちょっとアホっぽい)姉ちゃんはまだ働いているだろうか――と思っていたのだけど、一ヶ月ほど前、ようやくその謎が解けた。

 それも、いっぺんに二つも。


 ――あ……え、せ、先輩?


 私のことを「先輩」、と呼んでくるのはこの世で一人しかいない。

 ようやく引っ越してきた隣人の、驚いたその表情。


 ――夢子、か?

 ――先輩、どうしてここに

 ――いや、ここに住んでるからだけど

 ――そ……そりゃそうですよね

 ――うん


 よく見慣れた、それでいて懐かしい後輩の姿。

 それを見て、私は、


(……ああなるほど、片想い、片想い、ね)


 と、納得したのだった。



「……」


 苦笑いをしながら玄関の扉を開く。

 こんな風に要らんことをごちゃごちゃごちゃと考え過ぎて、肝心なときに一歩を踏み出せなかったことを、私はずっと後悔していたんじゃないか。


 もう同じことは繰り返さない。


 断られることよりも、嫌われることよりも、なにも言えなかったことの方がずっとずっと辛いことを、私は身をもって知っている。 

 こんな偶然はもう二度とないだろう。

 今度こそ、私は――


「……お、お待たせしました、先輩」


 そう言って、少し戸惑ったような仕草で歩いてくる後輩の姿――それを見るだけで、私はこんなに嬉しくなってしまう。

 そんなこの気持ちを、今度こそ私はちゃんと伝えないといけないのだ。







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入居条件 『片想い』 きつね月 @ywrkywrk

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