二月の雪 回想

清瀬 六朗

愛の回想

 あいはバレンタインの買い物から自分の部屋に戻ってきた。

 まず暖房のスイッチを入れる。でも、出て行く前の暖かさが部屋には残っていた。

 「ここの寮の部屋、いったん暖まると冷めにくいよ」

 そのことばがふと頭に浮かんだ。

 去年、愛が明珠めいしゅじょ一高に合格して、この豊玉とよたま寮の内見に来たとき、いま寮委員長をしている桃子ももこさんが言ってくれたことばだ。


 愛がこの寮の内見に来たのは、今日と違ってよく晴れた日だった。でも、もしかすると今日より寒かったかも知れない。

 愛を案内して寮の説明をしてくれたのは桃子さんだった。

 桃子さんは、この寮の三階にある自分の部屋に愛を連れて行ってくれた。

 広い。

 いま、自分の家で愛が使っている部屋よりも広い。

 それに天井が高い。

 「広いですね」

と愛が言うと、桃子さんは

「わたしは入るときにこの部屋が空いてたからラッキーだったけど、普通の部屋はこの広さの半分だよ」

と答えてくれた。

 この半分の広さとしても、やっぱりいまの愛の部屋より広いだろう、と、そのとき愛は思った。

 「ま、靴脱いで上がって、座って」

と桃子さんが言うので、毛足の長い絨毯じゅうたんの上に上がり、桃子さんといっしょに腰を下ろした。

 桃子さんの出してくれたジュースを飲み、マドレーヌを食べながら、いろんな話をした。

 この豊玉寮の建物は明珠女学館創立のころからあるという。関東大震災のあとだったので、大地震が来ても壊れないように頑丈に造ってある、という話だった。壁も床も分厚くて、だから隣の部屋の音も漏れない。それで、いったん暖まると冷めにくい、という話になったのだと思う。

 この建物は古い。

 「いまの乙女たちに愛想を尽かされないように、トイレとか洗面所はきれいにしてあるし、いろいろ改装はしてあるけどね。でも、床は木のモザイクタイルで、ニスは塗り直してるけど、長いあいだみんなが歩いたところがびみょーにへこんでるしさ、廊下の照明は暗いし、水道の配管もぼろぼろで、水漏れするたびに修理して使ってる、って、そんな状態だから」

と言って、桃子さんは笑った。

 そして、愛に聞いた。

 「わたしがここの寮に入ってるのは、家が隣の県で通うのが大変だからだけど、愛ちゃんはどうして寮に入ろうと思ったの?」

 その問いに、愛はすぐには答えられなかった。桃子さんが続ける。

 「愛ちゃん、家、ひら小城おぎでしょ? 家から通ってもそんなに時間かからないのに」

 愛は、

「あ、いや」

と言ったまま、またしばらく答えられない。

 桃子さんは、まずいことを聞いた、と思ったのかも知れない。

 慌ててつけ足すように

「いや、寮に入ってくれるのは大歓迎だよ。最近、寮に入る子が減って、このままだと、この寮、廃止になっちゃうかも知れないから」

と言う。

 「あ、あの」

 愛は慌てて答えを探した。

 「家、駅からちょっと離れてて、駅までバスなんですよね。本数も少なくて。ふだんはいいんですけど、何かあるとバスが来なくて遅刻してしまったりしそうだから」

と言う。

 「そうかぁ」

 桃子さんは満足そうにそう言うと、マドレーヌを口に入れた。

 ほんとうは、違う。

 妹といっしょに家で暮らすのがうっとうしくなってきたからだ。

 一歳下の妹のゆうは、小学校のころから気が強くて負けず嫌いだったが、中学校に入って、いよいよ姉へ対抗心をむき出しにして来た。一年前の姉よりも高い成績を取ることにこだわり、そして、その目標を達成し続けた。

 妹が嫌い、というわけではない。負けず嫌いで、むきになってこだわるところもいとおしい。はっきりと自分の考えを言えるのもうらやましい。この姉にはもったいないくらいのよくできた妹だと思う。

 それでも、というより、それだけに、なのか。

 高校になってもずっとこの妹に対抗心を向け続けられるのか、と思うと、あと三年も妹と同じ家に住むのが億劫おっくうになった。

 その妹と離れるために寮住まいする。

 愛は、この寮に入ることを目的に、この明珠女学館第一高校を目指したのだ。

 そして合格した。


 それなのに、と、いま、暖かい部屋から外を見ていて、愛は思う。

 その優まで、明珠女学館第一高校を受験して、この寮に入るという。

 優の成績ならば、もっと上の県立高校や、偏差値の高い新治にいはり附属ふぞくにだって合格できるのに。

 その目的は、愛にはよくわかる。

 これからも姉のそばにいて、自分が姉を抜いたかどうか、確かめ続けることだ。

 うっとうしい。

 いっそうのこと、落ちてくれれば。

 優だって、この学校を落ちて、自分の成績にふさわしい学校に通えば、そして、そこで姉のことなど気にせずに勉強することができれば、ハッピーなはずなのに。

 それに、優は、その名まえのとおりよくできる優れた子なのだから、いつまでも姉にこだわって、姉との比較にとらわれ続けるのはよくない。姉のことなんか気にしないで、大きく羽ばたいてほしいのだ。

 いっそうのこと……。

 自分がそう思ってしまったことに気づいて、愛はぶるぶるっと体を震わせる。

 そんなことを思ってはいけない。

 優ならば、もし明珠女一高に合格できなかったとしても、切り替えて次の学校の試験に臨むことはできるだろう。

 でも。

 姉妹だ。

 優が、その強気でさっぱりした気性の後ろに、姉と同じような、気にする、引きずる性格を隠しているとしたら……。

 優には合格してほしい。ほかの、もっと上位の学校を目指すとしても、合格したうえで、姉のいる明珠女に合格したんだから、さらに上を目指す、という切り替えかたをしてほしい。

 入試は進行中だ。会いに行くことはできない。

 だから、せめて、入試が終わったあと、あの子がどんな様子で出て来るか、見に行ってあげよう。

 この寮は学校の門のすぐ近くだ。だから、あの子は必ずこの寮の前を通る。

 寮の前にいる姉を見つけて、あの子はどう反応するだろう?

 きっと、一瞬だけ姉を見つめたあと、ぷいっ、と向こうを向いて、通り過ぎようとするんだろうな。

 そして、合格したら、「一年後には委員長になる」という、去年のいまの時期の桃子さんと同じ立場にいるのは、愛自身だ。

 したがって、あの子が合格したら、寮の内見に来たあの子を案内してあげるのは自分だ。

 どんな話をしてあげればいいのだろう。

 そのときのことを想像すると、愛は、ふと胸のまんなかが温かくなるのを感じた。


(終)

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