部屋探しは慎重に
烏川 ハル
部屋探しは慎重に
「では、行きましょうか」
「はい、今日はよろしくお願いします」
軽く頭を下げて、彼は青い車に乗り込んだ。
不動産屋と一緒に、賃貸住宅を見て回るためだ。
第一志望の国立大学に合格したのだが、前期ではなく後期日程で合格したため、部屋探しが遅くなってしまった。
学生向けの適当な物件は結構すぐに埋まってしまうので、特に後期の場合は、合格発表前から部屋探しを始めたり、それどころか仮契約まで済ませたりする者も多いらしい。
そんな話を知ったのは、実際に受かった後。だから慌てて不動産屋に駆け込んだのだが……。
それでも両親や親戚などから「部屋探しは慎重に」と言われていたので、不動産屋のパンフレットなどで諸条件を見て即決するのでなく、実際にその物件まで行き、部屋の中も見せてもらうことにしたのだった。
――――――――――――
「こちらは学生向けのアパートなので、お値段も手頃。しかも、どうです? いい場所にあるでしょう? 閑静な住宅街ですよ!」
「はあ、そうですね……」
最初に訪れたのは、六畳一間の安アパートだった。
アパートの周りには、落ち着いた一軒家や小さなマンションが多い。確かに良い立地なのかもしれないが、洋介には「閑静」とは感じられなかった。
というのも……。
「……でも、なんだか猫の鳴き声が聞こえてきますね。それも一匹ではなく、結構たくさん」
にゃあにゃあとうるさくて、まるで夏のセミみたいだった。
ただし「夏のセミ」のならば、いくらミーンミーンと聞こえてきても特に意識しないで済むだろう。季節の風物詩として、もう無意識下に溶け込んでいるからだ。
でも猫となれば話が別。ずっと「聞こえてくる」と意識させられて、煩わ
しく感じてしまう。
「ああ、猫ですか。これは……」
洋介とは対照的に、不動産屋は笑顔を浮かべていた。
「大家さんのご好意でね。基本的にペットは禁止ですけど、大家さんが『猫だけは構わない』という方針で……」
親元から離れたばかりの学生が寂しくならないよう、孤独を紛らわせるためのペットとして猫の飼育を許可しているという。
部屋を
そんな説明をする不動産屋の言葉を聞きながら、洋介は思うのだった。それは単に大家さんが大の猫好きなだけではないか、と。
――――――――――――
「学生限定ではないですが、こちらも学生さんが多く入居なされています。ペット可の物件ですが、犬を飼っている入居者はいないはず。皆さん、猫を飼っておられますよ」
続いて案内されたのも、にゃあにゃあにゃあにゃあ騒々しいところだった。
いや「騒々しい」どころか、マンションの廊下を我が物顔に歩いている黒猫もいるではないか。可愛らしい赤い首輪がついているので、野良猫ではなく誰かの飼い猫に違いない。
そして、さらに……。
「ここは軽量鉄骨造りの3階建て。うちの分類としてはアパートになりますが、これくらいの物件ならばマンションとして扱っているところもあるでしょうね。ほら、部屋も広いでしょう?」
「はあ。確かに、中は立派ですが……」
次に案内された物件も、外観や内装などは良い感じなのに、猫の鳴き声が聞こえ続けるという難点があった。
いや「次に案内された物件も」どころではない。
不動産屋が洋介を連れて行くのは、猫まみれの賃貸住宅ばかりだったのだ。
――――――――――――
「こちらが、本日お見せできる最後の物件ですね。ここは……」
「ちょっと待ってください! ここ、アパートでもマンションでもなく、普通の一軒家じゃないですか。無理ですよ、学生の僕には!」
庭付き一戸建てに案内されて、洋介は不動産屋に食ってかかった。
しかし相手は「それが何か?」という涼しい顔で、洋介の言葉を聞き流す。
「お客様のご予算的には、ちょっと厳しいかもしれませんが……。でも、ここも良いところですよ。ほら!」
不動産屋が指さす先は、雑草の生えた庭。ちょうど三毛猫が一匹紛れ込んで、洋介たちの方を見ながら「にゃああああああ」と長めの鳴き声をあげていた。
「あれはお隣さんの飼い猫ですね。この辺りも猫を飼っておられる方々が多く……」
――――――――――――
結局。
一日かけて見て回ったが、まともに洋介が暮らせそうな物件は一つも紹介してもらえなかった。
実は、洋介が「慌てて駆け込んだ」不動産屋の看板に書かれていた社名は「根戸杉不動産」。社長の名前「根戸杉」は「ねとすぎ」と読むのだが……。
これを敢えて「ねこすぎ」と読んで「ネコ過ぎ不動産」とか、濁点の位置だけ一つずらして「ネコ好き不動産」とか呼ばれるような、業界では有名な「猫が飼える物件しか扱っていない」という不動産屋だった。
洋介は「部屋探しは慎重に」の前に、まず不動産屋を慎重に選ぶべきだったのだ。
(「部屋探しは慎重に」完)
部屋探しは慎重に 烏川 ハル @haru_karasugawa
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
関連小説
カクヨムを使い始めて思うこと ――六年目の手習い――/烏川 ハル
★209 エッセイ・ノンフィクション 連載中 298話
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます