事故物件ではありません
むらた(獅堂平)
事故物件ではありません
「この部屋、事故物件とかじゃないですよね?」
突然、嶋村が言った。
「そんなことはないですよ」
安田は苦笑しながら答えた。彼は都内に勤める不動産会社の社員だ。今日は賃貸マンションの内見で、嶋村を案内していた。
「ここに以前住んでいたのは親子三人の家族でした。彼らは引っ越して、生きていますよ」
「そうなんですか」
「ええ。一人暮らしの方の孤独死は多いですが、ここは2LDKでファミリー世代やカップルでの利用が多いので、事故死や病死などはレアケースですね」
安田の言葉を聞き、嶋村は照れながら頭を掻く。
「いやー、さきほど、床に血のシミみたいなのを見つけてしまって、勘違いしました」
「はは。仮に事故物件でも、ハウスクリーニングで体液などのシミはとってしまいますから、残っていませんよ」
「勘違いでお恥ずかしい」
嶋村の耳は恥ずかしさで赤くなっていた。
「先日、お子様連れの方が内見なさいました。その際にお子様がチョコレートを食べていたので、そのシミかもしれませんね。後で拭いておきます」
安田はリビングの窓を開け、換気する。しばらく誰も住んでおらず、彼らが訪れた時くらいしか換気しないため、独特な臭いがたちこめていた。
「ここは、IHですか?」
キッチンを検分しながら嶋村が尋ねた。
「はい。そうです。安全ですし、意外とIHクッキングヒーターは火力が強いですよ」
「へえ」
嶋村はシンクの上にある収納棚を開いた。奥行きや広さはいくつかの調理器具を置くには充分なスペースがある。
「バスルームも見てもよいですか?」
「どうぞ」
玄関からリビングに通路が伸びており、その途中にトイレとバスルームがある。バスルームは広々としており、バスタブは大人二人が入浴できるほどのサイズだ。
「広いですね」
嶋村はありきたりな感想を述べた後、眉をひそめた。
「どうされましたか?」
安田はなにか落ち度があったのだろうかと不安になった。
「私が敏感なだけだと思うのですが、このバスルーム、何か生臭くて……」
嶋村は首を捻る。どこかで嗅いだことがあるがなんだろうかと考えていた。
「すみません。さきほどから変なこと言って。クレーマーみたいですね」
「いえいえ。お気になさらず。自分が実際に住む家ですので、細心の注意を払うことはよいことです」
安田は腕時計を確認して、続けて言う。
「夕飯の時間ですので、近所の方の魚などを焼く匂いではないかと思います。換気扇は外に繋がっていますので、その経路で匂うのはよくあることです」
「ああ。たしかにそうですね。お腹空いてきましたね。何食べようかな」
嶋村は円を描くように腹を擦った。
「その前に、こちらの物件に決めていただけると助かります」
安田は営業スマイルを見せた。
*
*
*
安田はリビングの床にあるシミを拭いていた。特殊な石鹸を塗り、雑巾に力を込める。
(くそっ。俺としたことが、こんなミスをするなんて)
安田は自分の愚かさを嘆いた。
(風呂場もそうだ。あんなにも悪臭が残るものなんだな。鼻がやられていて気づかなかった)
安田は花粉症で鼻づまりを起こしていたため、バスルームの臭いには気づかずに放置していた。
***
**
*
前夜。
「ねえ。もう、別れようよ」
愛人の響子が言った。
リビングはがらんとしていて家具は置かれていない。
「なんでだ?」
安田は響子を睨みつけた。
この部屋は空き物件で、安田は響子との密会場所として使用していた。
「奥さんにバレそうじゃない。それに、私、田舎に帰ってお見合いするつもりだし」
「なんだと!?」
安田はいきり立ち、響子を平手打ちした。彼は常習的に暴力を振るっている。
「やめてよ。こういうことも、嫌なの」
響子は泣きだすが、安田は構わず彼女を殴り続けた。
リビングの床に響子の血痕が飛び散った。
安田は動かなくなった彼女を引きずり、バスルームに移動した。
「解体して、どこかに遺棄するしかないな」
事故物件ではありません むらた(獅堂平) @murata55
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