今は旧き地獄へようこそ

上面

グランギニョル

 花見にはうってつけの春の日和。郊外というよりも山間にある和風の屋敷に女が訪れた。屋敷の縁側には浴衣姿の男が大の字に横たわっていた。読みかけの少年誌やハードカバーの小説が傍らに積まれている。男の髪はくせ毛であり、年は三十路を超えているように見えた。

峡児キョージ、地獄要るか?」

 浅黒い肌に銀髪長髪の女が土御門峡児ツチミカド・キョージにそう尋ねた。

 女はグレーのスーツを上下に着て、中のワイシャツは青く第一ボタンは外していた。もちろんネクタイは締めていない。

「……須佐スサ様、物件ですか物品ですか?」

 峡児キョージは地獄という単語に驚かなかった。地獄は二人の間で驚くべき概念ではなかった。そしてこの女には複数の名前があり、どの名前で呼ぶべきか峡児キョージは一瞬迷った。須佐八一スサ・ヤイチという名前で女は呼ばれることが多い。

「物件だな。古いタイプだ。今行けるか?」

「そういう話ならば、誘いに来る前に言ってください」

 峡児キョージは異界に関心が強く、中でも人工の異界を好んでいた。研究対象としていくつかの異界を所有している。

「どうせ暇なんだからいいだろ」

 




 女の乗ってきた車に乗り、二人は二時間ほど走った。

 地獄と呼ばれる場所に着いた頃には日が暮れ初めていた。

 そこは古く寂れた団地のようだった。人の気配はないが、何か別の気配で充満していた。

「これはよくできていますね。瘴気を集め、それを逃がさない。結界の仕組みもなかなか興味深いですね」

 二人には瘴気と呼ばれるものの濃度が団地敷地内とその外で異なることが認識できていた。

「前の持ち主は死体処理場兼実験室として使っていたみたいだな」

 須佐はひょんなことからこの物件の所有権を得ていた。

 地獄の所有者は幾人もの人間を行方不明にしてきたフリーの呪術師であり、そのため多くの恨みを買い、ついに須佐が殺しにやってきて死んだ。それだけだった。

「在野の呪術師ですか。仕事が良いですね。私のように出来が悪くて追放された者じゃなそうですね」

 呪術には体系があり、その体系を伝える者たちは国家権力か他の権力によって確保されていることが多い。現代では合法違法を問わぬ人体改造によって簡単に殺傷力を得られるようになったため、呪術師を目指す若者は減少傾向にある。

 ちなみに峡児キョージは呪術師の名門である土御門の人間だが、前当主によって追放されている。在野の呪術師は何らかの体系から追放や脱走した者が多い。

「お前が不出来なら一端の呪術師なんていないだろ」

 団地の階段を登り、一室一室を覗いていく。ただの人間では数秒と耐えられない瘴気をそよ風のように二人は涼しい顔をしていた。団地は建てられて年月が経っていたが、虫やカビも生存が不可能な状態であり、そのためむしろ清潔だった。部屋によって気温はマイナス二百度から六百度まで様々であり、それも部屋が清潔に保たれた状態に関係していたかもしれない。部屋が人間の生活に耐えうる環境かどうかは須佐が先行しその肌感覚で判断した。

 二人が団地の内見をしていると空気を切り裂くような悲鳴が聞こえた。元の所有者の関係者ならば即座に始末しなければならない。無関係の一般人ならば直ちに救助しなければならない。救助が遅れれば一般人は死ぬ。

 二人は悲鳴の発生源に走り向かう。

「たすけて」

 犬の胴体に人間の頭が三つくっついたものが助けを求めていた。ケルベロスのようなものだろう。

「すけてすけて」

 また他には人間の身体が二つ背中合わせにされ、首には犬の頭部が三つ置かれたものもあった。それらは動いていたが、生きてはいなかった。これは阿修羅のようなものだろうか。

 口から出てくる言葉は何も知らない犠牲者を呼び寄せるための音に過ぎない。

「須佐様、これは被害者ですかね?」

 峡児キョージは懐から拳銃を取り出しながら尋ねる。現代日本では護身用の銃の所持が認められている。大口径の拳銃であればこのような肉人形でも破壊することは十分に可能だろう。

「もう死んでいるし、ここの瘴気と肉に刻まれた術式で動く肉人形みたいなものだろ。気にせず壊そうぜ」

 須佐が二回指を弾くだけで二つの肉人形は地面の染みになった。

 原理としては空気中の水分を操作し集めた水の塊を高速で叩きつけたのだ。須佐は空気中の水や既に他者の術や能力によって対象とされていない水を自在に操作することができた。

 団地全体が咆哮するような音が響いた。先程二人が確認したときには何も存在しなかった部屋から次々と異形の人獣細工が溢れ出す。人間の肉を組み合わせて作ったドラゴンのようなもの、一角獣ユニコーン以外の材料で作った一角獣ユニコーンのようなもの、手足の全てが大蛇に置き換わったもの。

「凄いですね。獣で部位パーツを水増ししていますがこの数の死体を用意し加工するとは……」

「軽く百人分くらい死体使ってんじゃん」

「敢えて死体を損壊することで死者の感情を逆撫でし負の感情を増幅させたようですね。参考になりますね」

 峡児キョージは死体改造に感銘を受けた様子だった。銃を仕舞い、スマホで人獣細工の写真を取り出している。須佐が前面に立つならば万に一つも負けはしないという余裕があった。

 その光景を偶然侵入してきた小学生数人が見てしまった。

「化け物!?」

 腰を抜かし小学生男子が上ずった声で叫んだ。

 他の小学生たちも嘔吐し失神し、失神して泡を吹き痙攣を起こしていた。

 放っておけばただそこにいるだけで死に至るだろう。

「すまん。貸すから頑張ってくれ。俺はガキを安全な場所に運んでくるから」

 須佐はいつの間にか取り出した直剣を放り投げ、小学生複数人を拾っていった。

 彼女は特別に親切ではない。だが未成年者が危険地帯に足を踏み入れてそれが犠牲になるところを良しとするような者ではなかった。これが廃墟に肝試しに来た大学生だったら逡巡しただろうが。

「承知致しました」

 人獣細工の軍勢が峡児キョージに迫る。人獣細工が備える牙も爪も峡児キョージを死に至しめるには十分に見える。

「掛けまくも畏き大蛇オロチの神よ、その神髄たる天叢雲剣よ。我が眼前の屍肉をば、祓い給え清め給えと、かしこみかしこみ申す」

 峡児キョージは八岐大蛇に対して眼前の人獣細工の対処を祈った。

 須佐八一スサ・ヤイチは壇ノ浦に沈んだ天叢雲剣が八岐大蛇としての自我を取り戻したものであるため、祈る対象はこれで合っていた。

 天叢雲剣の刃から激しく水が吹き出し、人獣細工は水に貪り喰らわれるように消えていった。

 



 結論から言うと人獣細工は一掃され、団地は人間が居住可能な環境になった。

 居住可能になったといえど、廃墟に肝試しにくるような近所の学生が不法侵入し年に二三人死傷している。居住可能ということはインフラが使用可能ということであり、決して一般人の生存可能な環境とは限らないということだ。

 

 

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