【KAC20242】心配性な母、家を出る私
湖ノ上茶屋(コノウエサヤ)
一人暮らしがしたいの!
一人暮らしをしたいと言った時の、母の荒ぶりようったらもう。思い出すだけで憂鬱。父はどうしたかって? あぁ、あの人は空気だから。
「結婚してないのに家を出る必要がどこにあるの!」
とか、色々言われて疲労困憊。
なんで結婚しないと家から出ちゃいけないのか、聞いてみたかった。けど、火に油を注ぐほど、私はバカじゃない。
母の心にこれ以上荒波を立てないことを意識しつつ、立ってしまったらそれをモロに受けないようにって、自分の心にテトラポッドだかテトラポットだかよくわかんないあのイガイガを大量に放って乗り切った。
ヘトヘトになりながらなんとか許しを得て、家探しするぞー! と、ウキウキしながら住宅情報サイトを開く。
すると、背後に母がズカズカとやってきて、
「オートロックがついてなきゃダメよ」
「二階以上じゃなきゃダメよ」
「室内干しできる家にしなさい」
「ベランダなんかいらないわ。洗濯物を干すでもないし」
自分が住む家を探してるんですか? って聞きたくなるくらい、あれこれ言ってくる。
「あー、もう。自分でやるから」
「そんなこと言ったってねぇ」
どれだけ信用がないのやら。
二十を超えた娘に対して、一人暮らしできる能力も、家を探す能力もないと、口では言わないけれど行動で示しているようなものだ。
ああ、だから家を出たいと、自立したいと思ったのかも。なんて、考えながらため息をひとつ。
「コラ! お母さんの話、ちゃんと聞いてる?」
「聞いてる、聞いてる」
「あ、そうそう。部屋見にいく時、お母さんも一緒に行くから」
「……はぁ?」
「あんた一人じゃ決められないでしょう?」
なーんてさ。
あなたが私を信じられないだけでしょう?
内見の予約を済ませると私は、はじめての一人暮らしをスムーズにはじめるために、色々調べた。もちろん、ここに至るまでにもたくさんの調べ物をしている。けれど、現実味がプラスされると、必要なお金もプラスされるみたいだ。
今の予算内で引っ越すのは難しそう。でも、平気。貯金があるから。父や母に金銭的援助を求める必要はない。
過去の私、グッジョブ。
ここで「お金貸して」なんて言ったなら、一人暮らし計画がパーになりかねないもの。
いよいよ明日、内見だ。
空っぽの家を見に行ったことなんてないから、なんだか緊張する。
いつも通りにしているつもりだけれど、どこかソワソワした感じを隠せない。
母とて緊張しているみたい。今日はちょこっと、おっちょこちょい。
グラスが落ちて、カシャンと割れて。「イタッ」って聞こえて、救急箱を開ける音がして――。
「あら、やだ」
「え、大丈夫? 血が止まらない?」
「いや、怪我はちょっとなんだけど」
「ん?」
「熱があるみたい」
人の不幸は蜜の味、というけれど、そんな味、感じたことなかった。でも、今、確かに蜜の味を感じた。
「けっこう日当たりがいいんですね」
資料を手に、担当さんと部屋を見る。
一人暮らしのイメージが、ぶくぶく膨らんでいく。
あれこれ言う人がいないから、しんとしてる。
きっとこれから、ここで暮らしはじめたら、こんな静寂が待っているんだろうなって、私は思う。
それは、とても夢のよう。
そして、とても寂しそう。
「ただいまぁ。お母さん、平気? プリン買ってきたけど」
「あー、ありがとう。それで、家は?」
「いい感じだったから、決めてきた。引っ越しして、片付けが終わったらさ、お母さんのこと、一番に招待するね」
口うるさい心配性の母が、寂しそうにふわっと笑う。
その顔を見て、今になってようやく、私があの部屋で夢のような寂しい時間を過ごす時、母とてここで私がいない時間を過ごすのだと気づいた。
信用がなかったのではなく、寂しかっただけなのかもしれないと、すこぅし思う。
口に入れたプリンが、甘くとろける。
あと何度、母とふたりで「おいしいね」と言い合えるのだろうか。
今、一瞬――一人暮らしがしたくなくなった。
了
【KAC20242】心配性な母、家を出る私 湖ノ上茶屋(コノウエサヤ) @konoue_saya
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