洸龍歴678年/狂焔(後編)

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 ――ヒューイ・ガゼットの実家であるガゼット工務店が放火され、母親が火傷を負った後、数日が過ぎた。


 ガゼット工務店には融資という形で首輪をつけられ、母親を人質に取られているヒューイは、エルドリッジ伯爵の命令どおり、他国から送られてきた飛龍達に言葉を教えていた。


 飛龍に言語を教えるのには、時間を要する。特に、外国の言語に親しんでいる飛龍なら尚の事。

 だからこそ、その飛龍がどんな情報を握っているのか、ヒューイはまだ知らない。

 

 だが、得られた情報を、エルドリッジ伯爵が碌でもない方法に使うのだろうと予想はついた。予想がついたところで、母親の命を握られているヒューイが出来ることは、要求に従うことのみだった。


 ヒューイは血が滲みそうなほど、唇を噛んだ。


 *

 

 ヒューイは、エルドリッジ伯爵の厩舎からの帰り道に病院に寄り、母の容態が安定していることを確認する。母の側には、エルドリッジ伯爵の手勢が控えているものの、面会は許されていた。


 母は、決意に満ちた瞳で、「あたしのことは良いから、逃げなさい」と言ったが、ヒューイにそんなことが出来るはずがなかった。

 

 見舞いを終えたヒューイは、外に出て新鮮な空気を吸い込もうとして、病院の扉を開けた。その時、慌ただしい足取りをした、ヒューイの知っている人物が現れる。


 彼は、獣医師グランの助手で、ヒューイの研究を手伝ってくれていた男性。彼は、ヒューイの母親が火傷したことを聞くと、泣き崩れた。

 

「ヒューイくん、済まない。済まない。俺のせいだ……!」

 

 彼は、ヒューイの足元に、懺悔するように跪いた。 

 ヒューイの実家が放火される原因を作ってしまったのは、獣医師グランの元にいた助手である彼らしい。


 しかし、彼もヒューイに悪意があって、情報漏洩を行っていたわけではない。

 彼もまた、エルドリッジ伯爵に家族を人質に取られ、脅されたのだと咽び泣いて詫びた。しかし、ヒューイの実家が放火されたことを知って、罪悪感で居ても立っても居られず、事情を説明しにきたと言う。


「あなたが悪いわけじゃない。だから、泣かないで……」

 

 ヒューイは、見知った彼を責められなかった。そもそも、戒厳令かいげんれいなど敷いていた訳では無い。いずれ、エルドリッジ伯爵は、ヒューイの研究成果をどこかから知り、同じことをしただろう。


 ヒューイは、獣医師グランの助手の泣き崩れる姿に、未来の自分もこうなるのだと察しがついた。

 身内を人質にされて、誰かを傷つける為の情報を提供させられる。エルドリッジ伯爵の『狂焔きょうえん』は、じわじわと生かさず殺さず相手をいたぶり、利用し尽くす。


 それが、エルドリッジ伯爵の手口なのだと、ヒューイは身に沁みてようやく思い知った。


 *


  

 ヒューイが通うド=イグラシア飛龍士養成学校もまた、不穏な空気に包まれている。生徒たちの間には、伯爵の介入によって起こる変化に対する不安が広がり、それがギスギスとした雰囲気を生み出していた。


 ド=イグラシア飛龍士養成学校も、飛龍に関する情報を多く持っている。龍紋病研究の事例の際は、龍紋病の治療薬に関する利権を得たこともある。それは開発研究に携わった存在として当然の権利を得たに過ぎなかったが、同時に多くの金が動いたこともまた事実。

 

 だからこそ、飛龍に利用価値を見出したエルドリッジ伯爵によって、ヒューイの居場所はまたひとつ、囲い込まれようとしていた。


 *


 一方、エルドリッジ伯爵の娘、ギネヴィア・エルドリッジは学校内で孤立し、自分の居場所を失いつつあった。元々悪名高いエルドリッジ家の名を持つ彼女は遠巻きにされがちではあったが、エルドリッジ伯爵が現実味のある脅威として認知された今、更にギネヴィアは孤立無援になりかけていた。


「ギネヴィアさん!」

 

 その中で、ヒューイはギネヴィアの側に寄り添おうとするが、彼女はヒューイを必死に睨みつけ、激しい口調でヒューイを拒絶した。


「……それ以上、わたくしに近づかないでくださいまし! わたくし、エルドリッジ伯爵の娘なんですのよ!」 

「知ってるよ。でも、ギネヴィアさんから直接何かされたことはない。むしろ、僕のことをずっと助けてくれてた。今更、君のことを嫌いになんかなれないよ……」


 ギネヴィアは、その言葉を聞いて、泣きそうな顔で唇を噛んだ。

 

「……ッ、あなたはいつも、簡単に、そんなことを……! あなたのお母様が、火傷を負ったのは――」

「君のせいじゃない。僕のせいだ。迂闊だった。……君はちゃんと、警告してくれていたのに」


 思い返せば、彼女はずっと父親の影を恐れていた。

 エルドリッジ伯爵という存在の恐ろしさを知らずに呑気に接していたのは、ヒューイだけだったのかもしれない。


「あなたが悪いわけではありません。試みが間違っていたわけでもありません。ただ、想像以上に、飛龍が賢かった。それだけのことですわ……」


 *


 荒れ狂う風が吹き付けるド=イグラシア飛龍士養成学校の中庭で、ギネヴィアは、俯きながらポツリと口にした。


「……わたくし、学校を卒業したら隣国に嫁ぐことになりましたの。お父様の、命令で……」


「!」


 ヒューイは彼女の言葉に驚きを覚える。

 彼にとって、あまりにも、予期せぬ出来事だった。


 彼女の孤独な立場と、伯爵の影に怯える姿を見てきたヒューイは、彼女を守りたいという思いを強く抱いていた。


 ――しかし、彼女の運命は既に決まっていたのだ。


 彼女は、自らの境遇に対して、自虐的な笑みを浮かべて、自棄やけを起こしたようにクスクスと笑う。その後に、ぽたりと一筋、涙をこぼした。

 

「わたくし、伯爵令嬢だなんて名乗って、エルドリッジの名を持ってはいますけれど、権力なんて何も持っていませんの。お父様にとっては、わたくしなんて、いつでも使い捨てられる駒の一つに過ぎません。……いつか、こんな日が来るって、知っていましたわ」

  

 ヒューイが咄嗟に言葉を告げようとした時、遮るように彼女は微笑んだ。

 

「……寂しくなりますわね。あなたと会えなくなるの」


 ヒューイは、その言葉に息を呑んだ。ギネヴィアは、諦めたような微笑を浮かべたままだ。

 

「──君は、それでいいの」


 ギネヴィアは、彼の言葉を聞いて、一瞬目を見開き、瞳を揺らす。彼女の紫の瞳に、涙が溜まっていく。それを振り切るように、彼女は目をこすって叫んだ。


「いいに、決まっていますわ! あなたが死ぬより、ずっと……! 会えなくてもどこかで……生きていてくれるなら……!」


 ギネヴィアは、目に涙を溜めながらも、ヒューイに精一杯の笑顔を浮かべた。


「……わたくしは幸せでしたわ。あなたと、他愛のない時間を過ごせて……。あなたが居てくださったから、ド=イグラシア飛龍士養成学校の日々も、楽しかった。わたくし、独りではなかったから……」


 風が吹き抜ける、ド=イグラシア飛龍士養成学校の中庭で、ギネヴィアは両手を祈るように握りながら、ヒューイと過ごした日々を思い返していた。


 ヒューイもまた、ギネヴィアと過ごした日々を思い出した。彼女と一緒に飛龍に乗ったこと。一緒に厩舎の掃除をした。他愛のない会話をした毎日。龍紋病の研究の為に、一週間決死の覚悟で研究を重ねた。

 

 ギネヴィアが四週間も口を利いてくれなかった結果、ヒューイが流石に拗ねて喧嘩をしたこと。仲直りして、笑いあったこと。

 

「……そういえば、龍紋病を一緒に研究していた頃、あなたと約束しておりましたわね。わたくしが困った時、わたくしのために何でもしてくださるって」

「うん。君が望むなら」


「……わたくし、あなたに、ひとつだけ、お願いしたいことがありますの」


 ギネヴィアの美しい金髪が、風に煽られて靡いた。彼女は、ヒューイに微笑みかける。


「……離れ離れになっても、わたくしのことを忘れないで」


 それだけ告げて、ギネヴィアはヒューイの元から去っていく。

 ヒューイは、彼女を追いかけようとした。

 しかし、エルドリッジ家の手勢、黒鴉くろがらすに属する覆面の男によって、ヒューイの動きは阻まれた。


「時間だ。仕事を果たせ」


 重々しく、黒鴉の男は告げる。


 ギネヴィアだけではない。

 ヒューイにも、最早自由などないのだ。


 *

 

 それからしばらくして、ギネヴィア・エルドリッジの自主退学の報せが、ヒューイの元に届いた。彼女が、あんなに首席にこだわっていた、ド=イグラシア飛龍士養成学校を、自らの意思で退学などするはずがない。


 ヒューイには、理由に察しがついた。エルドリッジ伯爵の意向によって、彼女は、予定よりずっとずっと早く、隣国に嫁がせられることになったのだ。

 

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