一皿を贈る

秋色

The dish for you

 オレ、川岡柊斗には、三分以内にやらなければならないことがあった。


 今から買い出しに行き、速攻、料理の支度を整えておく事。


 桜子さんから突然の電話があったのは、日曜日の緩い気分の朝十一時。


 ――今、弟と散歩してて、近くの公園にいるの。君の部屋から三分位の所。

 この間、言ってたでしょ? いつでも来てくださいって。今から行ってもだいじょうぶ?――


 ――はぁ。い、今からですか?――



 ――ええ。弟に柊斗君の話をしたら、行ってみたいって――





 オレは寝ぼけた頭を何とか軌道修正させようと必死だった。そしてやっと思い出した。

 そうだ。去年の忘年会の帰り、憧れの先輩の桜子さんと帰りが一緒になって、舞い上がって安請け合いをしてしまった事を。

 駅に向かう道で星空を見ながら、ロマンチックな気分に浸っていた。紅い星、青い星。それにほろ酔い気分も手伝って、オレはつい自分を大きく見せたくなってしまっていた。



 何の夢も目的もなく、地方の大学を卒業して会社員になって一年と八ヶ月。


「私、本当は音楽の道に進みたかったの。今も休みの日にたまにギターを弾いたりするのよ。柊斗君は学生時代、何か夢があった?」


 そうきかれて、”何もなかった”なんて答えられなかった。


「オレですか? 料理に興味あるんで、料理人になりたいとも思ってたんです」


「そうなの? すごい」


 嘘ではなかった。そういう世界に憧れてはいた。でも料理なんて作った事ない。作れたらいいなとは思ってたけど。学生時代は部活のバスケの練習に追われていたし。


「そう言えば、崎谷君がいつか、終電を逃して柊斗君の部屋に行ったら、アポ無しなのにすごいご馳走されたって言ってたものね」


「あ、そんな話、広まってたんですね」


 それはそうだったかもしれないけど、あれは商店街の福引で当てた有名レストランのビーフストロガノフのレトルトだったし。

 だけど桜子さんから褒められていい気になっていた。

 桜子さんは仕事が出来るのに、いつも謙虚で後輩の気持ちだって尊重してくれる人。オレ、正直、タイプだし。


「今度いつか、私にもごちそうしてね」


「いつでもいいですよ」

 その時はまた、有名レストランのレトルトを買えばいいさ、なんて思ってた。


 オレは酔っ払っていたので、多分そんな会話だったんだろうという位の事しか思い出せない。確か、「その時は弟を連れて行ってもいい? 一回り離れた弟がいるんだけど、子どもの頃に母が亡くなっていて、マトモな料理を作ってあげられなくて」みたいな事を聞いたと思う。というか、オレ、まるで料理の天才みたいに勘違いされてる?


 しかも今、レトルトすらも切らしていた。


 桜子さんは、「途中でケーキと紅茶を買っていくから。私、紅茶いれるの、得意なの」と締め括り、電話を切った。





 住んでいるアパートのすぐ横にコンビニの入ったビルがある。うまく行けば、何か良いレトルトがあるかもしれない。このコンビニはいつも店頭に、少しだけど季節の野菜や果物を置いていた。レトルトに、そういった野菜を少しミックスさせようか。


 ところがコンビニに着くと、店先には少しキズのあるリンゴのパックと隣県産のほうれん草位しかない。

 店頭に張り紙がしてあり、「昨日からの近畿地方の大雪のため入荷が遅れています」と書かれてある。

 店の中も食品類は、品薄で何も残っていない。レトルト類さえも。

 まあ、自分が作れるもののレパートリーからするとこれで十分なんだ。

 オレは三分で食材を買って部屋に戻った。



 部屋に戻り、準備をする。

 鍋に水を入れ、沸騰させる。、


 インターホンが鳴った。ドアの向こう、スコープ越しに桜子さんと眼鏡をかけた少年の姿がみえる。


 ドアを開け、二人を招き入れた。コートの下は普段着なのに、上品なセーターで桜子さんらしい。眼鏡をかけた五分刈りの少年は礼儀正しく、挨拶をした。原田冬真とネーム入りの塾仕様みたいなカバンを抱えている。日曜の午前に塾帰りなのか。


「さあ、二人ともこっちに座って。今、作ってるところなんで」


「ありがとう。何だか図々しく来ちゃってごめんなさい。とても綺麗な部屋なのね」


 綺麗と言うより、何もない。何を置きたいのか、自分にポリシーないし。友人達が、人からもらった物や好きな漫画やゲーム関係の物で部屋を埋められるのが羨ましいとさえ思っている。


 オレは、コンロの前に戻り、沸騰した鍋に塩を入れる。量はスプーンで正確に。そして根を十字に切ったほうれん草を根の方からサッと回し入れ、蓋をした。


 少年は、漫画の本一冊もないオレの部屋にある置き時計に興味を惹かれていた。あれは一人暮らしを始める前に、母がプレゼントしてくれた物。いつもスマートフォンだけで時刻を確認するのは良くないって。


 やがて鍋からうっすら蒸気が上がると、蓋を取り、中のほうれん草をひっくり返して、また蓋をした。再び蒸気が上がると、鍋を洗い場に持っていき、中身をザルに開け、水にさらす。しっかり絞って水を切ってから、包丁で均一に切る。そしてさっき胡麻をすって調味料を入れておいたすり鉢へと入れ、ていねいに和えた。



 何分か後、白いテーブルの上には、ほうれん草のごま和えと白米のご飯茶碗だけがのっていた。


 オレは、テーブル越しに二人に向かい合った。そして深々と頭を下げた。


「ごめんなさい。食材がなくてこれしか作れませんでした。いや、食材があっても、ホントは作れるのはこれだけなんです。

 子どもの頃、よく遊びに行った田舎のおばあちゃんちで教えてもらった料理なんです。これだけでもしっかり覚えておきなさいって言われて。

 料理人には憧れたけど、ホントは料理なんて出来ないんです」



 桜子さんと少年は、ごま和えを口にすると、顔をほころばせた。確かにこの料理には安定性がある。おばあちゃんの教え方が良かったのか。


「美味しいです。これ、昔お母さんが作ってくれていました」少年はしみじみ言う。


「料理できないって言うけど、出来てるじゃない。こういうの作れる人、尊敬する」桜子さんも言う。


「いや、でもこれだけだし」



「いいえ。私、正直、崎谷君の話を聞いた時より驚いたのよ。私は高校生の時、母が亡くなったので、あまり教えてもらえてなくて。いつもいい加減な料理しか作れなかったの」



「いや、でも、あの。嘘ついてた事、謝ります」


「嘘じゃないよ。正しい方の時計がどっちかってクイズ知ってる?」


「何ですか? それ」


「ある人に腕時計をプレゼントしたいけど、二つあるうち、一つは完全に止まっていて、もう片方は一分遅れているの。相手は少しでも正確な方の時計がほしいって言うんだけどね」


「その二択ですか……」


「みんな、少しでも正確な方の時計は一分遅れの方だと思うけど、違うのよ。止まってる方なの。止まってる時計は少なくとも一日に2回は正確な時刻を示すから」


「自分なら一分遅れを選びますけどね。でもそう言われてみれば止まっている時計は一日に二回は正しい時刻と言えますね」


 何か、もはや自分の料理を褒められているのか、けなされているのか分からなかった。

 でもたくさんのインスタント料理より、一つでもきちんとしたレシピを知っている方がいいという事か。

 確かにほうれん草のごま和えなんて地味な料理、子どもの頃は、なんでこんな物、よく食卓に並ぶんだろうと思ってたけど、こうして今日、口に入れると、意外な程に美味い。


 桜子さんと冬真君と僕とでその後、ケーキと紅茶のティータイムを過ごし、ちょっとした食事会は終わった。


「今日は楽しかった。実はね、この春から冬真は県外の寮のある私立の中学へ行くの。だから、料理の思い出を作ってやりたかったのよ。だから君の近くの公園に来た時、どうしても連絡してみたくなったの。今日はありがとう。そして突然押しかけてごめんね」


「いえ、いいんです。楽しかったんで」



 日曜の午後、二人が去っていった道を名残惜しく見つめ、ふと考えた。

 止まってた心の時計もそろそろ動かそうかな、と。



〈Fin〉

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

一皿を贈る 秋色 @autumn-hue

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ