第3話 それでも人生は続く

 社会人になって、鬱病になった。

 50人に1人が鬱病と言われる現代日本では、今やポピュラーな病気だ。


 しかし、福祉業界で働いていると言ったら、「あぁ、大変な仕事だもんね」と誤解されがちだから、釈明させて頂きたい。

 利用者さんと向き合う覚悟は就職活動中にできていた。

 誤算だったのは、パートにヤバいおっさんがいたこと。


 常に私を監視しているのだ。

 同じグループに配属されたので、部屋にいる時は俺の仕草1つ1つを暗い目で凝視してくる。

 また、自分のミスは私の指示ミスだと責め立てる。その後、「具合悪くなった」と言って帰る。


 今思えば、何もかもおかしかった。私に親でも殺されたのかと錯覚してしまうほどの執念で、私をいじめてきた。

 そう。あれはいじめだった。


 朝、顔を合わせる度に嫌味を言う。

 仕事を押し付ける。

 他の職員がいる中で、大声で罵詈雑言を浴びせる。

 etc‥‥‥。


 50代のパートの男が、新卒の正職をいじめる。

 こんなことは言いたくはないが、階級的には私が上なのである。

 この現象を調べたけれど、名前は名付けられていなかった。

 大きく括ると「ハラスメント」なのだろうが、パラパラやモラハラと言った種類分けはされていない。

 名前が無いというのは、それだけで不穏になっていく。そんな状況が続くと、精神が病んでくるのは必然だった。


 辞めるという選択肢もあったはずだが、「あのおっさんが死ぬまであと30年くらいかな‥‥‥。それまで耐えよう」とか、視野が狭すぎることを本気で考えるくらい、限界が近かった。

 そんな中、勤務中にぶっ倒れて休職するに至った。


 医務室で目が覚めた時、もう私の人生は終わったと感じだ。

 もう、ここからの逆転は不可能だ。幸せになれる展望が見えない。

 人生のバッドエンド。

 そう思った6月の雨が降る日だった。

\



 それでも人生は続く。


 一日中、身体が怠く外に出る気力が無くなった。

 あれだけ好きだった小説が読めなくなった。

 朝、靴下を穿くことすら出来ずに、1時間その場で固まった。


 不幸中の幸いだったのは、復帰への手助けを職場がしてくれたこと。

 そして、実家に戻った情けない息子を、両親は社会復帰を急かすことなく寄り添ってくれた。

 さらに、心療内科で当たりの先生に巡り合うことができた。咳払いの件も話すことができて、長年積み重ねてきたものを吐き出すこともできた。

 この3つが巧く交わり、4ヶ月で復帰することができた。


 その間で、例のおっさんは退職していた。

 もしかたら、辞めさせられたのかもしれない。

 また働くことができているのを、復職から1年経った今でも不思議に思う。

 もう、私という人間は終わったと思っていたから。


 そして、丁度1年前、夢の方にも動きがあった。

 仕事の休憩中、何もしないでボーっとしてたら「この時間を利用して、何か書いてみよう」と思い至った。


 スマホのメモ機能に、ツラツラと文章を打ってみた。

 書き出してみたら止まらなかった。主人公に自分ができなかったことをしてもらい、過去の自分を救っているような気持ちになれた。

 生まれて初めて、黒歴史が役立った体験だった。

 今まで隠していた己の汚い部分が役に立つ執筆という作業に、私はのめり込んでいく。

 思うがままに書き続けること1ヶ月。


「‥‥‥できたのか?」


 疑問系になるくらい実感は無かったが、物語としてのゴールテープは切れたような気がした。


「え? できたけど、これどうしよう。誰かに読んでほしい」


 生まれて初めて小説らしきものを完成させることができた私は、一種の興奮状態だった。

 小説を発表できるサイトがあったはずだとネットサーフィンをすると、カクヨムに辿り着いた。


 1人でも良い。誰か読んでくれ。

 そんなピュアな想いでカクヨムデビューをしたこの男、2ヶ月後には「星が欲しい! ランキング上位になりたい! 書籍化したい!」と欲望が全開になるのだが、それはまた別の話。


 執筆中毒になるきっかけになった小説のタイトルは『バッドエンドの続き』と名付けた。

 負けて負けて負け続けても、人生を終わらすことができなかった男の話だ。

 

 咳払いは相変わらず苦手だし、世の中の違和感にストレスを抱えることもある。


 でも、今はカクヨムというフィールドがある。

 黒歴史は依然続いているけど、自分を解放できる場所を見つけた現在の私は、ほんの少しだけ人生が楽しくなっている。

 


 

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戸惑って怒って悲しんで狂って生きて カビ @adatitosimamura

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