【KAC20241】love&peace!

音雪香林

第1話 焼き鳥屋。

私には三分以内にやらなければならないことがあった。

あと10本……焦りながらカットされたぼんじりを串に刺していく。


ここは親戚がやっている16時開店の駅前の焼き鳥屋で、私は臨時のバイトなのだ。

24歳にも関わらずこれまで一切の就労経験なし。


大学卒業後すぐに専業主婦として家庭に入った。

今どき珍しいだろうが、メンタルに少し問題があるため仕方がない。


むしろ結婚できたことすら奇跡。

親戚筋の店とはいえ、雇ってもらえたのも同じく奇跡。

私は運がいい。


それにしても、肉を串に刺すだけなんて簡単だと思っていたが、立ちっぱなしだし結構コツがいるし、本数を稼がなきゃいけないからずっと同じ作業をしている腕は腱鞘炎になりそうだ。


「もうすぐ開店だよ!」


店長の声にいよいよ切羽詰まって来たのを感じる。

この焼き鳥屋はお持ち帰りの予約も受け付けていて、私が串に刺しているぼんじりは16時に受け取り予約している人の分だ。


最近卓上焼き鳥器を買ったというその客は、焼くのは家でできるから下準備だけしておいてくれということだった。

だいたいの客は多少遅れてくるとはいえ、油断は禁物。


調理用の手袋を着けて黙々と肉を掴んで刺すを繰り返し、最後の一本が完成した直後に「開店でーす!」とシャッターが上げられた。


駅前ということもあり、人通りが多い。

数分すると電車が到着したらしく、改札から雪崩れるように人が吐き出されていく。


そのうちの一人が心なしか軽い足取りでこちらにやって来た。

白髪交じりの、トレンチコートを着たちょっと下膨れのおじさんだ。


「こんばんは。はいコレ」


レジ打ち担当の子が受け取ったのは予約確認書だろう。

おじさんに「少々お待ちください」と告げた後こちらに視線が向いたので、透明のブラスチック容器に下味をつけてあるぼんじりの串10本を入れて輪ゴムで止め、レジ対応の子に渡す。


「レジ袋ご利用ですか?」

「うん、お願い」


見た目通りオラオラ系ではなく柔和な受け答えのおじさんに、なんとなく好感を持つ。


レジ対応の子がレジ袋にぼんじりの串10本が入っている容器を入れて差し出すと、おじさんは受け取りながら。


「ぼんじりって脂がのっててジューシーで美味しいよね。このあとコンビニでビールも買う予定で、今から楽しみなんだ。ありがとう」


とお礼を言ってくれた。

お客さんの中には横柄な人もいるが、たまにこうして嬉しい言葉をかけてくれる人がいる。


そういうとき、私は単純だけどバイトに入ることができて良かったなと思う。

それも今日で終わりなんだけど。


別にクビになったわけじゃない。

もともと一週間だけの約束だった。


三時間後、私は他のバイトの子がまだ働いている中、ひとりバックヤードに戻り帰り支度をしていた。


なぜ三時間かと言うと、主治医が私の病状から許可を出せる勤務時間はそれくらいだと言っていたからだ。

そこに店長が現れる。


「今日で最後だね。お疲れ様。これ、お給料」


私は差し出された茶封筒を、卒業証書授与のときのように恭しく両手で受け取った。


一日三時間、しかも一週間という短期間。

普通の人からしたら雀の涙ほどの金額だろう。


だが、私は胸が震えた。

嬉しかったのだ。

目頭が熱くなって泣きそうになりながら、なんとかお礼を述べる。


「ありがとうございます。雇ってくれた上に、振り込みじゃなく手渡しでお給料が欲しいっていう無茶まで叶えてくれて」


店長は苦笑した。


「このくらい無茶じゃないよ。それにこっちも助かったんだ。もともと串に肉を刺す係だった子が手首捻挫しちゃったところだったから。君は真面目だし、機会があったらまたバイトしに来てよ」


社交辞令とわかっていても、とてもとても嬉しかった。

私はお給料袋を慎重に鞄の中のチャックのあるポケットに入れ、店長へと深くお辞儀した。


お互いに今後も親戚の集まりなどで顔を合わせる機会もあるので「じゃ、また」と再会を前提としたあいさつをして別れる。


そして私は近くのデパートに行って、プレゼント用の少し高級感のある男性用のハンカチをもらったばかりのお給料で買った。


帰宅すると、夫はまだ会社から帰っていないようだった。

だいたいいつも21時くらいに帰宅するので、これから晩御飯を作っても間に合う。


焼き鳥屋でのバイトは夫には秘密にしているので、いつもなら「早く帰ってこないかな」と思っているところだが、ここ一週間は都合がよかった。


私はバイトに行く前に下準備して冷蔵庫に入れていた食材を取り出し、調理を開始する。


常々思っているけれど、圧力鍋を開発してくれた人には五体投地で感謝したい。

すごく便利。

そんなこんなで晩御飯が出来上がったころ、タイミングよく夫が帰って来た。


「ただいまー」


ダルそうな声に、朝から晩まで働いていたら疲れるのも当たり前だろうと、心の底からいたわりの気持ちがわいてくる。


私は短時間でも心身ともにかなり疲弊したというのに、夫はその倍以上の時間を会社に拘束されているのだ。

手を洗い、タオルで拭いた後、忍ばせていたプレゼントを夫に差し出す。


「おかえりなさい。そして、誕生日おめでとう」


夫はしばしきょとんとしたあと、徐々に言葉の意味が脳みそに浸透したらしく、目を見開いた。


「俺、今日誕生日だったんだ! 日付の感覚なかったー! ありがとう!」


夫は両腕を広げ歩み寄ってきて、ぎゅっと私を抱きしめる。

あたたかい。


夫に与えられるこの安心感の対価がちょっと高級なハンカチなんて安すぎて、こんなに喜んでもらえると申し訳ないような気もするけれど、それを口にするのは野暮であろう。


購入費がバイト代であることも明かすつもりはない。

これまでの行動はすべて私の自己満足によるもの。


感謝したいのであって、感謝されたいわけではないのだから。

愛情は無償だけれど、その愛情を維持し続けるには対価がいる。


少なくとも私はそう思う。

だからこそ夫を愛し続けられるように、ここぞというときは頑張るし、普段の時間はこれ以上病気を悪化させないよう注意する。


バランスのとり方を学んでいければいいな。

夫が「料理も豪華じゃん!」とスマホで写真を撮ってくれている姿が愛おしい。

私の幸せにはあなたが絶対に必要だから。


だからこそ対価に喜びを提供する。

私はちょっと腹黒いのかもしれない。


でもこんな私を選んだのはあなただから。

覚悟してね、旦那様。


これこそ私の作るlove&peace!




おわり

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