第2話 本編


 本編

 スポット1


 お父さんは、鳥取砂丘の駐車場に車を停めた。

 砂丘はすぐそこである。

 直線距離だと30メートルも離れていないのではないだろうか。

 でも見えない。

 広い駐車場と砂丘の間は、固い砂地が土手のように盛り上がり、視界を遮っているのだ。

 鳥取砂丘は、この土手の向こうに広がっているため、土手を越えないと目には映らない。


 「お父さん、お母さん。

 早く行こうよ!」

 私は声をかける。

 両親はさっきから、『鳥取砂丘総合案内板』の前で立ち止っているのだ。


 「ラクダと記念写真だけじゃなくて、もって色々と体験しましょうよ」

 あまりノリ気でなかったお母さんだが、鳥取砂丘に到着すると一気にテンションがあがり始めたようであった。

 「スノーボードみたいなやつか?」

 「サンドボードね」

 お父さんの言葉をお母さんが訂正する。

 「パラグライダーもあったわよ」

 「あれは、ちょっと怖いな」

 「レンタル自転車はどう?

 砂丘を走るために、タイヤが太くなっている自転車があるみたいよ」

 

 「ねえ、早く」

 再度急かしても、両親は、何を体験してみようかと悩むだけで、動こうとはしなかった。

 「先に砂丘を見てくるね!」

 私はがまんできず、すぐ横にある階段に向かって駆けだした。


スポット2


 「わあ!」

 階段をのぼり切った場所で、私は思わず声をあげた。

 広い。想像以上に広い。

 一面の砂丘だ。


 正面はどこまでも下る斜面が広がり、その先に大きく横に長い丘がある。

 馬の背と呼ばれる丘だ。

 高さは47メートルもあるらしい。15階建てのマンション位の高さと言うから、物凄く高いはずだが、砂丘自体がとてつもなく広いため、ここからの眺めだと、そこまで高くは感じない。

 馬の背の向こうには海が見える。

 日本海だ。

 ここから波打ち際まで、4~500メートルほどの距離だろうか。


 砂丘と言っても、砂ばかりの風景では無かった。

 斜面を降り切った所には、背の低い草が茂っている一帯がある。

 オアシスと呼ばれる場所である。


 広い砂丘のあちこちに点在する観光客は、まるで砂場にいるアリンコのようだった。

 「いいなあ」

 私はつぶやいた。

 アリンコのようになって、砂の風景の中を歩くのは素敵だと思う。


 「ねえねえ」

 そのとき、前方の斜面から声がした。

 「こっちにおいでよ」

 声のした方を見ると、女の子が私に向かって手を振っていた。

 女の子は、私と同年代に見える。


 「ここから風紋が良く見えるの。

 とっても綺麗だよ」

 風紋とは、風によって砂丘の表面に作られた波状の起伏である。

 

 私は後ろを見た。

 お父さんとお母さんは、まだ階段をのぼって来ていない。

 「大丈夫。見晴らしがいいから、迷子にならないよ」

 女の子は「早く早く」と、笑顔で手を振る。


 もっと近くで見たくなるような、女の子の笑顔である。

 もっと近くで聞きたくなるような、女の子の声である。

 気がつくと私は斜面を降り、女の子に近寄っていた。

 「あなた、誰?」

 「カゲロウよ。

 私はカゲロウって言うの」

 

 カゲロウ?

 カゲロウとは、温度差によって、遠くのものがふらふらと揺れて見える、あの現象のことだろうか?

 名前? それともあだ名?


 「こっちよ」

 女の子は、私の手を引っ張った。

 ふわふわとした力だが、妙に逆らうことが出来ない。

 私はカゲロウに引っ張られるまま、斜面を降りていった。


 スポット3


 気が付くと、私は草地にいた。

 小さな池があり、その周辺に広がる草地だ。

 水は流れていないけど、小川のような跡もある。


 女の子が言っていた通り、ここに来るまでに、綺麗な風紋を見た。

 どこまでも続く、波のような風紋だ。

 風紋だけでは無く、砂が不思議な形を作る、砂柱も見た。

 砂が斜面を滑り落ちることで描かれる、砂簾も見た。

 ……あれ。

 案内されるままに見てきた風紋、砂柱、砂簾を思い出した私は、引っかかるものを感じた。

 ……何かがおかしい。


 砂丘について勉強してきたことを思い出す。

 風紋が出来るには、乾いた砂と毎秒5メートルから10メートルの風が必要だったはずだ。

 砂柱が出来るのは、雨の後だ。湿った砂丘に、毎秒12メートル以上の風が吹くことが、砂柱が生まれる条件である。

 砂簾は、雨で濡れた砂が乾き始めたときにだけ、斜面で見ることが出来る現象である。

 発生する気象条件がそれぞれ違うのに、同時に見られるはずはないのだ。

 風紋を見たという記憶が、なんだか夢の中のことのように感じられてくる。

 

 私はあたりを見回した。

 ぼんやりとしていた視界と意識が、はっきりとしてくる。

 どの方向も砂丘が迫り、その向こう側が見えない。

 元いた場所がどこなのか、駐車場はどの方向にあるのかが、分からなくなっていた。

 カゲロウと名乗った女の子は、焦り始めた私をニコニコと見ている。

 「ねえ、私たちは、どっちから来たの?」

 「ここは、オアシスと呼ばれる場所なの」

 女の子は、私の質問には答えず、別のことを口にした。

 「知ってるわ。

それより、最初にいた場所は……」

 「水が溜まっているでしょ。

 他の場所は、雨が降っても、すぐに砂に吸収されちゃうけど、ここは違うの。

 砂の下に火山灰層があるから、しばらくは水が溜まるのよ」

 女の子の説明に、私は興味をひかれた。


 「色んな生き物が、このオアシスに集まるのよ。

 ウサギやキツネ、イノシシがやってくることもあるの」

 「イノシシが?」

 私は少し驚いた。

 そんな大きな動物が、砂丘に現れるのだ。


 「虫もいるのよ。

 ハマスズというコオロギに似た虫。

 アナバチやオオハサミムシ。ハンミョウ。アリジゴク。

 不思議なのはカエルよ」

 「カエルがどうして不思議なの?」

 私は思わず質問してしまう。

 何かがおかしい。

 女の子と話していると、どの方向から来たなど、どうでもよくなっていくのだ。


 「このオアシスでは、カエルが見つかることがよくあるの。

 卵を産んで、オタマジャクシに孵ることもあるんだって。

 でもね、オアシスって言っても、しょせん大きな水溜まりでしょ。

 真夏日が続くと、水は完全に干上がって、卵もオタマジャクシも全滅しちゃうの。

 だけど、また大雨が降って、オアシスが出来ると、全滅したはずのカエルが、いつの間にか現れているのよ。

 不思議でしょ。

 一体、どこからカエルはやって来るのかしら」

 「それは……」

 単純に外界からと私は思ったが、オアシスの周囲は砂丘である。

 一番近い防風林までであっても、200メートルは離れているじゃないのだろうか。

 しかも、砂の丘を越えなくてはならない。

 距離も丘の高さも、小さなカエルにとってはとてつもない障害である。

 さらに、カエルは乾燥に弱い。

 砂丘の外から自力でやってくることは、不可能なように感じられた。


 「私はね、カエルに操られたカエル人間が、ここまでカエルを運んで来ていると思うんだ」

 「カエル人間?」

 突拍子もない話になり、私は呆気にとられた。

 「ここにカエル王国を造り上げるため、人間を操り、はるばるとやって来るのよ」

 女の子は笑顔で告げた。

 「新たな領土を作るために!」


 私は恐怖を感じて後退り、女の子から距離を取った。

 「そこ」

 女の子が、不意に私の足元を指さした。

 「そこに、アリジゴクの巣があるわ」

 私は、反射的に自分の足元を見た。


 アリジゴクの巣は、砂地や細かい砂利の地面に掘られた、すり鉢状の穴である。

 穴の底に潜んだアリジゴクは、迷い込んだ、アリやダンゴムシなどの小さな虫を捕まえてエサにするのだ。

 けど、私の足元に、アリジゴクの巣穴は見当たらなかった。

 

 視線を動かしてアリジゴクの巣穴を探すと、私はバランスを失った。

 足元の砂地が傾いていく。

 「きゃ!」

 小さく叫んだ瞬間、あたしは砂地に転がった。

 転がっただけではなく滑り落ちる。

 いつの間にか、足元が急斜面に変わっていたのだ。

 こんな斜面は無かったはずである。

 私は何とか、頭を上、足が下になる姿勢でうつぶせになり、危ういバランスで止まった。

 力を込めれば、砂がサラサラと崩れるため、立ち上がることが出来ない。

 この斜面は、どれほどの高さがあるのか。

 それを確かめるため、足元の方へ首を回した。

 そのとき、これは、ただの砂丘の斜面では無いことに気づいた。

 巨大なすり鉢状になっている。

 まさか……。

 信じられないことだったが、嫌な予感が的中した。

 穴の底から、クワガタムシの顎のようなものが現れたのだ。

 ただし、サイズは桁違いである。

 片方だけで、大人の腕ほどもあるのだ。

 アリジゴクの化け物であった。


 ガチガチと顎を鳴らし、私が穴の底まで滑り落ちるのを待っている。

 私の爪先とアリジゴクの顎の距離は、1メートルも無い。

 アリジゴクは獲物を捕まえると、毒と消化液を注入し、体液を吸いつくすと言う。

 そんな目には遭いたくない。

 

 私は、なんとか斜面を這い上がろうと手を伸ばしたが、その動きで砂が崩れ、体がずり下がった。

 アリジゴクとの距離が近くなる。

 顎との距離は、もう30センチも無いだろう。

 動けば、斜面をずり落ちる。

 だけど、ジッとしていても、いずれは穴の底に滑り落ちてしまう。

 

 大丈夫。慎重に動けば、砂は崩れない。

 私は自分にそう言い聞かせると、もう一度、上に向かって手を伸ばした。

 細かな砂に、伸ばした手が沈む。

 と、砂の中で、何か硬いものに触れた。

 しかも大きい。

 私の体重を支えられる、大きさと硬さがある。

 

 私は、その硬いものに手を掛け、体を引き上げた。

 その硬いものは、砂の中に引っ掛かっているようでずり落ちない。

 助かる!

 私はさらに、体を引き上げた。

 周囲の砂が、ザーーッと一気に崩れ、その硬いものが姿を現した。

 それは、体液をすべて吸い取られ、ミイラのように乾燥した人間の死体であった。


 「きゃあああああ!」

 私は甲高い悲鳴をあげ、ミイラから手を離した。

 すり鉢状の斜面を一気に落ちていく。

 その瞬間、穴の縁に立ち、私を見下ろす女の子と視線が合った。

 カゲロウと名乗った女の子。

 私は、アリジゴクが成虫に育つと、ウスバカゲロウになることを思い出した……。


 スポット4


 私は目を開けた。

 お父さんとお母さんが、私を覗き込んでいる。

 「気が付いたか?」

 「良かったわ」

 二人は安堵した顔になった。

 「ここは?」

 私は、上半身を起こした。

 木製の長椅子の上に横たわっていたのだ。

 「鳥取砂丘ビジターセンターだよ」

 お父さんが私を支え、お母さんが水の入ったペットボトルを手渡してくれた。

 案内カウンターから職員の人がやってきた。

 「大丈夫ですか?

 救急車を呼びましょうか」

 「いえ、もう平気です。

 ありがとうございます」

 お父さんが答えると、職員の人は戻っていった。

 「砂丘の斜面で倒れていたのよ。

 たぶん熱中症だわ」

 母が心配そうに、私の顔を覗き込んだ。


 風紋も、アリジゴクの化け物も、すべて夢だったのだろうか。

 私はカゲロウと言う女の子のことを思い出した。

 夢と言うには、記憶がリアルであった。

 最後に色々と聞かれたような気がする。

 アリジゴクの巣穴の底に落ち、もう駄目だと思った瞬間、カゲロウがふわふわと降りてきたのだ。

 降りて来て、私にいくつかの質問をしてきた。

 「どこから来たの?」「倉吉市?」

 「そこは遠いの?」「綺麗な土はある?」

 「助かりたい?」

 私は「助かりたい」と答えた。

 するとカゲロウは、こう言ったのだ。

 「じゃあ、手伝ってね」

 

 カゲロウとの会話を思い出す私は、自分の右手首に生えている、奇妙なものに気がついた。

 長さ3センチほどの、糸のようなものである。

 10本ほどが一列に生え、先端に指先ほどの白い卵のようなものが揺れている。

 いや、卵のようなものではない。

 これは卵だ。

 ウスバカゲロウの卵である。

 本来の数十倍の大きさがある、ウスバカゲロウの卵だ。

 右手首に、産み付けられたのである。

 私はカゲロウに操られる、ウスバカゲロウ人間になったのだ。

 

 「まだ、ぼーーっとするのかい?」

 「今日は、もう帰りましょう。ね」

 お父さんとお母さんが気遣うように言ってくれる。

 私は頷いた。

 そう。新たな王国を倉吉市に造り上げるため、はるばる向かわねばならない。

 立ち上がった私は、お父さんとお母さんに笑顔で告げた。

 「帰りましょう、倉吉市に。

 新たな領土を作るために!」


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鳥取県 鳥取砂丘での怪異 七倉イルカ @nuts05

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