【黒歴史放出祭】パパ上様日記 ~あのときどう思ってたのか~
ともはっと
今となってはわからないままに
私は。
人を、殺したことがある。
とはいっても、それは肉体的なものではなく、精神的なものでの殺しだ。
とても簡単な話だ。
人は、簡単に死ぬ。殺すことができる。
物理的に言えば、そこらにおいてある物体。硬いもので殴れば人は当たり所が悪ければ死ぬ。時には、その辺りに落ちている紙でも、ホッチキスの芯でも、ボールペンででも、人は殺すことが容易にできる。
もちろん。
言葉でも。
これは私の作品の中でも書いてあることだったりするが、あくまで私の持論である。
それは小さな頃。
まだこんなにもハラスメントでうるさくない時代。
それはもう、今でいう、イジメというものが、横行していたのだ。
だけども、当時の子たちは、それをイジメだと理解さえしない。些細なことでもイジメだというこの時世。いや、この時点でこう思う考え自体が古臭いのではあろうが、確かにその時代は、イジメはイジメではなかったのだ。
鮮明に覚えている。それは小さな頃。
給食が終わり掃除の時間になったある日、私は、とある同級生の机の中を見た。休みのその子の机を直そうとして、持ち上げたタイミングで道具箱がばさりと落ちたからでもある。
その道具箱から飛び出しのたのは、パン。
カビの生えたパンだ。
そしてばさばさ他にも出てくるのは、牛乳パック。まだ中が入っている賞味期限がかなり前のものだ。
「きたなっ。おえぇぇ」
その大きな声で、同級生は何事かと興味津々に集まってくる。
そして、その現場を見て、汚いという大合唱である。
「なあ、あいつこんな汚いんだから、汚物だよな」
誰かがそういった。
それに賛同する。そこからもうその同級生は汚物扱いだ。
多分、当時は、汚物って言葉を、よくわかってなかったんだと思う。
休みの日になにかあったのか知らない同級生は、次の日当たり前に学校に来る。
いつも通り、普通に、にこやかに。
だけども、その日から、同級生にとっては地獄の日々の始まりだ。
弄られる。馬鹿にされる。汚いと罵られる。
以降、その同級生は、誰とも何も話さなくなった。笑顔も消えた。
時々話すことはあれど、それは授業のことであり、周りとも交流することもなくなった。
そしてそれは、低学年だからこそ。その妙な空気はそれからもずっと続き続ける。
高学年になっても。
小学生の低学年の頃から、中学生の卒業まで。
高校でどうだったかは、私は知らない。
中学までは義務教育として、近くの小学校と共同になるとはいえ、代わり映えしない生徒だからこそ、そういう状況が起きたのだろう。
あの時、あの同級生は。
どう思っていたのだろうか。
もちろん、悪いのは囃し立てた同級生であり、その中の一人である私もである。そう言われるようなことをしていた同級生も、少なからず悪いところもあるのかもしれない。
しかも私は、私が騒ぎ立てたのを巧妙に隠し、誰が最初に騒いだのかを他の誰かに擦り付けることによって難を逃れている。
そうやって、自分の罪を軽くしていた当時の私を、ぶん殴りたい。殴ったとてすでに事が起きた後では何も解決はしないけども。
あの時、あの同級生は。
どう思っていたのだろうか。
その、自分が心を閉ざすきっかけとなった、張本人が。
ほぼ毎日顔を合わせて、なぜか何年も一緒の教室にいて。
常に、授業や行事で整列するときに、隣にいることを。
今の時代より、はるかに残酷であったとも思える時代。
誰にも相談できない、誰も相談に乗ってくれない。相談したとて、取り扱ってくれない。子供の悪ふざけだとまとめられて普通に終わる時代。
もちろん今のイジメと優劣をつけたいというわけでもない。そういう部分は今のイジメでもあるのだろう。もっと言うなら、今のほうが醜悪かもしれない。
だからこそ。
あの時、あの同級生は。
どう、思っていたのだろうか。
長い長い時間を、一番楽しめたかもしれない時間を。
たったそれだけのことで潰されてしまった同級生。
もしそんなことがなければ、同級生にはもっといろんな可能性が拡がっていたかもしれない。
さて。
このカクヨムにおいて、このように、様々な方が思い思いに言葉を紡いでいる。
中には酷いことを書いているものもある。人への誹謗中傷もあれば、そうでなくても、それを見て傷つく人だっている。
そうと思わず、ただ思いのたけを書いている人だっているのだが、それを見た誰かしらに影響を与えることだってあるだろう。
それがいい影響であれ、悪い影響であれ。
だけども書くからには少なからず責任を持たなければならないとも思う。
誰もが今回書いたような経験はあるのかもしれない。
だけども、誰もが、こう思うことはないのかもしれない。
でも、よく考えてみてほしい。
それは、人の人権を踏みにじっているのであって、そしてその人の人生を狂わせる行為である、と。
そう考えれば、それは人を、その人の可能性を踏みにじった、摘み取った。そうであれば、総じて、人を殺したことになるのではないだろうか。
極論である。
極論であるからこそ、こう言えるのであるのであって、これさえも見る人が見れば気持ち悪いとさえ思うかもしれない。
だけど、私は、ふとしたときに、そう思う。
そうしてきたことが。
そして、その結果今この場にこうやって文字を書いている私自身の。
すべてが。
私の、黒歴史である。と。
小さい頃のことながら。
今も思い出す思い出。
まだ悔やむことがあるからこそ、今も、こうやって突発的にフラッシュバックしてしまうのだろう。
もしも、過去に戻れるのなら。
きっと、そうやって自分がやらかしてきたことを、いい思い出だけは残して、
一つ一つ潰していったりしてみたいなぁ、なんて思うばかりである。
例えば。
小学生高学年の体育の授業。
ちょっと気になる子とハイタッチしようと背後から声かけようとしたら、その子がいきなり喜んでハイジャンプしちゃって、思いっきり柔らかなお尻を掴んじゃって恥ずかしそうにされたとき。あれはいい思い出だから絶対潰さない。
(今もその感触覚えてる、なんていったら変態の極みだな)
めっちゃ柔らかかったなぁ。衝撃的だったなぁ……。
【黒歴史放出祭】パパ上様日記 ~あのときどう思ってたのか~ ともはっと @tomohut
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