器械状自意識

似而非

第1話

 しろくきめ細かな女のようにながい指が、ふいに額にしなだれた質のよい前髪を、じれったそうにかきあげる。例によってこれは、彼が神経を鋭く集中させたときの癖だった。そのたびごとに、教室であっても、街角であっても、周囲の視線が、なんとなしに彼にあつまるのだった。このときは、なんの意匠もない、見なれきった体育館と、ぼくたちが大抵、無感動にやり過ごす、いつもの体育の時間が、周到な演出を凝らした劇場と舞台の関係に様変わりしていた。

 ああ、決めるんだろうな――ギャラリーのだれもかれも、次の瞬間を予期し、待望した。

 彼は少しだけ膝をかがめてから、心ばかりの跳躍をした。真っ白なスニーカーの爪先が伸びあがる。鮮やかなオレンジのピブスが空気をはらんで、波うつ。よく梳かれた黒髪が束の間、ふわりと浮き上がった。同時に、指先のバスケットボールは繊細そのもののように彼からはなれ、ボールは緩やかに回転しながら、糸を引くような美しい軌道で宙を舞った。放物線は、あやまたず約束された、高度――305センチのゴールに収束することだろう。リングとネットの祝福を受けるために。

 一瞬、繊維がこすれる乾いた音がして、次いで、木目の艶をもった床に、ボールがバウンドをきざむ音が、かすかに反響した。

 水を打ったあとの静寂をやぶり、沸きあがる歓声。女子生徒は口に手をあてて、何人かは小躍りするようにじゃれ合っていた。横目に、体育教師が満足気にうなづいている。さっきから、甲高いブザーが鳴っていた。試合終了の合図だ。ブザービート。彼の周りに群がる仲間のチームはもちろん、敗れた相手方のチームも皆、笑顔だった。

 彼の襟足から首筋に、汗の雫がつたわり、天井で埃をかぶる照明を受け、幾筋も光った。彼もまた、クシャクシャと笑っていた。

 いま、すべての賞賛がひとりのヒーローの下、健康的に調和し、だれひとり疑いを差しはさむ余地などなかった。

 ぼくの目に、それは鮮烈すぎる上、大袈裟すぎた。いっそそれは、滑稽だった。強すぎる太陽の光が人の眼を焼き潰すみたいに、直視に絶えられなくて、ぼくは視線をそらした。そして、もの云わない動物の陰となってしまい、さっと群れからはぐれた。周りから見れば、それはきっと、一匹の卑屈な野良犬のように映ったかもしれないけれど。


 二年二組。バスケ部に所属。どうやら、お金持ちに属す。彼について、この程度のプロフィールすら知らない生徒は、たぶんこの学校にいない、とおもう。スポーツ推薦で高校に入学したはずの彼だが、べつに勉強ができないわけではなかった。むしろ、一度聞いただけで内容を理解する要領の良さと、授業態度の真面目さで、運動部の顧問だけでなく、一般の教師陣のうけも良いという。じっさい、成績も上位であるようだ。

 なにより、その容姿は「特別」というべきものだった。スポーツマンらしく、背が高く、しかしそれと不釣り合いなほど、色白の肌をして、凄うでの石工が無駄を削ぎおとしたように細身な、しかし筋肉質の体躯と、均整な目鼻立ちの下で、薄く結ばれた唇。やや高い声音は、いつも滑らかな織物のように紡がれ、それは陽光に溶けあうみたいに、室内でよく響いた。「個」としての彼について、ぼくはべつに、悪い印象をもっていない。だからこそ、こんなふうに贅言を捧げてみるのだ。

 そんな彼だから、彼の周りにはいつも人がいた。男子も女子も交え、おしゃべりをした。その人たちは常に笑っていた。ほかのクラスからも、人はひっきりなしにやって来て、三年の女子もときおり、わざわざ下の階まで降りてきて、彼の机を囲んだ。そして、おしゃべりをし、しきりに笑った。彼もまた、なにかをしゃべり、なにかについて笑っていた。

 それはそれでいいよ。ただ、問題は教室の最後列右手に位置する、彼の席のちょうど横となりが、ぼくの席ということだった。ありていに言ってしまえばそれは、読書の邪魔…… なのだった。

 進級して早々、この席の配置というのは、承服できない。もっとも、いちいち席の配置に一生徒の了承を必要とするほど、この学校が民主的であるとは、ぼくもおもっていないのだ。

 同時に、ぼくは不思議だった。なにをそんなにおしゃべりすることがあるのだろう? なにがそんなにおかしくて笑うのだろう? だって、彼らは本当に、常に笑い、常にしゃべっているのである。話題というものは、そんなに尽きないものなのだろうか? そして、その会話というものは、聞くものの笑顔を寸分も絶やさないほど、卓抜なユーモアと機知に富んだものなのだろうか?

 読書のかたわら、ぼくは彼らの会話を耳にすることがあった。べつに盗み聞きではない。考えてみてほしい。視覚であれば、まぶたを閉じれば入ってこない。嗅覚であれば、鼻をつまむ。味覚と触覚についてはそれぞれ、能動的であろうし…… この際、割愛するが、とにかく、聴覚をつかさどる耳は、ぼくにとって避けがたく受動的な器官なのだった。

 それでね、わたしの友達が、つきあってる先輩が、全然らいん返してくれないの、おかしいよね、だって、その先輩から告白してきたんだよ? それなのに大事にしてくれないのってさ。でも、あの娘もね……

 友達って前に、からおけに連れてきた娘でしょ? あー、それ、なんとなく、わかる、かも……

 この、いんすた、見た!

 なんか、それ、叩かれてたよね。

 いまどき、門限がー、とか言ってさ、ほんと、ありえない。

 だって、おまえさ、この前の、まっくは、おれが多めに払っただろ、あのときも、バクバク食いすぎなんだよ、こいつ。

 来月! 来月まで待ってよ、返すの。頼むわ……

 サッカー部のあの先輩、たばこで停学になったってホント? 馬鹿すぎない?

 それでさ、うちの担任、ほんとめんどいわ。おまえんとこ、甘いよね。あの女のせんせい……

 彼、彼女らの会話は、ぼくにとって、画一的で、空気の振動以上のものではなかった。だからといって彼らが、それを披露し、交換しあうことについて、べつに異存はないのだ。人間があつまって、経済の運動を生じさせるみたいに、ひとにはひとの数だけ、価値観があるのだから。

 しかし、ある日、ぼくが休憩時間にちょっとばかり、席を離れたあいだ、ぼくの椅子を知らない男子生徒が占有していることについては、その限りではないのだった。

 男子生徒は例にもれず、常に笑っていたが、ふと、ぼくのもの欲しげな視線に気づいたようで、こちらをちらりと見やった。ああ、良かった、さあ、ぼくの椅子を早く返してくれよ、と思った矢先、一団のなかで隣り合わせになっていた、これもまた知らない女子生徒と視線を交わし合い、なぜか、意味深に笑い合い、ふたたび、そっぽを向いてしまった。ここで仮に、意味深といってみたがそれは、ぼくにとって、正しくは意味不明であり、なぜか、その笑みに耐えがたく底意地の悪いものを感じたことを、この際、付記しておく。

 

 「椅子。返してやれよ」


 思いがけず、冷たく低い声がした。普段、やや高く、よく響くために、かえって確実に、人々の心理の皮膚にくい込む声かもしれない。

 集団の中心に位置し、自らの机で頬杖をついていた彼が、例の男子生徒を見咎めたのだった。気温がいくぶん下がったみたいに、瞬間的に、周囲の人間が体を硬直させてしまう。今しがた、おしゃべりの主導権を握っていた女子生徒が、二の句を次ごうとした矢先のことで、あんぐり開けた口を、いちど吐き出した空気を呑み込むようにつぐみ、黙り込んでしまうしぐさが少し、あわれだった。

 あ、ぜんぜん、気付かなくて……

 男子生徒が驚くほど俊敏な動作で、ぼくに椅子を返却する。急に愛想笑いまで浮かべて、どうしたことだろう。そこでぼくは、いや、おまえは気付いていた筈だ、なぜならば…… と、弾劾をはじめるほど、嗜虐的な人間ではないし、特段、私物でもなく、あくまで学校支給のさして座り心地も良くないこの椅子に強い執着を抱いていたわけではないので、頓着なくそれを受け取り、着席する。


 「ごめんね、うるさくして」

 

 それで終り、と思いきや、なぜか彼が、ぼくに謝っているのだった。なぜ彼が、ぼくに謝るのか。べつに彼には直接、係わりのないことだから、その理由について、おもいを巡らせてみたところ、いくつか考えられることのひとつは、ぼくの読書の邪魔をしていることに、彼が(おそらく、この集団のなかで唯一)自覚的である、ということだった。

 では、なぜ彼はそれをやめないのか。しかし、それを責めたてる道理もまた、ぼくの側に無いようにおもえた。なぜなら、クラス替えのあと、一連のおしゃべりで、彼だけが「うるさくして」はいないからだ。彼は、このような休み時間のうち、ぼくの知る限り、彼以外の彼、彼女らのように、大げさなしゃべり声や、笑い声を、ついぞ上げたことはないとおもう。彼が、ときどき、驚くほど冷めた調子で、フラットにおしゃべりし、笑うことをぼくは知っていた。だから、彼の謝罪をうける道理は、ぼくになかったのだ。

 だが、仮に彼が、この集団を「代表」して謝罪をしていたとしても、それを受け入れるにはあたらない。彼らには、彼らの「おしゃべり」という楽しみがある。同様に、読書もまた、ぼくの楽しみである。ぼくの楽しみのために、彼らの楽しみを奪おうというほど、ぼくは偏狭な人間ではないつもりだったし、相争うことを好む人間でもない。最大多数の最大幸福、ということばもあるし、ここはひとつ、ぼくが最大限の「譲歩」をすることによって、この場をおさめようではないか、という具合の、功利主義的、寛容の精神を込めつつ、

 いいよ。

 と、彼にひと言だけ申し添え、ぼくは机上に視線をおとし、読書を再開した。

 そこでふと、気付いたことであるが、なぜ休み時間の教室という喧騒のさなか、固く冷たい石を打つように響く彼の声だけを、いつも明瞭に(例によって受動的な)ぼくの耳は捉えたのだろうか。

 それはひとえに、このおしゃべり大好き集団が、彼が声を発するときに限って、じっと固唾をのみ、天上から啓示を授かる地上の信徒みたいに、彼の口から吐き出されることばを、一音たりとも聞き逃さぬよう、細心の注意を払っているためであるかもしれない。

 そしてまた、どうしてこの教室は、せっかくの休み時間だと言うのに、いま、このときばかりは物音ひとつしない、厳しい冬の夜のような静寂につつまれているのだろうか。

 ぼくはふたたび、顔を上げ、周りを見渡してみた。

 すべての視線が、ぼくに殺到していた。というより、精確にいえば、ぼくと彼のやり取りを、それらの球体は注視していた。この場合、ひとりにつき、ふたつの球体が、聞き耳を立てていた。

 まなざしとは、教室のなかにあるもの、部屋の窓から覗き込むもの、あるいは、天井から照明のように降り注ぐもの。逃亡犯のように状況把握をして、窃視者のように気配を矮小化させ、しかし、関心を対象から逸らすことを決して許されない怯えた球体たち。なぜなら、それはぼくたちが、なにかを見ることについていつも、なにかに見られているからだ。

 それは確かに、ひとつひとつが、彼の動作、指令をまっているようで、ひょっとして、こいつらは、器械なのかもしれない。ただ、別段、驚くには値しないだろう。ぼくの頭のなかにも、心臓にも、たぶん、器械があることだろうし、例えば、この教室や学校全体が、何らかの力学や法則の下に駆動する巨大な器械であったとして、どうしてぼくがいちいち、大袈裟に、驚いてみせたり、気に病んでみせたりしなくてはならないのか。そして、この学校全体ですら、ある厖大な器械を駆動させる、ちっぽけな一部品であるとすれば、ぼくに一体なにができるというのか。ぼくの、意思は、存在しない。器械に、情理が、存在しないように。ぼくは、最後に、彼を見やった。白蝋のワックスを塗った白い肌を。クチクラ層をふんだんにふくんだ黒い髪を。甘美な肉体の流線の工学を。ほら、この男も器械なんだ。確かに、出来のよい「特注品」だ。しかし、それもすぐ錆びつき、旧びるんだ。老いた発条は、ギーッと音をたて、ある日、突然、バチンッ、と千切れる。一部は、木の枝の先に、醜悪な臓物のように、ぶら下がり、風になびき、雨に朽ちる。一部は、そこらに飛散したまま、時間の堆積に埋れる。だれも、その分解の法則から、逃れるすべなど知らない。だから、毎日、だれかが、だれかを、あるいは、自分じしんを、最終処分場に放りこんで、おしまいにしているんだ。眼前の、舞台が、ひび割れ、真っ二つになった。亀裂から、眼球のように、転がり出るものがあった。あ、バスケットボール。体育教師が、眼底から、黒い血を迸らせ、満足気にうなづいていた。みんな、笑っていた。真っ黒な口腔から、喉笛を切り裂いたように鳴る、甲高いブザー! おまえは、まだ、自分が器械であることに気づかないのか。であるならば、お前はずっとずっと、見てくれの意匠と、内面という歯車を互い違いに擦りへらしながら、ボーっと突っ立って、不毛な、おしゃべりの劇場に興じていればいいだろう。ボキャブラリーと沈黙を、その叫びや囁きを、卑小な甲虫のように身を屈め、貪欲に、拾いあつめていろ。怨嗟も賞賛も、一緒くたにして、それすら、おまえのモノローグに過ぎないことをいつか、慄然と自覚し、震えていろ。おまえを包囲する、すべては、フラットな、無だ。だから、生きる目的を与えられず、目先のために、なにかを生贄にして、生贄にすることによってまた、なにかを犠牲にして、延命の苦しみを舐めていろ。だれか、おれを見るものはいないか、おれを聞くものはいないか、金切り声で叫びつづけろ。本当は、叫びたいことなんて、全然、ありはしないくせに、ひたすら、咽喉もとを掻きむしり、そのたび、有毒性の、どす黒い廃液を、周囲に垂れながせ。それをすべて、おまえじしんの舌先で浚い、のみ込み、ふたたび、垂れながせ。どうせ、すべて、瓦解し、朽ち果てるんだ。ひとり残らず、おびただしい重力の金型で、圧壊され、ぺしゃりだ。そのときまで、飽くことなく、くりかえし、ずっとずっと、おまえは……

 と、これは、たったいま、ぼくが休み時間に読みすすめていた、旧い短篇集の一節だが、それにしてもこの大正期の作者は、趣味がわるいとおもう。たぶん、青白い肌をして、神経性で、異様に理屈っぽく、周囲の人々が胸焼けを起こしそうな人物だったのだろう。主人公の青年もまた、倫理感というやつが欠落している気がする。なんというか、状況が洪水のように向こうからやってきたとして、彼はそこから逃げるでもなく、抗うでもなく、ただ、迫りくる洪水について分析をおこない、結果、途方に暮れ、従容と溺死してしまうのだった。大洪水であれば、まだ良い。それは、膝丈の浅瀬で溺れ死んでしまう人の不幸に似ていた。生きてみようという意志――それだけでも、人間にとって、ひとつの倫理である筈なのに。表題は『器械』という短いものだった。

 もうすぐ、授業がはじまる。チャイムは、いつも、精確な時間を教えてくれる。しかしそれは、母親みたいに情愛があるわけではない。緩慢で、単調なリズム。どこかで、ひとごとみたいに、皮膜があるんだ。だから、授業は退屈だった。学校は退屈だった。おしゃべりをしている彼も、退屈そうだった。校舎は、灰色の容器みたいだ。隣の席から、人が散り散りになり、それぞれの教室、席へと帰っていく。代わりに教師が、教室にやってきて、教壇から、ぼくたちを見下ろすのだろう。号令を受け、ぼくたちは、起立し、礼をする。昨日もそうだった。だから、明日もきっと、そうなのだろう。考えてみれば、奇妙な反復だった。その器械的な法則の起動因を、ぼくは知らない。ぼくじしんの活動が、ぼくじしんの意志に帰属しないで、何処か、外からやって来るものであるなら、一体その活動は、だれのため、なんのために為されるのだろう。それともいつか、この物理的に反復する動力が漸減し、ぼくたちをとりまく世界は、ぴたりと停止するのだろうか。案外、みんなそれを、心のどこかで希んでいるのかもしれない。ひとつの短篇のなかで、バスケットボールが弾性に従い、跳ね返り、やがて静止するみたいなものかな。本を閉じながら、とりとめのないことを考えた。定刻通り、チャイムが鳴った。ぼくは、寝不足気味のまなこで、あくびを噛み殺した。

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