青春遊戯《アオハルユウギ》

大隅 スミヲ

第1話

 花岡には三分以内にやらなければならないことがあった。


 昼休み。それはある意味、戦争の時間といってもいいだろう。


 普段から弁当を持ってきていない花岡にとって、4時限目終了のチャイムは戦場へと駆り立てる合図でもある。


 敵となるのはサッカー部の三浦、陸上部の桐生、そして趣味でパルクールをやっているという小杉。花岡はその三人と共にと呼ばれていた。

 なにが彼らをそう呼ぶのか。

 それは昼休みになれば、わかることだった。


 その日の4時限目は公民の授業だった。

 公民の老教師である桜庭は、ただ耳が遠いだけなのか、それともわざとやっているのか、チャイムが聞こえてもなかなか授業終了の号令を掛けさせようとはしないことで有名だった。


 きょうの勝負は負け確定だな。

 花岡は半ばあきらめつつも、どこかにチャンスは転がっているはずだと一発逆転を虎視眈々と狙ってもいた。


 そして、授業終了のチャイムが鳴った。

 やはり桜庭は動かない。


「聞こえていないのか、桜庭っ!」

 そう怒鳴りつけてやりたいという衝動に花岡は駆られたが、そんなことをしても無駄だということはわかっているし、単位もギリギリなのでそこはぐっと我慢をした。


「ほい、そんじゃあ、おわりましょか」

 独特な言い回しで桜庭はいうと、学級委員が終了の号令をかける。

 その声が最後まで聞こえるかどうかというタイミングで、花岡は教室を飛び出していた。同じクラスの桐生も同じである。


 一分のロスがあった。購買部で一番人気の焼きそばパンをゲットするには、昼休み開始から三分以内に購買部に到着してなければならない。焼きそばパンは三分で売り切れてしまうのだ。


 すでに隣のクラスの三浦と小杉は、購買部のあるB棟へと繋がる渡り廊下を走っている。

 この出遅れを何とかして取り戻さなければならない。

 桐生の方を見ると、すでに桐生はダッシュの体勢に入っていた。さすが陸上部のエース、初速はかなりのスピードだ。

 桐生には追いつけない。このままでは「その男は四天王の中でも最弱」といわれるキャラになってしまう。花岡は何とかしようと、桐生とは逆の方向へと走り出した。


 購買部のあるB棟への行き方は二通りあった。いま、三浦と小杉、そして桐生がいる三階の渡り廊下を使う方法と、一階まで降りて中庭を横切ってB棟へと向かう方法だ。どちらの方が速いのかはわからなかったが、花岡は賭けに出たのだ。


 階段を一段抜かし、いや二段抜かしで跳ぶようにして降りていく、花岡。購買部があるのはB棟の一階だ。まだやつらは三階にいる。絶対にこっちの方が速い。

 そして、一階まで階段を降りきった花岡は、ぐっと足を踏ん張ると中庭に出るために中央玄関へと向かった。


 残り、一分。

 中庭へと繋がる玄関は見えていた。中庭さえ越えてしまえば、もうB棟は目の前だ。

 下駄箱の角を曲がって……。


 その瞬間、花岡の目の前に人影が飛び出してきた。

 まずい、ぶつかる。


 花岡はその身体能力で横に飛び、なんとか飛び出してきた人とぶつかることを避けた。


「きゃあっ」

 ぶつかりそうになった相手は悲鳴に近い声をあげる。


 花岡は走っていた勢いを殺すことができずに、そのまま廊下を転がった。


「大丈夫?」

「あ、ああ。大丈夫だ」

 転がった花岡に心配そうな声がかけられる。

 花岡は相手を心配させないためにも、素早く立ち上がる。


「あ、高瀬」

 そこにいたのは、隣のクラスの高瀬さおりだった。高瀬はちょっとヤンキーの入った気の強い感じの女子だ。


「なんだ、花岡か」

 心配して損した。高瀬の口調は、そう物語っていた。


「なんだとは、なんだよ」

「そのままのことだよ。あんたは身体が頑丈に出来ているから心配する必要はないだろ」

「まあ、確かにそうだけど……って、こんなことしてられないんだった。時間が……」

「もしかして、購買部?」

「そう。一番人気の焼きそばパンが売り切れちまう」


 花岡は高瀬に別れを告げて走り出そうとした。

 すると高瀬が花岡の手を引っ張る。


「じゃーん。焼きそばパンならあるよ」

「え?」

「ふたつ買ったから、ひとつ花岡に分けてあげようか?」

「え、いいの?」

 そう花岡は答えたが、心の中に住むもうひとりの花岡がストップを掛けた。


 いいのか、花岡。お前は昼休み四天王のひとりと呼ばれた、あの花岡なんだぞ。いつだって購買部でのパン購入の争いに負けることなく勝ち残る、あの花岡なんだ。それを忘れちゃいないか。

 もう一人の花岡は、力説をする。……が、花岡はそのもう一人の花岡をぶん殴って黙らせた。


 目の前に焼きそばパンがあるというのに、わざわざ戦乱のような場所に買いに行く必要などないだろ。馬鹿なことを言ってんじゃねえよ。

 花岡はもう一人の花岡を叱責した。

 そして、高瀬の顔をじっと見つめる。


「な、なんだよ……」

 急に花岡がじっと見つめてきたものだから、高瀬は動揺した。


「焼きそばパンを分けていただけないでしょうか。もちろん、ただとは言いません」

「ああ、いいよ。じゃあ、代わりにわたしの好きなイチゴオレを買ってきてくれない?」

「え? イチゴオレ?」

 イチゴオレは焼きそばパン同様に、購買部で人気ナンバーワンの紙パックジュースだった。だが、イチゴオレには焼きそばパンほど猛者たちが集まるわけではない。どちらかといえば女子人気が高いのだ。


「ああ、いいぜ。買ってくる」

「じゃあ、物々交換だな。頼んだよ、花岡」

「おうっ!」

 花岡は高瀬に返事をすると、大勢の生徒たちでごった返している購買部へと向かっていった。


 昼時の購買部。そこは戦場さながらの空間である。


「おばちゃん、俺メロンパン」

「ホットドッグちょうだい」

「シーチキンおにぎり、ください」


 台詞にすると普通に聞こえるが、実際に飛び交っているのは怒号である。

 花岡がジュース販売のエリアに向かおうとすると、そこには戦利品のように焼きそばパンを掲げて歩いてくる三浦と小杉の姿があった。


 焼きそばパンを持っているのは、二人だけである。

 そうか、桐生は負けたのか。

 敗因は出遅れだろう。四限目の授業が公民でなければ、そこに立っていたのは花岡と桐生のはずだった。


 だが、おれは負けてはいないという自信が花岡にはあった。ここでイチゴオレをゲットすれば高瀬との交換で焼きそばパンが手に入るのだ。


「はい、イチゴオレ販売開始するよ」

 購買部のおばちゃんが声高らかに宣言をする。


 昼飯時は大勢の生徒が購買部に殺到するため、商品によってはこのように時間差での販売をしたりもするのだ。

 花岡は壁のように立ちふさがる大勢の生徒たちをかき分けながら、イチゴオレを販売しているおばちゃんのもとを目指した。


 その時だった。地響きのようなものを花岡は感じた。

 振り返ると、そこにはラグビー部の精鋭たちがスクラムを組むかのように集まっている。


 ヤバい。あいつらの狙いはイチゴオレだったのか。

 くそ、高瀬にハメられた。

 花岡は自分がとんでもない依頼を受けてしまったのだと、その時はじめて知った。


 イチゴオレは、ラグビー部の好物だったのだ。

 そのラグビー部員たちがじりじりと、イチゴオレ売り場へと迫ってきている。

 中にはなぜかヘッドギアをつけている生徒もおり、完全に戦闘モードだった。


 そして、やつらは突進してきた。

 それはまさに全てを破壊しながら突き進むバッファローの群れであった。


 花岡は持ち前の身体能力で突っ込んでくるラグビー部員たちを交わしながら、購買部の最前線に躍り出る。


「おばちゃん……いや、おねえさん、イチゴオレをひとつください」

「はいよっ!」

 花岡の言葉に気をよくした購買部のおば……おねえさんがイチゴオレを花岡の手に渡す。


 一度、生徒の手に渡った商品は、何があろうとその生徒のモノとなる。

 それは購買部のルールであった。

 花岡は握りしめていた500円玉を渡し、お釣りをもらう。


 ミッションコンプリート。

 イチゴオレを無事入手した花岡は、購買部より高瀬のもとへと生還したのだった。



「やるじゃん、花岡」

 A棟とB棟の間にある中庭のベンチで、花岡と高瀬は並んで座る。


 そして、花岡からイチゴオレを受け取った高瀬はうれしそうにイチゴオレのパックにストローを差し込み、花岡は焼きそばパンを頬張るのであった。

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