近代の渡世術 ①
常陸乃ひかる
1 看板に偽りあり
ロス・ウースには三分以内にやらなければならないことがあった。
「――夫とは
顔付も女子に比べると随分と若く、その一張羅は
「そ、そうなんですか……。
そもそも対話が苦手で、人間の相談を受けるなんて狂気としか思えず――
あゝ、
【苦シイ時ノ神頼 三分デ悩ミ解決シ〼】
という、偽りだらけの立て看板が恨めしい。
それもこれも、数日前が発端である。
明治二十六年(1893年)。天界といえども
通称『アウト・キヤスト』と呼ばれるそこは、名のとおり
アウト・キヤストに移って日が浅い女が、
「ふぁぁ……ぁっ――!」
「ロス、居るか? 邪魔しても
そうして、この家にまず生まれることのない男声が、戸の向こうからくぐもって届いた。平穏な
「夢心地のところ、すまない。話があるのだが」
「ブラインドさん……? え、なんです? わたしやっぱ……追い出されます?」
アウト・キヤストの部落区長――もとい主神のブラインドだった。
彼は、やれと一息。その長い黒髪は、すべて後ろへ撫で上げ、襟足で結んでいる。
「案ずるな、そういった
「だって、どうせ……そういう役回りですし。それに、わたしは
主神が訪問してきたというのに
「生を
「し、仕事っ――て……いや、むっ無理です! しかも町? ってことは……人間と接触しろと? わ、わたしには無っ――ぅ、おぇ……っ」
ロスは
「町に下りては、無暗に酒を飲んでいるのだろう?」
「あれは気配を消してますから……。てか全体……なんで、
ロスは
「今や、神を信仰する人間などはおらん」
「いわゆる産業革命に乗じ、天界は企業として形態を変えてるんですから……そりゃ当然ですよ」
「ゆえに、ほかの同族たちは
「わたし、別に社会とか馴染む気ないんで……。
「
ロスは、息が
「それに去年は不作の年で、今年の蓄えがあまりないのだ。
「しょせんは長命だけが取り柄の種族ですし。それにホラ、ちょっと食わないくらいじゃあ死にませんよ?」
鼓動が和らいできたかと思うと、いつもの調子で憎まれ口を叩くロス。ここの住民から
「どうであれアウト・キヤストも、人間と共存する時が来たのだろう。神だと
「
無言で頷くブラインドは、ここを尋ねる前に自邸で行った集会でも、同様の小言を口にしていたのだろう。
「はあ……やだなぁ。でも、やんないと……あぁもう、やりゃ良いんですよね!」
そうしてロスは、
「で、仕事内容は? ったく……わたしにできることにしてくださいね」
「御前さんには、悩める人間の
「占いなんて無理ですけど?」
「
業務内容を聞き、それを理解するにつれてロスの顔色が変化していった。耳を塞ぎ、ふたたび
「神経衰弱の人間を相手にしろと? そんなにわたしを
「うむ、
「あぁ、セブンスヘブン? そいやブラインドさんって、昔あそこの役員やってたんでしたっけ」
「てか、
「随分と人聞きが悪い。いや、私も御前さんと
「というと……?」
一呼吸の末、ブラインドが左足から右足に体重をかけ直した。ロスはその動作に釣られ、敷蒲団の上で正座する。
「私も人間に対しては
「人間性……? 要は暴力性ですか」
「
「でも、武家政治はだいぶ前に終わりましたよ」
「……なんと云うか、な」
ブラインドは言葉を濁し、あからさまな作り笑いを見せながら、この場の空気をすっかりと転換させた。
「案ずるな。話を聞いてもらえば、大方の人間は満足するだろう」
――そう優しく微笑んでいたブラインドを、今は引っ叩いてやりたい気分だった。
「夫と
「なるほど。そりゃあ、自分の意思が乗っかってませんもんねえ。秋風が立ったというより、あなた自身が最初から好きじゃなかったのでは?」
「
大方おたんちんが来るかと思っていたのに、そこそこ良家の、身形の良いお嬢さんがやってきて、ここまで親身な相談をしてくるなんて、まるで話が違う。
加えてこの相談所は、なにを血迷ったのか役場の横に用意されていたのだ。室内は十五坪ほどで、役場とは渡り廊下でつながっており、むしろ役場の一部と云えそうな白壁造りのたたずまいだった。また、相談員はロスのほかに二名あった。セブンスヘブンから同族が男女ひとりずつ。ふたりとの挨拶も
「それ、ぶっちゃけ家庭内のモラハラでは? 精神的DVとなんら変わりないし」
「も、もらは……?」
クエスチョンとともに間延びが生まれ、
もし相談者たちが、『神』と『
同性の人間を救えないで、なにが神か。
ロスは鼻から大きく息を吸いこみ、女子の眼を見据えた。
「良いですか? あなたは他人のモノじゃあないんです。誰が好き好んで、オッサンの
「
「左様。親も兄弟も、しょせんは人の子――浮世の意見や、世間の目を気にするあまり、自分の意見が持てないだけの一般人ってコト。そんな中、人を操るのにちょうど良かったのが、あなたというだけ」
ロスは『割を食うのはいつも女――』と私情を挟みかけて、ぐっと
「とは云え、妾に
「さっき、『手に相当の芸がある』って言ってませんでした? 本当はもう、自分がどうしたいか決めてるんじゃないですか?」
「せんだっては口が滑りまして……き、
「一部の人間は、あなたみたいな才女を潰そうとしますから」
「恐ろしい世の中です……」
「正直わたしも、人間に対しては畏怖があるんですよ」
そうしてロスが、ぽろっと口にした言葉。それは、あからさまな受売りだった。
ついせんだって、どこかの主神が口にしていた言葉が頭に
けれど
「どうして神族である
「人間が短命だからでしょうね。わたしにしてみれば、あなたの一生は非常に短いんです。だからこそ人間に対して
表白したのは愚直なる一文だった。
「好きに生きてください」
その
「あ、やべっ……! ごめん、泣かないで……あの、ちがっ……今のナシで!」
何十も歳の離れた女子を泣かせてしまったロスは、己が意見を撤回しようと必死になっていた。が、下手な慰めの最中に彼女の目付が一変した。
「いえ、貴女のおっしゃるとおり……
まさしく決心の瞳だった。その変化を目の当たりにし、ロスの心臓が揺れた。
決して、恋慕や恐怖のドキンではなく――例えば、ダラダラと隠居しようと思ったのに、主神に仕事を押しつけられた時のような心持に等しかった。はたまた、
「えーと、『女神』はやめて……」
「失礼致しました。つい興奮してしまって」
しかし、なんとも御粗末である。この女子は背中をぽんと押してくれる者が欲しかっただけなのだ。それがたまたま『神族』だったという話である。
「もう、自分で歩けそう?」
「えぇ。今の妾は、ロス様の『
「さてどうかな。てか、ちゃんと三分で片づいた?」
「妾にとっては数刻のような感覚でした」
「そりゃ結構」
「あの、ロス様! 話はまだ御座いまして!」
「え……?」
次第に女子の態度は
三分よりも長い時間が経った頃、
「――
笑いながら相談を
「あの、わたしに直接渡されても……」
「ロス様はこちらの
「いや逆。多すぎるんですって……」
ロスの呆れた顔に対して女子は、
「では、気が変ったらアウト・キヤストまでお
笑みを浮かべ、ロスの右手を両手で包みこんできた。しっとりした感触が交じり合ったのは、互いが緊張していた証拠である。
「わかりました、頂戴します。あ、そうだ……これだけは覚えといてください。浮世において正しい行いなんてない。けどまあ、あなたが真剣に悩み、そして取った行動はきっと正しいはずです」
「はい」
女子は最後にもう一度だけ笑いかけてくると、すっと立ち上がってお辞儀をし、建物をあとにした。背を向けるだけの
一拍。
「はぁ……疲れた」
解放されてもなお、ロスの
けれど、わずかでも人間の役に立てたという事実は、ロスの心に『自信』として宿り、充実の笑みに変わりつつあった。
「まぁ、こんなもんか」
そんな余韻に浸っている最中、
「――なあ、おねえちゃん! オレのはなし、きいてくれよ!」
ロスが大声のほうへ目線を移すと、くりくりとした眼を輝かせる坊主頭の小供が、安っぽい着物をなびかせながら走り寄ってきたのだ。
「え、あっ……はい……」
「おねえちゃん、かみさまなんだろ? すげえや!」
はて。この相談を終らせるには、三分の何倍かかるのか。
帰りたい、酒を飲みたい、という本音を抑え、波状のような人間の悩みを
「な、なにを……聞いてほしいのかな?」
ロスは世知辛さを噛みしめながら、不自然に口角を上げた。
了
近代の渡世術 ① 常陸乃ひかる @consan123
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