狂騒曲の探偵
柊 撫子
爆弾解除
真昼の公園、人が最も集まる時間にやらなければならないことがあった。
彼が固唾を飲んで睨むベンチには、無機質なブリキ箱とハサミが一つずつ並んでいる。
ブリキ箱の中には赤い爆発物と針時計、それらを複雑に絡んだ色とりどりのコードが六本。
さらに、時計のガラス部分にはちょうど三分後のところに赤い線が引かれている。
桝谷は静かに深呼吸をし、自身が置かれた状況を冷静に分析し呟く。
「私の考えが確かであれば……これは探偵の仕事ではない」
他に適任者がいるだろう、と後ろを振り返った桝谷。
しかし、白昼の公園に爆発物があるという状況を打破できる人間などそういるはずもない。
皆一様に恐れ慄き、幼子は泣き叫んでいた。
せめて何か情報はないものかと周囲を見渡すと、ベンチの下に無線機のようなものが投げ捨てられているのを見つけた。
桝谷はそれを恐る恐る拾い上げ、記憶の中の親友がしていたように操作する。
しばらくの砂嵐の後、無線機から声が聞こえてきた。
「桝谷小太郎。お前の助手たちは預かった、返してほしければその爆弾を解除しろ」
「なんということを。二人は無事なんですね?」
助手たちを人質に取られ、焦りが込み上げる桝谷。
犯人が言う助手たちというのは、桝谷の助手であり姪と甥の
二人とも助手である以前に、桝谷にとって大切な家族である。
犯人曰く、薫と徹を助けるには彼がこの時限爆弾を解除しなければならないらしい。
「もちろんだとも。しかしまぁ、時間はあまりないがね」
犯人の口振りから、目の前の爆発物は針時計に記された赤い線で爆発してしまうのだろう。
つまりは残り二分程だ。
「なぜこんなことを……」
「それを考えてる時間はないだろう、探偵さんよ」
不気味な笑い声を響かせた後、無線機は砂嵐を垂れ流した。
何の手がかりも得られなかった桝谷は、無線機を放るようにベンチへ置いた。
すると公園の入り口方角のずっと向こうから、尋常ならざる破壊音が聞こえてきた。
硬い物がぶつかり合う音、金属製の何かが引き摺られる音、誰かの怒号。
次第に大きくなっていくその異音に、多くの視線が行き交う。
一人が音の正体を見つけて指差す。
「な、なんだあれは!?」
見るとそこには、並走する警ら車から拡声器で怒鳴られようと物ともせず、全てを破壊しながら突き進むバッファローの群れがあった。
不幸にもその進行方向は真っ直ぐとこの公園へ向けられている。
まさに、猪突猛進。いや、バッファローだが。
いずれ来る危険が二つになったことで、その場はすぐさま狂騒に包まれた。
公園の入り口や桝谷から距離を取るように、散り散りになって逃げる人々。
混乱から公園の植木に昇ったり、低木を乗り越えたりする者までいた。
「これは……かの喜劇王でも大団円にできないだろう」
思わず目を覆いたくなるような状況に、桝谷は深く溜息を吐く。
しかし、時間は刻一刻と迫っている。
爆発まであと一分弱。バッファローの群れと警ら車は路肩の看板を跳ね飛ばして迫ってくる。
爆発するのが先か、バッファローの群れが公園に雪崩れ込むのが先か、というこの状況。焦りと混乱から手が僅かに震える。
大抵のことは動じることなく対処できる桝谷だが、このような混沌の渦中にいては無理もないだろう。
自棄になってはいけないと分かっていながら、爆弾解除の糸口すら掴めていないのだ。
万事休すか、とハサミを握る手が緩んだその時。
桝谷は自身を呼ぶ声がして振り向く。
「桝谷ー!青だ、青の線を切れ!!」
自転車で公園に乗り込んできた彼は、桝谷の親友である田立警部だ。薫と徹の父でもある。
彼の目を見て頷いて見せると、再び爆発物へと向き直った。
残り数秒。
秒針のない時計では正確な時刻などわからないが、まだ間に合うだろう。
桝谷は伝えられた通り、ハサミで青いコードを切った。
数秒の沈黙が流れ、緊迫した空気に息が詰まる。
赤い線を越えても爆発しない様子から見るに、爆弾解除は成功したようだ。
爆発を阻止できた達成感からか、ゆっくりと目を閉じた桝谷。
まだ危機は去っていないのだが、それでもやり遂げたことに変わりない。
バッファローの群れは相変わらず全てを薙ぎ倒して迫っているが、桝谷はその場から動こうとすらしなかった。
バッファローの群れにどう対処するのが正解だと言うのだろう、と思考を放棄しているのだ。
桝谷が再び瞼を開けると、そこは探偵事務所のソファの上だった。
見慣れた風景に深い安心感を覚える桝谷に、のんびりとした声がかかる。
「あら、先生。ようやく起きてくれた」
と、向かい側のソファで雑誌を読んでいる薫。
「おはようございます、先生。もう昼時ですが」
と、薫の隣でラジオを弄っている徹。
桝谷は夢の中で聞いた砂嵐はこれだったのか、とぼんやりとした頭で納得した。
「おはよう……あぁ、酷い目にあった」
掠れた声でそう言いながら、頭を抑えながらゆっくりと起き上がる。
「あらまぁ。あ、そうだわ。先生が起きたら公園に行こうと思っていましたの」
公園、と聞いて先程まで見ていた悪夢が過ぎる桝谷。
あれが現実になる可能性は限りなく低いだろうが、何となく行くのは憚られる。
「いや、今日はやめておくよ」
そう言って桝谷は再びソファに寝転んだ。
狂騒曲の探偵 柊 撫子 @nadsiko
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます