是薬三分毒

木古おうみ

是薬三分毒

 若旦那様には三分以内にやらなければならないことがあった。探偵さんは、そう仰るのですね。

 三人の命を奪った凶器は、口にしてから三分間で身体が痺れ、悶え苦しんで血を吐いて死ぬ、舶来の毒であると。

 若旦那様が自室にお篭りになって、お姿を現さないのは、毒が回るまでのアリバイを作るため。そう仰るのですね。


 探偵さん、どうか少しだけお聞きください。貴方のような聡明なお方は、無学な下男の話など聞き苦しいでしょうが、ちょうどあなたの仰った三分間だけで構いません。

 若旦那様は犯人ではございません。


 私は五つで御家に拾われたときからずっと若旦那様に仕えてまいりました。ご家族ともお会いにならないあの御方も、私だけには口を訊いてくださいます。


 ですが、これは決して庇い立てしている訳ではございません。

 若旦那様が奥様や弟君、女中を殺す理由も術もないのです。



 確かに御当主様が亡き今、跡目争いは必然でございます。しかし、若旦那様は嫡子で長男。いくら御当主様の後妻となった奥様が深く愛されていたとて、若旦那様を差し置いて妾腹の弟君が家督を継ぐはずはございません。


 そうです、若旦那様は旦那様の前妻であった御母上が亡くなられてから、塞ぎがちになり、事件の前からも自室からなかなか出ようとなさらないのです。今この場にいらっしゃらないのも、お加減が優れながらです。そうでなければ、己が身に疑いをかけられて尚、出てこないはずがありますまい。


 口さがない皆は若旦那様を陰険だ、酷薄だと仰いますが、それはこの家に信頼のおける者がいないからです。

 若旦那様は辛い境遇の方です。字も読めなかった下賎な捨て子の私しか頼れる者がいないのですから。私は若旦那様のたったふたつ年上のばかりですが、あの御方の御母上亡き後は、親の代わりに若旦那様を守らなければと思ったものです。


 ええ、奥様はご葬儀で親戚衆に「息子に家を継がせたいが、前妻の子が厄介だ」と零していましたし、それは若旦那様の耳にも入ったでしょう。

 ですが、奥様が亡くなられた精進落としの膳は全て私が毒見しましたし、若旦那様はお部屋に篭り切りでした。毒を入れる余地などありません。


 探偵さんは食事ではなく、奥様の箸に毒が塗られたのだと仰いましたが、精進落としで使った箸は皆、普段とは別の黒い箸です。誰がどの箸を使うかは膳を並べた私以外わからぬでしょう。

 ああ、そのとき私は若旦那様のお部屋に膳をお持ちして、食事も喉が通らぬあの御方につきっきりでした。



 奥様が亡くなられてから、妾腹……失礼、若旦那様の弟君はひとが変わったようでした。

 以前は、巷では冷たく気難しいと言われる若旦那様と違い、下男や女中にも優しく朗らかな方だとよく言われておりました。しかし、この頃は殺気立って、誰も彼も疑っているようでした。

 母上亡き後、己を疎んだ若旦那様に追い出されると思ったのでしょう。そう、弟君が若旦那様を殺す理由はあれど、逆はないのです。



 あの女中ですか。存じております。元は華族の生まれですが、今は没落し、親を亡くして飯炊きとして御家に拾われた娘でしょう。素朴でよく働く娘でしたが。

 あの女中と弟君は恋仲でした。探偵さんもとうにご存知でしょう。


 弟君の変わりようには女中の入れ知恵もあったらしいようですね。

 若旦那様がふたりを酷い目に遭わせることを恐れて、やられる前にやってしまえと唆したんでしょうな。


 はい、実のところ、探偵さんが見つけた毒薬の袋はあの女中のものです。

 ですが、娘は誰も殺しておりません。最初に女中の部屋で見つけたあれを見つけたのは私ですから。


 私は五つで拾われてから毒見をしておりますので、ちょっとやそっとの毒には慣れております。女中が若旦那様に出した御茶の味がおかしいことにもすぐ気づきました。


 ですから、私は若旦那様にお出しする玉露と、女中が仕事の合間に飲む出涸らしの、急須の中身をすり替えたのです。あの娘が死んだのはそれ故ですが、自業自得でございましょう。



 これから先は探偵さんの推理の通りです。

 畳を毟って着物を裂いて悶え苦しんだ恋人の死骸を見た、若旦那様の弟君は激昂いたしました。


 若旦那様の部屋に押し入り、罪を自白させようとしました。当然若旦那様は否定なさいます。何もしていないのですから。

 しらを切っていると思った弟君は、若旦那様の首を絞めました。温厚なあの方とは思えませんでしたな。私が止めに入らなければ、若旦那様を殺していたでしょう。


 再三申し上げますが、若旦那様を殺そうとしたのは弟君であって、逆ではないのです。



 あと一分。ああ、もう言ってしまうか。しぶとかったですよ。あの男は。

 売女の母親に似た小娘のような面をしているのに、なかなか隙を見せぬのです。若旦那様にお仕えしている私を警戒していたんでしょうな。


 不釣り合いな椅子とはいえ、名家の次男でありながら、飯も水もろくに食わずに犯人探しに勤しむものだから、卑しい限りでした。毒を入れる隙もありゃしない。


 刃物や縄も考えましたが、万一仕損じたら全てが明るみに出てしまいますから、やめましたよ。


 冬なら火鉢の不始末で焼き殺すこともできたんですが、この頃は暖かくなりすぎました。


 衰えて死ぬのを待とうと思いましたが、とうとう名探偵の貴方を呼んできたものだから、それもできませんでしたよ。



 ええ、ご推察の通りです。

 隙のないあの男も亡き恋人だけは弱みでした。胃の中身を全部吐き出して、血反吐まみれで死んだ、奴が最期まで握りしめいた、女中の手紙は私が持ってきたものです。女中の形見の桐箱に隠すようにして入れておきました。


 手紙の封を切るときは歯で破るでしょう。口に入ってしまえばこちらのものだ。

 地獄もかくやの苦しみだったでしょうが、母と恋人と同じ毒で死ねたのなら本望でしょう。三人仲良く同じ地獄に堕ちたか、犬畜生にでも生まれ変わるのが似合いだ。



 言った通りでしょう、若旦那様は誰も殺しちゃおりません。

 全て私がやったのですから。

 私がこうしてお話ししたのは良心からではございません。三人が死んだ今、厄介なのは探偵さん、貴方だけです。

 貴方が死ねば、全ては闇の中になる。


 名推理を全てお話しするには口が乾きますから、私のお出しした茶を全部喫してくださいましたね。だから、三分間いただければ充分だったのです。

 ほぅら、もう、毒が回る。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

是薬三分毒 木古おうみ @kipplemaker

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ