第2話 本編


「こんばんわ」


 【四面塔】を眺めていた男の背後から、女性が声をかける。男が振り返ってみれば、二十代前半くらいだろうか──可愛いらしい白いワンピースを着た女性の姿。顔は今どき珍しくはなくなったが、お洒落なベージュ色のマスクをしているため、目元しか分からない。


「こんばんわ。俺に何か用ですか?」

「いえ、その塔を眺めている人なんて珍しくて──」


 「つい」と、女性が笑う。


「ああ、この四面塔? に呪われたって設定のショート動画でバズったことがありまして……」


 「トッシーの体当たりホラーって知りません?」と、男が得意げに話すが、女性は小さく首を横に振る。


「えー? それなりに配信者の中では知名度あると思ったんだけどなぁ」

「ごめんなさい。あんまり動画配信とか見なくて。でも……興味はあります。これも何かの縁ですし、よかったらそこでお話ししません?」


 そう言って女性が四面塔から見える線路沿いの公園を指さす。公園の目の前にはコンビニがあり、飲み物でも買ってくれば、話すにはちょうどよさそうだ。こんなことで「何かの縁」などと言う女性を男は訝しむが、正直若い女性に声をかけられたことに気分が上がり、提案に頷いた。


「じゃあ俺はビール買ってくるけど、何か飲む?」

「ううん。私はお話し出来ればいいから何もいらないかな」

「分かった。まあビールは何本か買ってくるから飲みたくなったら飲んで」


 男がコンビニに向かい、しばらくしてビールとつまみを片手に戻ってくる。そのまま二人はベンチのように利用出来る花壇に腰掛けた。


「どんな動画を撮っているんです?」

「んー、なんだろ? 曰くがありそうな場所とか物に適当に物語作って──って感じかな」

「へー、お話を作るのが好きなんですね?」

「いやいや、ホラーが流行ってるから何となく? 再生回数がいいんだよねぇ。この辺でも何個か動画撮ったけど、それなりに全部再生回数は高かったなぁ。かなり稼がせて貰ったね」


 そう言って男が満足気にビールをごくりと飲む。


「この辺っていうのは池袋でってことですか?」

「そうそう。例えば──」


 「あそこのトイレも使わせて貰ったよ」と、男が公園の公衆トイレを指差す。


「夜の公衆トイレって不気味だろ?」

「確かにちょっと怖いですよね」

「だから適当に物語を作って──」


 「深夜に訪れると、便器の中に引きずり込まれるって動画撮ったんだよねぇ。便器の中が血の池に変わるって設定でぇ、トイレットペーパーで配管詰まらせてぇ、大量のトマトジュース使ったんだよねぇ。あ! 終わった後にトイレ用具のすっぽん? 使って詰まりはなんとか直したよ!」と、男が笑う。


「その時もあの四面塔の呪いを絡めたんだよ。この辺で死んだ人は四面塔の呪いで地縛霊になるってねぇ」

「でもあの四面塔の曰くは本当……なんですよね? 祟られたりしません?」

「え? 大昔に辻斬りか何かで大勢死んだってやつ? ははっ! そんなんどうでもいいって!」


 男はビールで酔ったのか、次第に声が大きくなる。


「曰くとか呪いとかそんなんある訳ないだろ? 全部エンタメだよエンタメ!」

「お兄さんは──」


 「信じていないんですね」と、女性の雰囲気が暗く淀んだ気がした。


「あれ? 怒っちゃった? もしかしてお姉さん……そっち系? 見えちゃう系?」

かもしれませんね? 呪いは想い。生霊いきりょうというものがあるように、想いは呪いに転じます」

「うわぁ……本当にそっち系じゃん。お姉さん可愛いのにもったいないよ?」

「私……可愛いですか?」

「マスクで目元しか見えてないけど可愛いよ! あ! やば! ちょっとトイレトイレ! すぐ戻るから待ってて!」


 そう言って男が公衆トイレに向かって駆け出す。人気がなく、どこかじっとりとした雰囲気を醸し出す公衆トイレ。


「自分で動画にしておいてなんだけど……やっぱ夜の公衆トイレは気持ち悪いな」


 男が用を足しながらそんなことを呟いていると、ギィ──と、個室トイレの扉がゆっくりと閉まっていく。


「なんだぁ? 建て付けでも悪いのかぁ? それとももしかして本当に幽霊さんですかぁ? 幽霊さんも催すんですかぁ?」


 酔った男がふらふらと個室に近付き、閉じた扉を勢いよくバンッ! と開く。


「ははっ! やっぱ何もいな──」


 ぞくり──と、男を嫌な寒気が襲う。じぃ──と、男を見つめる視線を感じる。夜とはいえ、季節は初夏。寒くはないはずなのだが、気味の悪い視線に体ががたがたと震える。


「な、なんだよ! だ、誰かいるのかよ!」


 そう男が叫んだところで、がしり──と、男の腕が捕まれる。見れば便器の中がごぼごぼと血の池のように沸き立ち、中から伸びた腕が男の腕を掴んでいる。


「あ゙ぁ゙あ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙っ!! な、なんだよ! 離せ! 離してぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!!」


 男が無我夢中で腕をぶんぶんと振り、なんとかトイレから逃げ出す。逃げ出してすぐ、異変に気付いた。


 暗いのだ。


 先程まで街灯やビルの明かりに照らされていたはずなのだが、停電にでもなったように真っ暗なのだ。都会の頼りなく朧気な月明かりだけが妖しく光る。


「な、なんだよ! 停電かよ! そうだ! お姉さん! お姉さん!!」


 叫びながら男が先程まで女性と座っていた花壇を見るが、そこに女性の姿はなかった。だが代わりに黒いが花壇で蠢く。


「なんだぁ……? 人の……頭……ひぃっ!!」


 男が掠れた悲鳴を上げると同時、ずるり──と、花壇から上半身だけのが這い出て来て、男の元へとがさがさと近付く。男はあまりの恐怖でその場にへたり込んだのだが、耳元で「あの人はこの公園に面した線路で、電車に轢かれて亡くなったの。知ってるでしょ? 本当は成仏出来たんだけど?」と、先程まで話していた女性の声がした。


「ど、どういうことだよ! 俺が怨霊にしただぁ!? ひ、ひぃっ!!」


 気付けば上半身だけのが男の足をギチギチと掴んでいる。


「撮ったでしょ? 動画。電車に轢かれたってニュースを見て思いついたんでしょ? トイレもそう。あのトイレで、心不全で亡くなった人がいるって知って──」


 「撮ったんでしょ? 動画」と、耳元で冷たい女性の声が囁く。


「だ、だからなんだってんだ! べ、別に悪くないだろ! は、配慮だよ配慮! 違う話にした方が個人を特定出来ないだろ!!」


 「呪い──」と、女性のじっとりとした声が響く。


「四面塔の呪いとして拡散したでしょ? あなた。ただ不幸にも亡くなった方を呪ったでしょ? あなた。人の不幸を笑ったでしょ? あなた」

「の、呪ってない! 呪ってなんかない!!」


 呪いは想い──


 想いは呪い──


 と、女性の声が男の耳元で木霊する。


「あなたの動画を見た沢山の人のと成って、

「え? ……?」


 男が恐る恐る振り返る。そこには先程まで花壇に座っていた女性の姿。だが──


 目は虚ろで、可愛いらしい白いワンピースは血に塗れている。


「私はね、そこのビルでただ階段を踏み外して死んだだけなの。分かるでしょ? あなたが撮った白いワンピースにマスクをした女の霊が出るって動画。あなたはニュースで私のことを知って、それで動画にしたんでしょ? ねぇ? 聞いてる? ねぇ……ねぇねぇねぇねぇねぇ……」


 「ねぇっ!」と、女性が叫ぶ。


「ご、ご、ご! ごめんなさいぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃっ!! ち、違うんです違うんです! 面白おかしくしようとした訳じゃないんですぅぅぅぅぅぅぅぅ! ゆ、許して! 許して下さぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃっ!!」

「いいわよ? でもこれに答えてくれたらね」


 そう言って女性がマスクを外すと、男の口からは「ひぃっ!」と悲鳴が漏れた。


 男が動画のモデルにした女性は、階段から落ちて顔を地面に打ち付け、亡くなった。男はそれをニュースで知って、面白おかしく事実を変えた。


 姿──


 と。


 あまりの恐怖にがたがたと震える男に、白いワンピースの女性が顔を近付けて尋ねる。


「私、可愛い?」


 と。


「か、可愛いです! とっても可愛いですぅぅぅぅぅぅぅっ!!」

「そう? それなら──」


 「お揃いにしましょうか」と、女性が男の足を掴んでビルの階段を上る。その後、男は──



*****



「なあ知ってるか?」 

「知ってるって何を?」


 【池袋四面塔尊】の前で、小学生だろうか? 男の子が二人、話している。


「この辺で出るっていう

「動画男? なにそれ」

「聞いた話だから詳しくは知らないんだけど……SNSとかで稿をしてる人の前に現れるんだって。『君もこっち側だね。撮影していい?』って」

「ふーん。それで? 現れてどうなるの?」

「動画男に撮影された人は怨霊になっちゃうんだってー」

「くだらなぁ。そんなことよりさぁ、二組の山下どうする?」

「あー、最近なんか調子に乗ってるよなぁ」

「またやっちゃう? あることないことでっち上げて……」

「いいね!」


 そんな話をしている少年二人の耳元で、男の声が囁く。



 君もこっち側だね。撮影していい?



 と。



 ──新説・都市伝説池袋編(了)



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新説・都市伝説池袋編 鋏池 穏美 @tukaike

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