本編
「こんばんわ」
【四面塔】を眺めていた男の背後から、女性が声をかける。男が振り返ってみれば、二十代前半くらいだろうか、可愛いらしい白いワンピースを着た女性の姿。顔は今どき珍しくはなくなったが、お洒落なベージュ色のマスクをしているため、目元しか分からない。
「こんばんわ。俺に何か用ですか?」
「いえ、その塔を眺めている人なんて珍しくて──」
女性は男にしっかりと視線を合わせ、「つい声をかけてしまいました」と微笑んだ。
「ああ、この四面塔? に呪われたって設定のショート動画でバズったことがありまして……、トッシーの体当たりホラーって知りません?」
得意げに話す男だが、女性は小さくかぶりを振る。
「えー? それなりに配信者の中では知名度あると思ったんだけどなぁ」
「ごめんなさい。あんまり動画配信とか見なくて。でも……、興味はあります。これも何かの縁ですし、よかったらそこでお話ししません?」
女性はそう言うと、四面塔から見える線路沿いの公園を指さす。公園の目の前にはコンビニがあり、飲み物でも買ってくれば話すにはちょうどよさそうだ。こんなことで「何かの縁」などと言う女性を男は少し訝しむが、正直若い女性に声をかけられたことに気分が上がり、提案に頷いた。
「じゃあ俺はビール買ってくるけど、何か飲む?」
「ううん。私はお話し出来ればいいから何もいらないかな」
「分かった。まあビールは何本か買ってくるから飲みたくなったら飲んで」
コンビニに向かい、しばらくしてビールとつまみを片手に戻ってくる男。そのまま二人は、ベンチのように利用出来る花壇に腰掛けた。
「どんな動画を撮っているんです?」
「んー、なんだろ? 曰くがありそうな場所とか物に適当に物語作って──って感じかな」
「へー、お話を作るのが好きなんですね?」
「いやいや、ホラーが流行ってるから何となく? 再生回数がいいんだよねぇ。この辺でも何個か動画撮ったけど、それなりに全部再生回数は高かったなぁ。かなり稼がせて貰ったね」
男はそう言うと、満足気にビールをごくりと飲む。
「この辺っていうのは池袋でってことですか?」
「そうそう。例えば──」
言いながら公園の公衆トイレに視線を向けた男が、「あそこのトイレも使わせて貰ったよ」と指差す。
「夜の公衆トイレって不気味だろ?」
「確かにちょっと怖いですよね」
「だから適当に物語を作って──深夜に訪れると、便器の中に引きずり込まれるって動画撮ったんだよねぇ。便器の中が血の池に変わるって設定でぇ、トイレットペーパーで配管詰まらせてぇ、大量のトマトジュース使ったんだよねぇ。あ! 終わった後にトイレ用具のすっぽん? 使って詰まりはなんとか直したよ! その時もあの四面塔の呪いを絡めたんだよね。この辺で死んだ人は四面塔の呪いで地縛霊になるってねぇ」
「でもあの四面塔の曰くは本当……なんですよね? 祟られたりしません?」
「え? 大昔に辻斬りか何かで大勢死んだってやつ? ははっ! そんなんどうでもいいって!」
男はビールで酔ったのか、次第に声が大きくなる。
「曰くとか呪いとかそんなんある訳ないだろ? 全部エンタメだよエンタメ!」
「お兄さんは信じていないんですね」
そう呟いた女性の雰囲気が、暗く淀んだ。
「あれ? 怒っちゃった? もしかしてお姉さん……そっち系? 見えちゃう系?」
「
「うわぁ……本当にそっち系じゃん。お姉さん可愛いのにもったいないよ?」
「私……可愛いですか?」
「マスクで目元しか見えてないけど可愛いよ! あ! やば! ちょっとトイレトイレ! すぐ戻るから待ってて!」
そう言って男が公衆トイレに向かって駆け出す。人気がなく、どこかじっとりとした雰囲気を醸す公衆トイレ。
「自分で動画にしておいてなんだけど……、やっぱ夜の公衆トイレは気持ち悪いな」
男が用を足しながらそんなことを呟いていると、ギィ──と、個室トイレの扉がゆっくりと閉まっていく。
「なんだぁ? 建て付けでも悪いのかぁ? それとももしかして本当に幽霊さんですかぁ? 幽霊さんも催すんですかぁ?」
酔った男がふらふらと個室に近付き、閉じた扉を勢いよくバンッ! と開く。
「ははっ! やっぱ何もいな──」
ぞくり──と、男を嫌な寒気が襲う。じぃ──と、男を見つめる視線を感じる。夜とはいえ、季節は初夏。寒くはないはずなのだが、気味の悪い視線にがたがたと体が震えてしまう。
「な、なんだよ! だ、誰かいるのかよ!」
そう男が叫んだところで、がしり──と、男の腕が捕まれた。見れば便器の中がごぼごぼと血の池のように沸き立ち、中から伸びた腕が男の腕を掴んでいる。
「あ゙ぁ゙あ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙っ!! な、なんだよ! 離せ! 離してぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!!」
男が無我夢中で腕をぶんぶんと振り、なんとかトイレから逃げ出す。逃げ出してすぐ、異変に気付いた。
暗いのだ。
先程まで街灯やビルの明かりに照らされていたはずなのだが、停電にでもなったように真っ暗なのだ。都会の頼りなく朧気な月明かりだけが妖しく光る。
「な、なんだよ! 停電かよ! そうだ! お姉さん! お姉さん!!」
叫びながら男が先程まで女性と座っていた花壇を見るが、そこに女性の姿はなかった。だが代わりに黒い
「なんだぁ……? 人の……頭……? ひぃっ!!」
男が掠れた悲鳴を上げると同時、ずるり──と、花壇から上半身だけの
「ど、どういうことだよ! 俺が怨霊にしただぁ!? ひ、ひぃっ!!」
気付けば上半身だけの
「撮ったでしょ? 動画。電車に轢かれたってニュースを見て思いついたんでしょ? トイレもそう。あのトイレで、心不全で亡くなった人がいるって知って──」
男の耳元で、「撮ったんでしょ? 動画」と、冷たい女性の声が囁く。
「だ、だからなんだってんだ! べ、別に悪くないだろ! は、配慮だよ配慮! 違う話にした方が個人を特定出来ないだろ!!」
「呪い──」
じっとりと纏わり付くような、女性の声が響く。
「四面塔の呪いとして拡散したでしょ? あなた。ただ不幸にも亡くなった方を呪ったでしょ? あなた。人の不幸を笑ったでしょ? あなた」
「の、呪ってない! 呪ってなんかない!!」
呪いは想い──
想いは呪い──
と、女性の声が男の耳元で木霊する。
「あなたの動画を見た沢山の人の
「え?
男が恐る恐る振り返る。そこには先程まで花壇に座っていた女性の姿。だが──
目は虚ろで、可愛いらしい白いワンピースは血に塗れていた。
「私はね、そこのビルでただ階段を踏み外して死んだだけなの。分かるでしょ? あなたが撮った白いワンピースにマスクをした女の霊が出るって動画。あなたはニュースで私のことを知って、それで動画にしたんでしょ? ねぇ? 聞いてる? ねぇ……ねぇねぇねぇねぇねぇ……」
ねぇっ! と、女性が叫ぶ。
「ご、ご、ご! ごめんなさいぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃっ!! ち、違うんです違うんです! 面白おかしくしようとした訳じゃないんですぅぅぅぅぅぅぅぅ! ゆ、許して! 許して下さぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃっ!!」
「いいわよ? でもこれに答えてくれたらね」
そう言って女性がマスクを外すと、男の口からは「ひぃっ!」と悲鳴が漏れた。
男が動画のモデルにした女性は、階段から落ちて顔を地面に打ち付け、亡くなった。男はそれをニュースで知って、面白おかしく事実を変えた。
と。
あまりの恐怖にがたがたと震える男に、白いワンピースの女性が顔を近付け、尋ねる。
「私、可愛い?」
と。
「か、可愛いです! とっても可愛いですぅぅぅぅぅぅぅっ!!」
「そう? それなら──」
女性が微笑み、「お揃いにしましょうか」と、男の足を掴んでビルの階段を上る。その後、男は──
*****
「なあ知ってるか?」
「知ってるって何を?」
【池袋四面塔尊】の前で、小学生だろうか? 男の子が二人、話している。
「この辺で出るっていう
「動画男? なにそれ」
「聞いた話だから詳しくは知らないんだけど……、SNSとかで
「ふーん。それで? 現れてどうなるの?」
「動画男に撮影された人は怨霊になっちゃうんだってー」
「くっだらなぁ。そんなことよりさぁ、二組の山下どうする?」
「あー、最近なんか調子に乗ってるよなぁ」
「またやっちゃう? あることないことでっち上げて……」
「いいね!」
そんな話をしている少年二人の耳元で、男の声が囁く。
君もこっち側だね。撮影していい?
と。
──新説・都市伝説池袋編(了)
新説・都市伝説池袋編 鋏池 穏美 @tukaike
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