ゲハイネスボルト・シュンペーター伯爵の早朝の日課

飯田太朗

広場の怪人

 ご主人様には三分以内にやらなければならないことがあった。シェーンランターンクァッセ広場の怪人を、この手で逮捕することである。


 ご主人様の朝は七時に始まる。七時きっかり。一秒たりとも遅れない。起きたらまず、指を鳴らす。伸びをする。そしてガウンを羽織って、わたくしめが起き掛けにベッドサイドテーブルに用意しておいたコーヒーを一口に呷り、寝室を出る。わたくしども召使いは、そんなご主人様の目覚めを屋敷の北館、七本目の廊下にて待つ。

 果たしてご主人様は七時きっかりに姿を現す。刺繍の施された美しい寝巻きは、それだけでとても優雅で神々しい。いや実に美しい。女の私を差し置いて、ご主人様は花のように雅で華麗だ。

「今日は木曜日だったな」

 ご主人様は食堂に向かって歩かれながら壁掛け時計を確認する。北側七本目の廊下には全部で二十一台の時計が設置されており、それぞれがそれぞれの時刻を差している。

「はい。シェーンランターンクァッセ広場の……」

「理解している。怪人だな」

「その通りでございます」

「八時か九時に出れば現地では早朝だな?」

「明け方五時頃かと」

「上々」

 それからご主人様は、食堂にて二杯目のコーヒーと――リスが特殊な土に埋めた栗の一種から作るもの――固茹で卵、厚めのベーコンにサラダをお食べになる。コーヒーの二口目に差し掛かったところで、わたくしめは各界の新聞を差し出す。まずは七紙。

「ハリスでは……何と、警察に予告状が来たようだな」

 ご主人様は冷静におっしゃられる。

「カドリアでは……何と何と」

 やれやれ、と首を横に振られる。それから新聞各紙を捲りながらぶつぶつとつぶやかれる。

「連合王国で……『時の書物』発見」

「……高校で殺人事件」

柏田かしわだで小説家が行方不明」

 それからご主人様はすいと指を動かされる。透明な板が浮かび上がってくる。

「F7543星にてエネルギータンクのクラッシュか……何とも痛ましい」

 ご主人様がまたすいと指を動かされると、その透明な板は消え去り、代わりに古い紙の新聞が現れる。

「セント・フォースでドラゴンによる娘さらい……」

 ご主人様の目が輝く。

「なかなか美人じゃないか! そういえばアバルドフォースの世界で私は……」

「未婚でございます」

 わたくしめは静かに応じる。

「アバルドフォースにおいて、ご主人様は国王です。王妃としてそのご婦人を迎えることも可能です」

 するとご主人様は顔をおしかめになられた。

「いや、それほどの器量ではない。セント・フォースの村娘ともなれば教育も碌に……いや、これを機にあの辺りを開発するか」

 ぶつぶつと考え事をなさるご主人様。わたくしめはすかさず残りの十四紙をテーブルの隅に置く。

「各界の新聞に目を通しましたところ、これらの記事は参照に値するかと」

「今朝は合わせて二十一紙か。暇な方だな」

 ご主人様はわたくしめがテーブルに置いた記事を手に取られる。

「着替える。三十分後に出勤する」

「ははっ」

「お前。体のことがあるのだから無理をするなよ。しばらく休みをやると言っているのに」

 しかしわたくしは首を横に振る。

「こうしていたいのです」

「なら良いが……」

 そうしてご主人様の一日が始まる。


「シェーンランターンクァッセの広場の案件、期限はどのくらいだ?」

 ご主人様に訊かれわたくしめは答える。

「三分以内でございます」

「……三分というとあっちでは……」

「百八十日。半年程です」

「それだけあれば十分だろう」

 ご主人様はコート掛けにあった鈍色のコートを羽織り、同じく鉛みたいな色をした帽子を被られる。途端に、その姿は年端もいかない娘の姿に変わる。長い脚が短いスカートから飛び出ている。まぁ、何とも破廉恥な。しかしだからこそ、「怪人」の気をそそるのだろう。

「いってくる」

「いってらっしゃいませ」

 わたくしめが深々とお辞儀をすると、ご主人様は静かに書斎へと入られる。出勤。ご主人様はいつも書斎から出勤なされる。


 我がご主人、ゲハイネスボルト・シュンペーター伯爵と言えば「不死身伯爵」として、各界で有名である。

 実際ご主人様が弱って死ぬところなどわたくしには想像もつかない。わたくしはご主人様に仕えて三百と八年経過したが、先任の執事長は五百年目の勤続でついに暇を出された。理由は、「お前も余生を楽しみたかろう」とのことだ。

 ゲハイネスボルト・シュンペーター伯爵の仕事は簡単なことだ。各界に赴きそこで起こっている謎の事件を解決する。今朝はシェーンランターンクァッセ広場の怪人事件を解決しに出向かれた。事件の概要を説明する。

 夜分にシェーンランターンクァッセ広場を通った娘が行方不明となった。捜索から三日後の朝、いつものように警官が広場に出勤すると、そこにはあられもない姿で身を捩る娘の姿があった。

 娘の腕には注射の跡があり、どうも高濃度の媚薬を静脈に打たれたらしかった。実際娘は第一発見者の警官が男と分かるや飛びかかって体を求めたらしい。

 それから一週間後、またも広場で中年の女性が行方不明となった。果たして彼女もとんでもない姿で見つかった。素っ裸で果てたように倒れていた女性は、過度な興奮による失神状態として病院に運ばれたが、数日後に死亡が確認された。

 また、この頃から「シェーンランターンクァッセ広場で見慣れない男を見た」という目撃証言が得られ、警察は周辺の警備を一層強めたのだが、事件はついに警察にも及んだ。現場で手伝いをしていた老婦人が行方不明になったかと思えば、翌朝枯れ枝のような状態になって発見されたのである。死因はやはり、過度な興奮による心臓発作だった。医者の所見では腹上死に近い状態だったらしい。

 いずれの事件にも、「現場に桃のような甘い香りが残っていた」という共通点があった。しかし手がかりと呼べるものはそれが唯一にして最後。実際何の役にも立たなかった。事件は迷宮入りの様相を呈した。

 そういうわけで事件は「シェーンランターンクァッセ広場の色情魔」「シェーンランターンクァッセの桃」などと名付けられ広まった。女性ばかりを狙うこの事件に、ご主人様はこれに目をつけられた。


真似妖怪ボガートの類だな。おそらく変種だろう」

 新聞を見ながらご主人様は笑われた。

「その者が一番恐れるものに変身する。こいつはおそらく、『その者が最も性的に興奮するもの』に変身して取り憑くのだろうな。幻覚や興奮作用のある薬、ないしはその材料となる物質を分泌するに違いない。簡単な用だよ。三分あれば解決する」

「しかしご主人様」

 あの時、わたくしめは丁寧にご忠告した。

彼奴きゃつめは変身します。油断は禁物かと」

「分かっている」

 ご主人様は甘い匂いのパイプを蒸された。私はこの匂いが好きだ。よく熟した果物を連想させる香り。ご主人様の見目麗しい容姿と重なるとえもいわれぬ美しさ、まるで一品の完成された美術品のようになる。

「しかし五分はどう考えてもかからん。三分……向こうの時間で言うと半年くらいか。確かウィルン王国の法律では……」

「『いかなる事件もその年の半分以上思い悩んではならない』」

「そうだったな。やはり三分が絶妙。備後国びんごのくにの一件が終わってから着手する」

 あの時、ご主人様はそうおっしゃられて、書斎にある『備後国風土記』を手に取られた。

「いってくる」

 ページを捲る。途端に、ご主人様の姿はもう、ない。


 ご主人様があちらに行かれてから二分半が経過した。

 わたくしめは時計を見ながら今か今かと待つ。一秒が長い。

「イライザ様」

 メイドのキャサリンが私に声をかけてくる。

「ご主人様が心配なのは分かりますが、イライザ様は身重ですし……」

「分かっている」

 私は大きくなったお腹を撫で、厳しく一喝する。

「ご主人様が私と我が子のために必ず帰ってくることは私だって理解している。だが、だが……」

 わたくしは考える。

 あの夜、わたくしめを優しく寝床へ招いてくれたご主人様を。

 ああ、あの指、あの胸板、あのお腹、あの脚、それから肩に背中、ご主人様の吐息。

 全てが甘美だった。たまらなかった。最高だった。

「キャサリン、あなたはもうお行き。夕食の用意を」

「それなのですがイライザ様。まだ若い男の睾丸が手に入らず、ソテーの調理に間に合いそうにありません……」

「ならばジェイムソンのを切り取ってしまいなさい。彼奴あやつは八つ持っているでしょう」

「訊いてみます」

「急ぎなさい」

 果たして、そう、こんな雑談をしている内に。

 書斎のドアが開かれる。私はついに、と身を翻し書斎の方を見る。果たして、ご主人様が笑顔で姿を現される。よく熟した、桃のような甘い香りと共に……。


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