第2話 本編

 本編

 スポット1


 なんだか不思議な場所であった。

 飲食店や『吉見町埋蔵文化財センター』という立派な建物がある。

 そして、そのすぐ向こうに、穴が幾つも空いた岩肌、吉見百穴がある。

 何かの遺跡なのだろう。

 ここは日常と非日常の距離が、不自然なほどに近い。

 妙な不安を感じるほどであった。


 叔父さんが観覧料金を支払い、ぼくたちは立派なゲートを通って敷地の中に入っていった。


 スポット2


 ゲートを抜けて、ほんの20メートルも歩けば、むき出しの岩肌に触れることが出来る。

 ぼくは岩の斜面を見上げた。

 低い場所から高い場所まで、幾つもの穴が開いている。

 「この穴、何だと思う」

 横に立つ叔父さんが、そう言った。

 すぐそばに、説明文の書かれた立て札があるが、叔父さんは、それをぼくに見せないような位置に立っている。

 「ん~~、昔の……石器時代の人間が住んでいた洞穴かな。でも、人が出入りするには、ちょっと小さいよね」

 どの穴も1メートル程度の高さしかないのだ。


 「あ、もしかして、あそこが入口かな」

 左右に視線を巡らせたぼくは、しっかりとした鉄筋で支えられた、大きな穴を見つけた。


 スポット3


 その穴は、他の穴とは違い、高さが2メートル以上はあった。

 しかし、入ってみると、すぐ先で、頑丈そうな鉄柵の扉が閉じられている。

 扉は鎖と南京錠で、しっかりと固定され、『この洞窟は、地下軍需工場跡地です』と書かれた立て札があった。


 扉に近づいたぼくは、鉄柵の隙間から、洞窟の奥を覗き込んでみた。

 奥は深い。

 どこまでも続く、長いトンネルである。

 そして、暗い。

 手前の壁に、幾つかの照明が設置されていたが、明かりの届く範囲は狭く、洞窟の奥は不気味な闇で満たされていた。


 「この穴は、他の穴とは違うんだよ」

 後から入ってきた叔父さんが言う。

 「第二次世界大戦のとき、地下に軍需工場を造ろうとして、日本軍が掘らせた穴なんだ。

 崩れる危険があるから、今は立ち入り禁止になっているんだよ」

 そう言った叔父さんは、再び外へと出ていく。


 「待ってよ」

 叔父さんを追いかけようとしたぼくは、鉄柵の向こうから視線を感じた。

 反射的に顔を戻し、鉄柵の向こうを見る。

 一瞬、洞窟の奥、暗闇の中で、何かが動いたように見えた。

 「なんだろう?」

 ぼくは目を凝らした。

 しかし、トンネルの奥は闇があるだけである。

 ぼくは、ぞわりと怖いものを感じ、鉄柵から離れた。

 不気味な考えが浮かんだのだ。

 この鉄柵の扉は、洞窟の中に入れないようにしているんじゃなくて、洞窟の中のモノが、外に出てこられないようにしているんじゃないんだろうか……。


 スポット4


 ぼくと叔父さんは、岩の斜面に作られた、コンクリート製の階段をのぼり始めた。

 吉見百穴の岩山は、のぼることが出来るのだ。

 階段の左右の岩肌には、幾つもの穴がある。

 「吉野百穴は、人間が住んでいた跡じゃなくて、お墓なんだよ。

 古墳時代に作られた、古いお墓の集まりさ」

 叔父さんは、そう教えてくれた。

 階段の途中で立ち止り、持参してきたペンライトで、すぐ横にある穴の中を照らしてみせる。


 穴の中は、小さな部屋のようになっていた。

 天井は、出入り口より少し高くなっている。

 そして部屋の左右に、一段高くなっている部分があった。

 「その場所に、棺に入れた死体を安置したんだよ」


 叔父さんは穴から離れ、再び階段をのぼり始めた。

 「だけど、この吉見百穴を発掘した坪井正五郎という学者は、この洞窟は、元々は、家だったという説を立てていたんだ」

 「でも、それだと小さ過ぎない?」

 「コロポックルって知っているか」

 叔父さんは、別の質問をしてきた。

 「聞いたことがあるよ。小人みたいな妖怪……、いや妖精だったかな。

 ……え!? もしかして」

 「そうだよ。坪井正五郎は、この吉見百穴は、人間じゃなくて、コロボックルが住んでいた穴だっていう説を立てていたんだ」

 「でも……」

 さすがに信じられない。

 「まあ、明治時代の話だけどな」

 叔父さんは笑って言う。

 「大正時代になると、コロボックルの住居説は否定され、横穴式のお墓ということが定説になったよ」

 と、叔父さんの声の調子が変わった。

 妙に真面目な口調になる。

 「だけど、本当にコロポックルは住んでいなかったのかな」


 スポット5


 ぼくたちは岩の斜面をのぼり切った。

 高さは50メートルほどだろうか。

 周囲に高い建物が無いから、見晴らしは最高に良かった。


 「悪魔の証明って言葉は知っているか?」

 景色を楽しむぼくに、叔父さんがそう聞いてきた。

 「何それ? 知らない」

 ぼくは、叔父さんの方に顔を向ける。

 「無いことを証明することだよ」

 叔父さんの言う意味が、よく分からなかった。


 「吉見百穴がお墓だったってことは、穴の中から発掘された、人骨や土器、金属器などの副葬品で証明されたんだ。

 坪井正五郎も、それは認めている。

 ただ、正五郎は、この穴は、元々は、ココロポックルの棲み家で、その後、人間が、お墓として利用したんだと考えていたんだ」

 「ん~~」

 ぼくは考えた。

 「でもさ、そうだとしたら、コロポックルの小さな骨や、コロポックルが使っていた小さな土器も発見されているんじゃないの?」

 「まだ発見されていないだけかも知れないだろ」

 「え~~、そんなこと言われても」

 ぼくは困った顔になる。

 「いなかったという証明が出来ないと言うことは、やっぱり、コロポックルは存在していたことになると思わないか」

 「いや、でも……」

 ぼくは、どう反論していいのか分からなかった。


 「な。コロポックルがいなかったと証明することは難しいだろ。

 これが『無い』ことの証明、悪魔の証明と言うんだよ。

 逆に『ある』ことの証明は、証拠さえそろえば簡単だ。

 穴の中から出てきた人骨や副葬品が証拠で、元々はお墓であったと証明されたんだ」


 「む~~」

 ぼくが難しい顔で頭の中を整理していると、叔父さんが驚くようなことを言った。

 「実はな、おじさんの友達が、吉見百穴はコロポックルの棲み家だったと証明したんだよ」

 「……え? ええ!」

 ぼくは驚いて声をあげた。

 「ど、どうやって?」

 「ここで、コロポックルを一匹捕まえて、そのまま持ち帰ったんだ」

 叔父さんの言葉に、周囲の樹々がザワザワと鳴った。

 

 叔父さんは、ぼくに背を向けて二歩、三歩と歩き始める。

 ぼくは、叔父さんの後について行こうとした。

 その時、左手の袖を後ろから引かれた。

 驚いて振り返ったけど、そこには誰もいない。


 ぼくが周囲を見回していると、どこからか声が聞こえてきた。

 『本当なの? 見たの?』

 子供の声だ。

 だけどここには、ぼく以外の子供の姿はない。

 「本当さ。見たよ」

 今の声が、ぼくの声だと思ったのか、叔父さんはそう答えていた。

 そして、叔父さんが振り返って、ぼくを見た。

 「そろそろ、下に降りようか」


 スポット6


 五、六段先の階段を叔父さんが降りて行く。

 追いつくために、ぼくが足を早めようとすると、何故か後ろから、誰かに袖を引っ張られる。

 振り向いても誰もいない。

 そして、前を降りて行く叔父さんの周りからは、また、あの声が聞こえていた。

 『友達は誰なの? 名前は?』

 『どこに住んでいるの?』

 『住所は? 一人で住んでいるの?』

 声の主がぼくだと思っているのか、おじさんは、その声の質問に答えていく。

 まだ明るい時間だと言うのに、恐ろしく不気味な状況になっていた。


 『友達に、コロポックルをここまで連れて来てもらってよ』

 その声で、叔父さんはスマホを取り出した。

 おそらく友達に電話を掛けたのだろう。

 何かをしゃべりながら階段を降りていく。

 五、六歩、遅れながら、ぼくも階段を降りていった。


 スポット7


 先に階段を降り切った叔父さんは、スマホをポケットにしまった。

 そして、ようやく追いついたぼくに顔を向ける。

 「今から、来るってさ」

 友達が、コロポックルを連れて来ると言うことなのだろう。

 もう今は、あの奇妙な声は聞こえてこない。

 ぼくは、あの奇妙な声のことを話そうと思ったが止めた。

 上手く説明できる自信が無かったのだ。

 それに、ぼくもコロポックルを見てみたい。


 「待ち合わせの場所は、ここじゃなくって、すぐ近くにあるお寺だよ」

 「お寺?」

 「岩室観音堂と言うお寺さ」


 スポット8


 吉見百穴を出て、3分も歩かない場所に岩室観音堂はあった。

 ぼくと叔父さんが木陰で待っていると、しばらくして一人の男が現れた。

 ふらふらとした足取りで近寄ってくる。

 「おい、どうしたんだよ!」

 叔父さんが驚いた顔になって、男に駆け寄った。

 この男が、叔父さんの友達だったのだ。


 石段の上に座り込んだ男は、ひどい様子であった。

 顔や首筋には、幾つものひっかき傷が赤く刻まれ、出血しているところもある。

 シャツは泥のようなもので汚れ、肩のあたりは裂けていた。


 「家を出た瞬間、コロポックルたちが襲い掛かってきたんだよ。

 十匹近くはいたよ。あいつら、待ち伏せてやがったんだ」

 男は顔をしかめて言う。

 「捕まえていたコロポックルは?」

 「……奪い取られちまったよ」

 男は首を小さく振った。

 

 男のシャツの汚れをよく見ると、それは無数の小さな手形であった。

 「くそ。あいつら、どうやって、おれの住んでいる場所を嗅ぎつけやがったんだ」

 男は首の傷跡を押さえて、忌々しそうに舌打ちした。


 ぼくは吉見百穴の階段で交わされた、奇妙な声と叔父さんとの会話を思い出していた。

 『友達は誰なの? 名前は?』

 『どこに住んでいるの?』

 『住所は? 一人で住んでいるの?』

 叔父さんは、その声の質問に答えていたのだ。


 スポット9


 ぼくと叔父さんは、二人で駐車場に戻った。

 叔父さんが車で送ると言ったのだが、男はそれを断り、歩いて帰っていったのだ。


 「残念だな。

 コロポックルを見せてやりたかったんだけど」

 叔父さんは、ぼくにそう言った。

 「先週、あいつに見せてもらったんだけど、身長は五十センチぐらいで、手足の短い、ずんぐりむっくりとした姿だったよ。

 洞窟に住んでいるせいか、顔は妙に白かったな。

 逆に目玉は真っ黒だった。

 大きくて丸い、真っ黒な目玉が、白い顔の中でぎょろぎょろと動くんだよ」

 「……どっきりでしょ」

 ぼくは、そう言った。


 「どっきり?」

 「叔父さん、ぼくを騙そうとしてるんでしょ。

 あの友達の傷跡は作り物で、自分でシャツに小さな手形をつけたんだよね。

 叔父さんの周りで聞こえていた声は、スマホのアプリで、前もって録音していた声を流していたんじゃないの?」

 「……声? 何を言ってるんだ?」

 ぼくの言葉に、叔父さんは怪訝そうな表情を浮かべた。


 「それに、ぼく、思い出したよ。

 コロポックルって、北海道の妖怪だよね。

 ここは埼玉県だよ」

 「ああ、それは、坪井正五郎が、妖怪に詳しくなかったからじゃないかな。

 小人の妖怪は、すべてコロポックルだと思っていたんだよ。

 埼玉にも、小人の妖怪の伝説はあるんだぞ」

 叔父さんは続けた。


 「袖引小僧と言って、後ろから袖を引っ張る妖怪なんだよ」

 叔父さんの言葉に、ぼくはギョッとした。

 「袖引小僧は、埼玉県の比企郡に出ると言われている妖怪だ」

 「……ここは? ここは埼玉のどこなの?」

 叔父さんは車の前を回り、運転席の方へと移動しながら答えた。

 「埼玉県比企郡の吉見町だよ」


 叔父さんは運転席側のドアを開けた。

 「もう帰ろうか」

 運転席に乗り込み、ドアを閉じる。

 少し震える手で、ぼくも助手席側のドアを開けた。

 そのとき、後ろから左腕の袖をツンツンと引っ張られた。


 「!」

 驚いて振り返る。

 誰もいない……。

 視線を上げると、駐車場の向こうに、吉見百穴が見えた。

 岩肌に開いた無数の黒い穴。

 目を凝らしたぼくは、見てはいけないモノを見てしまった。

 複数の穴の中から、小人のような顔が幾つも現れている。

 小人たちは、真っ黒な目玉で、全員がこっちを見ていた……。


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埼玉県 吉見百穴での怪異 七倉イルカ @nuts05

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