本編

【本編】


「こんにちは」


 武蔵野坐令和神社むさしのれいわじんじゃの赤い鳥居をくぐろうとすると、突然上から少年の声が降ってきた。


 思わず見上げるが、もちろん誰もいるはずもない。


「あれ? 君もしかして、僕の声、聞こえてる? ここだよ、ここ! 鳥居の上! うーん、見えないのかな。声だけ聞こえてるみたいだね。でも話ができるなら十分だ。――よっと」


 横でとんっと地面に着地するような音がした。


「初めまして。僕はマル。ちょっと困ってる事があって、手伝ってくれる人を探していたんだ。突然で悪いんだけど、僕を助けてくれないかな? 難しいことじゃないんだ」


 困り果てた声ではあるけれど、姿の見えない怪しい声にうなずいていいものか迷ってしまう。


「急にこんなこと言われても困るよね。もう少しちゃんと説明するね。目の前にあるあの建物は通称『むさしのれいわじんじゃ』、正式名称を『むさしのにますうるわしきやまとのみやしろ』と言って、最近建てられたばかりの神社だよ。まつられているのは、言霊大神ことだまのおおかみで、僕はその神様の使いである神使のマル。こう見えても――あ、見えないんだっけ――ニホンオオカミなんだ」


 オオカミの耳がえた袴姿はかますがたの少年が、えへんと胸を張っている姿が目に浮かんだ。きっとお尻にはモコモコの尻尾があるのだろう。


「さっきも言った通り、この神社は建てられたばかり。神社を建てる時のおはらいでこの土地の悪い気を一掃して、土地に力を馴染ませてる途中なんだけど、まっさらな所って、悪い気がどんどん集まっちゃうんだ。このまま放っておくと、悪いヤツに土地を奪われちゃう。それを阻止するために、君には神様の力を土地に馴染ませる手伝いをして欲しいんだ」


 突然そんなことを言われても、神様の手伝いだなんて、出来るはずもない。


「やることはすごく簡単だよ。僕の言う通りにこの近くを少し歩いてくれればいい。すぐに終わるよ。ね、お願い。僕の声が聞こえる君にしか頼めないんだ。お願い。この通り。お願いします」


 何度もお願いされ、困っているのに断わるのも申し訳なくて、ついに首を縦に振ってしまった。


「わあ! ありがとう! 本当にありがとう!」


 喜んだマルがパチパチと手を叩く。


「じゃあ、早速だけど、まずは鳥居をくぐって、あの手水舎ちょうずやで体を清めてきてくれないかな。悪いヤツに邪魔されないように、君を綺麗な状態にしておいてほしいんだ。左手、右手の順番で手を洗って、左手に水を溜めて口をゆすいだら、もう一度左手を洗うんだよ。終わったらあっちの大きな石の建物の所まで来てほしい。神社にお参りをしてはいけないよ。体を清めたらそのまま石の建物に行くんだ。わかった?」


 左手、右手、口、左手の順番で清めて、大きな石の建物に向かう……ややこしいけど、なんとかできそうだ。


「じゃあ、僕は石の建物の前で待ってるね!」


 たたっと足音が遠ざかっていくのが聞こえた。



 * * * * *



 手水舎で手と口を洗ってから、大きな石造りの建物の前に行った。


「あ、ここだよー、ここ。早かったね。ちゃんと体を清めて来てくれてありがとう。いいね、いいね。まっさらな状態になってるよ!」


 マルはとても嬉しそうだ。きっと尻尾はぶんぶんと大きく振られているだろう。


「この建物は角川武蔵野ミュージアム。図書館、美術館、博物館が合わさった建物なんだ。中にはたっくさん本があるし、美術品の展示とかもされている。特に本棚劇場がすごい迫力だから、このあともし時間があって、元気だったら行ってみてね! ――ふふふっ」


 くすくすと笑ったマルが、説明を続けていく。


「建物の表面には全部で約二万枚の花崗岩かこうがんが貼られているらしいよ。一枚の重さはなんと五〇キロ以上! 昔は人力でやってたのに、今は機械でひょいっと持ち上げちゃえるんだから人間ってすごいよね。まあもちろん、神や悪魔には劣るけどさ」


 悪魔という言葉が出てきた。さっきマルが言った「悪いヤツ」っていうのは、悪魔のことなのだろうか。


「それでね、実はこの建物――」


 マルがぐっと声を落とす。


「――さっきの神社のご神体なんだ。このご神体を伝ってこの土地に神の力を流し込んでいるんだよ。君にはこれから、神様の力を集めて、この建物にそそいでもらう」

「ヤメロ……」


 突然、ひび割れたザラザラとした声が聞こえた。


「上だ!」


 声につられて、ミュージアムの上を見る。


「ほらあそこ! 建物の上に黒い影がある!」


 マルはそう言うが、目をらして見ても、何も見えない。


「そっか。君にはアイツも見えないんだね。アイツに邪魔されないうちに、早く力を集めてしまおう」


「ヤメロ……ダメダ……」

「黙れ!」

「グッ」


 マルが鋭く叫ぶと、ひび割れた声は苦しそうにうめいた。


「その場に縛り付ける結界を張ったから、アイツはしばらく動けない。今のうちに力を集めよう。この建物の横に周りよりも低くなっている広場があるんだ。こっちだよ」


 マルの声に従って、急いで広場へと向かうことにした。



 * * * * *



「ここだよ。千人テラスって言って、よくイベントをやってる所なんだ。こういう人が集まる所にはたくさん力が溜まりやすいんだよね。本当はあの一番下まで行けるのがいいんだけど、これだけ近ければ十分。じゃあまず、深呼吸を二回して。すぅ~はぁ~、すぅ~はぁ~」


 大きく二回深呼吸をする。


「次に、左手の親指と人差し指で輪を作って、あの広場の中を輪を通してのぞくんだ。見えるかな。モヤモヤした物がただってるのが。……うーん、そっか、見えないか。でも見えなくても大丈夫だよ。そのままその手を――」

「ヤメロ……!」


 またひび割れた声がした。今度はすぐ近くだ。


「しつっこいな、もう! あと少しなんだから、邪魔っ、するなよ! えいっ、このっ、このっ!」


 どうやらマルは悪いヤツと闘っているようだけれど、何も見えない。


「こっちの事はいいから、君は早く続きを!」

「ヤメロ」

「指で輪を作った手を――」

「ヤメロ!」

「ぐっ、くそっ、このっ――手を胸に当てて! 早く!」

「ヤメロ!!」


 マルに言われた通りに、左手を胸に当てる。


 とたん、ドンッと体に衝撃を受けた。


「あーっははは!」


 突然マルが笑い出す。


「引っかかった引っかかった! いま君はここにある悪い気を全部体の中に入れちゃったんだよ。言ったでしょ、まっさらな所には悪い気が集まりやすいって。まだ何ともないだろうけど、ここからじわじわと苦しくなっていくから覚悟してね。悪い気が完全に君の体に浸透したら、僕が君の体を頂くよ。こんな不便な姿とはおさらばだ!」


 さっきまでの無邪気な声とは違い、意地悪そうな声に変わっている。


 そして言われた通り、体が重く、具合が悪くなっていくような気がする。


「僕の本当の名前はマルコシアス。オオカミはオオカミでも、あんなクソな神の神使じゃなくて、悪魔の侯爵さ! 君の体を使えば力を集め放題だ! これでこの土地も奪ってやる! あははははは!」

「サセナイッ」


 マル――いや、マルコシアスの笑い声を、ひび割れた声が遮った。


「ぐっ、お前、まだそんな力が残ってたのか……! 新参者のくせにっ! くそっ、くそっ、くそっ! ――ぐあぁぁぁぁぁっっっ」

「ハァ、ハァ、ハァ……」


 マルコシアスの絶叫が響き、荒い息だけが聞こえてきていた。マルコシアスが倒されたのだろうか。残されたこのひび割れた声の主は一体……。


「コワイオモ――怖い思いをさせてすまない」


 ひび割れた声は、突然ぐっと大人びた声に変わった。


「私は武蔵野坐令和神社むさしのれいわじんじゃの神使だ。神の使いをかたる偽物とは違い、本物のニホンオオカミだ。名は無いから、コマイヌと呼んでくれ」


 今度は、尻尾と耳の生えた大人の姿が目に浮かんだ。オオカミなのに、コマイヌ・・なんだ。


「今は相方の神使も鳳凰ほうおうも所用で外に出ていて、その隙を狙われた。私がお仕えするのはとても強い神なのだが、神使になりたての私は頂いた力を上手く使いこなせておらず、私だけでは古い悪魔であるあやつに対抗することは難しかった。あやつの言う悪い気のせいで、尚更本来の力が使えないでいた。だが――」


 コマイヌは一度言葉を切る。


「そなたが周囲の悪い気を体に閉じ込めてくれたお陰で、本来の力を発揮することができた。残念ながら追い払えただけであやつはまたすぐ戻ってきてしまうだろうが、一時しのぎにはなった。礼を言う」


 衣擦れの音がした。頭を下げているのかもしれない。


 そう思った時、ドクンとまた体に衝撃が走った。


「ああ、悪い気が体をむしばんでいるのだな。あやつが言ったように、放っておけばこれからどんどん苦しくなっていき、やがてあやつが戻ってくれば、その体は乗っ取られてしまうだろう」


 言われている間にも、息がどんどん苦しくなっていく。


「だが大丈夫だ。神社に参拝すればいい。それでそなたの体は清められ、護られる」


 コマイヌはそう言うが、体を清めても、また悪い気を寄せ付けてしまうのではないだろうか。


「先程は手水舎ちょうずやで清めただけだろう? その後にお参りをすることで、加護が得られる」


 なるほど。だからさっきマルコシアスはお参りをするなと言ったのか。お参りをすれば護られるというのは納得できた。


「ではさっそく参拝するといい。私はこの場を清めてから向かうから、その間にそなたも手水舎ちょうずやで身を清めて、お参りをしておいてくれ。神社の前で会おう。お参りの仕方は、二度お辞儀をして、二回手を打ち、祈願をする。最後に一度お辞儀だ。二礼二拍手一礼と言う。ああ、そうそう、神社へは、大きな鳥居をくぐって行くといい。連なる赤い鳥居の方ではなく、こちらから近い大きな鳥居の方だ。わかったね」



 * * * * *



 言われた通りに体を清め、お参りをすると、コマイヌに話しかけられた。


「体の調子はどうだ。楽になっただろうか」


 さっきまでの苦しさはいつの間にかどこかへ行っていたので、大きくうなずく。


「それはよかった。いま通ってきたのがこの神社の表参道だ。あの連なる赤い鳥居は裏参道に当たる。そして入り口のあるこちらが正面に思えるが、本当の正面はあのご神体を向いている、絵馬の掛けられた壁の方だ。奇妙な造りをしているが、そう建てられた。材質も旧来の木ではなく、金属や硝子ガラスが使われている。古代と現代が融合していて、新しい令和の時代に相応ふさわしいと神はおっしゃっていた」


 コマイヌの声には神様への親しみが込められていた。さっきのマルコシアスとは大違いだ。


「神社の屋根を見ると、二本の線が交差しているだろう。……いやここからでは交差までは見えないかもしれないな。あれは千木ちぎというのだが、先端が地面に水平に削られている内削うちそぎと地面に対して垂直に削られている外削そとそぎの千木が交差している。これはまつられているのが女性神の天照大御神あまてらすおおみかみと男性神の素戔嗚命すさのをのみことの二柱だからで、言霊大神ことだまのおおかみは二柱を総称した呼び名だ。詩歌や小説、音楽や絵画、映画や舞台、アニメ・漫画・ゲームなどの創作物に御利益がある。そなたも何か創る時にはお参りをするとよい」


 漫画やゲームの神様がいるなんて面白い。


硝子ガラスの向こうをご覧。奥にオオカミが二匹いるのが見えるだろうか。あれが私の本体だ。反対側にいるのが相方で、天井には鳳凰ほうおうが描かれている。相方も鳳凰たちも今は留守にしているがな」


 コマイヌは寂しそうに言った。


「創作物の神だけあって、この拝殿の隣には締切守しめきりまもりなども置いてある。よかったら見ていくと――む?」


 話している途中でコマイヌが言葉を切った。


「すまない。どうやら客が来たようだ。そなたからは神の加護を感じるから、もう大丈夫だろう。気をつけてお帰り。もしまた何かあれば、ここでも、近くの神社でも、また参拝するとよい」


 お礼もさよならも言えないまま、コマイヌは去ってしまった。


 加護の力は感じられないけど、コマイヌが言うのだから大丈夫なのだろう。


 ほっと胸をなで下ろした時、耳元でザラザラとした嫌な声がした。


「あれ~? ざーんねん。お参りしちゃったんだ」


 マルコシアスだった。もう戻って来たのか。


「これじゃあキミは諦めるしかないな。他のヤツをねらうよ。――でもね、一度悪い気を受け入れたキミは格好の器だ。そのうち加護が薄れたら、会いに行くよ。待っててね」


 くすくすという笑い声が遠くへ消えていった。

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武蔵野令和神社のお手伝い 藤浪保 @fujinami-tamotsu

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