本編

 女の子は後ろで手を組んで、ニコニコしている。初めて会ったのに、随分と人懐こい子だ。近所に住んでいる子だろうか。


「水が綺麗だから、川の中がよく見えるでしょう? でも上流に行くと、もっと青く澄んでいるのよ。透明度が高いから、魚がよく見えるの」


 そうなんだ、ここの川も充分綺麗だから魚が見えるよ。と川を指差すと、女の子は目を大きくした後、にこりと微笑んだ。


「そう、視えるのね……」(醜い音で)


 急に別人の声が聞こえたような気がして、寒気を感じた。耳がおかしくなったのか、それとも今のは、この可愛らしい小さな女の子の声なのだろうか。


 キミは、誰……? と恐る恐る訊くと、女の子がクスクスと笑い出した。


「私は、ミズキ」(子供の笑い声)




 ミズキと名乗った女の子に手を引かれた。夏なのに、とても冷たい手だ。体温を全く感じない。今まで寒い場所にでもいたのだろうか。


「ねぇ、向こうへ行こう。私が好きなものを、見せてあげる」


 川に沿って歩きながら、ミズキちゃんは顔をのぞき込んでくる。かまってほしいのだろうか。別に用事があるわけではないので、彼女の遊びに付き合ってあげることにした。


「あなたは泳ぐの、好き?」


 うん、好きだよ。と答えるとミズキちゃんは「よかった」と嬉しそうに微笑んだ。彼女も泳ぐのが好きなのだろう。


「私は水の中から、空を見るのが好きなの。水面に太陽の光が反射して、綺麗でしょう? 見たことある?」


 川の中からは見たことがないけれど、プールの中からなら、空を見たことがある。たしかに綺麗だった。


 ふと川に目をやると、中学生くらいの少年たちが泳いでいる。


「わぁ、川で遊んでる子がたくさんいる! 良いなぁ、楽しそう!」


 ミズキちゃんも川を覗き込む。


「夏になると、大勢の人がこの川に泳ぎにくるのよ。196キロも長さがある、西日本最長の大河として有名だもんね。それに大きな川だから、色んな生き物がいるのよ。本当に——

 いろぉんな生き物が、棲んでいるの……」(醜い音で)


 また化け物がうなっているような声に聞こえて、思わず耳を押さえた。今日は、たまに耳の調子がおかしくなる。寒気も感じるし、今日は早く寝た方がいいのかも知れない。


 振り返ったミズキちゃんは微笑んだ。


「四万十川は水が綺麗なことで有名だけど、他にも綺麗なものがたくさんあるの。梅雨の時期になると蛍が飛んでいたり、水車の近くに咲く紫陽花あじさいもすごく綺麗だよ。でも、私が1番綺麗だと思っているものは、誰でも見られるわけじゃないんだ。すっごく珍しいものなの」


 それは何? と訊いた。訊かないといけないような気がしたからだ。


「アカメっていう魚がいてね、1メートルくらいまで育つ大きな魚なんだよ。アカメは銀色の体をキラキラと輝かせていてね、暗い場所に行くと、目がルビーみたいに赤く光るの。私、あの綺麗な赤い目が好きなんだ」


 女の子は幼くても、宝石みたいな綺麗なものが好きなようだ。


「赤って本当に綺麗だよね。私、だぁい好き……」




 ミズキちゃんに手を引かれ、橋の上へ移動した。


「アカメは珍しい魚だから、なかなか会えないんだ。だから私は、この橋の上からアカメを探すの。ここは深いから、たまにアカメが来るんだよ。それに水の底は暗いから、アカメの目が綺麗に赤く光るんだ」


 橋の下を覗くと、川が深くなっているのが分かった。他の場所よりも川の色が濃い。


 その時、ふと思った。


 ——どうしてミズキちゃんは、この場所でアカメの目が赤く光ることを知っているんだろう……?


 家族と一緒に泳ぎに来たことがあるのかも知れないが、こんな幼い女の子が、深い川の底まで潜るというのだろうか。


「水の中は冷たくて気持ちがいいよ。私は魚たちと一緒に泳ぐのが好きなの」


 海でダイビングをする時は、大きな魚と泳ぐこともあるみたいだけれど、川の魚は小さくて泳ぐのが早い。一緒に泳ぐなんて無理だと言うと、ミズキちゃんは、ふふっと笑った。


「大丈夫、できるよ。すっごく楽しいんだから。……ねぇ、魚たちと一緒に泳ぎたい?」


 訊かれたので、うん、と答えた。本当にそんなことができるのなら、やってみたい。


「いいよ……。私が魚たちと一緒に泳がせてあげる」(醜い音で)




 また別人のような声が聞こえると、いつの間にか川岸にいた。足元には水がある。


 驚いて辺りをきょろきょろと見まわしていると、強い力で腕を引っ張られた。


「こっちへおいで、私が連れて行ってあげる。赤い目を見に行こう」


 そう言って顔を上げたミズキちゃんの瞳は、黒から赤に変わっている。宝石というよりは、血の色みたいに真っ赤だ。


 大きく見開かれた赤い目で見つめられると、身体を自由に動かせなくなってしまった。最初は可愛らしい女の子だと思っていたが、今は得体の知れない化け物に見える。


 恐ろしくなり逃げようとしたが、子供だとは思えないような強い力で両腕を掴まれていて、振り解けない。


「お友達と一緒に遊べて嬉しい。ほら、早く行こう。おいで、おいで」(子供の笑い声)


 ミズキちゃんが「おいで」という度に、川の中へ身体が引っ張られる。冷たい水の中に足が入って、やめて! と叫んだが、ミズキちゃんは笑いながら川の中へ入って行く。


「泳ぐのが好きって言ったじゃない! 魚たちと一緒に泳ぎたいって言ったじゃない! だから私が、泳がせてあげる!」(醜い音で)


 どんなに叫んでも、ミズキちゃんは離してくれない。あっという間に、腰の辺りまで水に浸かってしまった。


 視界がミズキちゃんの瞳のように赤く染まって、力が抜けて行く。


「一緒に行こう。こっちだよ。おいで、おいで、こっちへおいで、おいで、おいで、おいで、おいで」(醜い音+水のゴポゴポという音)




 赤いワンピースの女の子に声をかけられても、ついて行ってはいけない。


 振り返った女の子の、赤い目を見つめてはいけない。


 暗い川の底へ連れて行かれてしまうから。




 ミズキちゃんは今日も「赤い目を見に行こう」と誰かを誘う。


 ほら、あなたの後ろに—— (子供の笑い声)

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後ろのミズキちゃん 碧絃(aoi) @aoi-neco

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