第5話

【近隣の某軍事国家が、不必要な艦隊の出動は侵攻行為であると猛烈な非難。そもそも、先のによる襲撃事件はこの某国の情報工作ではないかと疑う筋もあり、国連安全保障会議では逆に糾弾されてしまう始末である。国際情勢が荒れ始めるも、についての調査は難航を続ける】

【サメ出現まであと一か月】


 あれから毎日毎日、モジャ子と一緒にサメ映画を見ているのに、全て見終わる気がしなかった。どんなに有り得ないシチュエーションでもサメは泳いで人間を襲うし、人間以外にも巨大イカとか宇宙人とも戦っていて大忙しだ。出演料なら人間の俳優より稼いでるんじゃないか。それくらいサメ映画は星の数ほど存在していた。

 今日はサメの人形劇映画を鑑賞しており、その手があったのかと逆に感心した。パペットを操演してる人間の頭が思いっきり見えているのだけど、サメやキャラクターたちの愛らしさで全部許せた。話は相変わらずよくわからない。

 一日何かサメ映画を見るたびに、サメ映画の新作がこの世に産まれるのだとしら、もうそれは永遠だ。輪廻転生だ。いつまでも終わりが来なければいい。いつものようにモジャモジャの毛先が鼻をくすぐるじれったさがたまらなかった。

 季節はどんどん寒くなっていき、倉庫から拝借してきた電気ヒーターと防災用の毛布だけでは厳しくなってきた。わたしはより一段と、モジャ子に抱き着いて熱を奪っていた。


 授業のほとんどが期末試験に向けてピリピリし始めた頃だった。数学の授業が終わると、ヤンキーの池谷さんとギャルの似鳥さんとパリピの島忠さんは自分たちのノートと問題集をモジャ子の机に置いて行った。

「明日の分、よろしくね~」

 モジャ子は聞こえるか聞こえないかくらいのか細い声で返事したと思う。髪を染めた強面こわもてと、派手なメイクと、謎のサングラスに囲まれたら誰だって萎縮いしゅくする。三人組はクスクス笑いながら、教室後ろの自分たちの席へと帰っていった。いつも通りの光景だった。クラスのみんなも何も見ていないフリをしてやり過ごしている。わたしもできる限り無関心を装って、次の授業の準備をしていた。

 ――もし、わたしがサメだったら、クラス全員食い殺してやるのに。

 そんな妄想をしても意味がない。これは現実、映画の話じゃない。みんな自分で書いた脚本を好きに演じられるわけじゃない。色々な事情を飲み込んで、うまくやっていくしかないのだ。

『白雪さんも、サメ映画みたいです』

 ……ねえ、うまくやる必要がどこにあるの? どうせなら、とことんクソ映画になってやろうじゃないか。

 わたしは立ち上がり、モジャ子の机から今置かれたノートと問題集をさらい、三人組の元へと突き返した。

「――いい加減、こういうのやめなよ」

 教室内で、かなり久しぶりに声を出したと思う。モジャ子も、三人も、クラス全員もこの異変に気付いて、振り返り固まっていた。触らぬ神にたたりなし、を破ったのだ。どうにでもなれ。

「ど~したのさ~? 姫様~?」

 池谷さんは舐めたような口調だった。同調して残り二人もニヤニヤとしていた。

「勉強は、自分でやらないと意味ないと思うんだけど」

 池谷さんは溜息をこぼして、肩眉を上げた。

「……いいよねえ。美人で頭も良い人はさ、何しても褒められるんだもん。私たち苦労してるんだからさ、ちょっとくらい楽させてもらっても文句ないでしょ?」

「そうやって自分自身の課題をいつまで他人のせいにしてるの? 自分の人生、解決できるのは自分だけだよ。そうやって被害者ぶっても、受験も就職も最後は自分一人で受けなきゃいけない。楽ばっかしてた人を誰が欲しがるの? 高校は義務教育じゃない、自分で選んだんなら続けるか辞めるかくらい自分で決めなさい。親の金で生かされてるクセに、恵まれないアピールは情けないとは思わないの?」

 できるだけ感情を殺したつもりなのに、正論は暴力的に相手を追い詰めてしまう。池谷さんの表情から余裕が消えて、沸いてくる怒りに険しくなっていく。似鳥さんも島忠さんも、すでに真顔になっていた。

「お前さ、痛い目見ないとわかんない系? 理屈じゃ守ってくんないよ?」

 池谷さんは顔を寄せてメンチを切ってきた。わたしからしたらレッサーパンダの威嚇みたいにかわいいものだった。山の中で熊や猪たちと命のやりとりをしたときに比べたら、まるでお遊戯だ。とりあえず無言で睨み返しておこう。

「お、怖い顔しても可愛いでちゅね~。そうやってセンコーたちもタラし込んでんだろ?」

「そんな事実はないよ」

「小学校のときから色仕掛けで有名じゃねーか。噂になってるぜ。贅沢な暮らししてるみたいだけどよぉ、そういうことして稼いだ金だろ」

 握り拳の人差し指と中指の間に親指を挟んでいた。どういう意味?

「――やめてください!」

 割り込んできたのはモジャ子だった。そんなに大きい声を出せることに内心ビックリした。わたしは別になんとも思ってないから言わせておけばいいものを、モジャ子は自分が傷つけられたように真っ青になっていた。

「白雪さんのこと、悪く言わないでください!」

「おいモジャ子調子乗ってんじゃねーよ!」

 すると池谷さんは声を荒げて、手元にあったノートをモジャ子に向かって投げつけた。

「ひゃっ!」

 モジャ子には当たらず床に落ちたが、平和的交渉は決裂した。おいコラ。

「――先に手え出したのはソッチだからな?」

 わたしは池谷さんの伸びきった右掌を掴むと半回転させた。苦悶に顔を歪めるがお構いなしに、手を引き延ばしたまま肩関節を強く的確に引き続ける。鈍い音と共に脱臼させる。

「ひ……、何してんだよお前ぇ!」

 単純な痛みより右腕が動かなくなったのほうが不気味で恐ろしくなったのだろう。声が震えていた。似鳥さんは短く悲鳴を上げて島忠さんは口元を押さえていた。

「人殺し……!」

 池谷さんは逆上して左手でペンを掴むと、思いっきりわたしの顔面に向かって突っ込んできた。わかりやすい軌道であれば対処は簡単である。わたしは右手の甲でペン側部を受けると、ベクトルをズラしながら、そのまま滑らせるように拳を池谷さんの懐へ侵攻させる。痛い目見ないとわかんない系かな? 人差し指と中指を、無防備な眼球へと突き出す。

「――白雪さんっ!」

 モジャ子の声で我に返る。眼前ギリギリでフィンガージャブを止めることができた。池谷さんはワンテンポ遅れて目をつむった。わたしは池谷さんから一歩退いて、一呼吸してから、切りだす。

「あの、落ち着いて欲しい。喧嘩したいわけじゃないの」

「じゃ、じゃあなんだよ! お前が代わりに宿題やってくれんのかよ!」

 ……どうして自分でやるという選択肢がないのか。そう、原因はそこだ。

「それなら、一緒に勉強しましょうか」

「……はあ?」

「うん、それが一番の解決な気がする。文系はモジャ子のほうが強いから、五人でやりましょう」

「待て待て、何一人で納得してんだよ。まず、この手、どう責任とってくれんだよ!」

「ああ、はいはい」

 わたしは池谷さんの肩関節をゴリゴリ動かしてはめ込んだ(※本当はちゃんと医者に診せたほうがいい)。彼女は気持ち悪そうに自分の右手が動くことを確認してる。

「おいおい、何騒いでんだー? 喧嘩でもしたのか?」

 次の授業の先生がやってきた。面倒事は避けたい。わたしは池谷さんと肩を組んだ。

「健康体操してました。仲良しです。ピース」

「あ、そう。白雪でもはしゃぐことあるんだな。おーい、じゃあ席に着けえ」

 先生は気にすることなく授業を始める。

「お前……」

「バレたら退学かもね。とりあえず放課後残って」

 コソコソと耳打ちする。池谷さんたちはドン引きしながらも、大人しく椅子に座った。


 サメ映画同好会の活動はしばしお休みして、三人の勉強の世話を見ることになった。授業終了後の教室で、最初は中々気まずい空気だったけど、三人とも素直にわたしの解説を聞いてくれた。何がわからないかわからない状態を抜け出した後は正解率がグングン上がり、共に喜びを感じた。会話も増えて、それぞれの家庭事情なんかも知ることができた。池谷さんは過保護な両親からの反発でヤンキー気質になったらしく、似鳥さんは失恋を繰り返す度に化粧が濃くなっていくんだそうだ。島忠さんはとりあえずウェイウェイして騒がしかった。偏見はよくない。ちゃんと話してみるものだ。いや、島忠さんはうるさい。

 モジャ子に対する三人の反応も変わってきた。からかうような口調はなくなり、同じ目線で話をするようになってきた。現国や社会科の解説はモジャ子に任せっきりだったが、教えるのが上手だったので問題ないだろう。リスペクトできる要素が見つかると、急に親しみやすくなったのか。モジャ子はどう思っているか知らないけど、今までよりはマシな関係になったのではないかと思う。

 それと、何故か痴漢を撃退する方法を伝授することになった。とりあえず走って逃げるだけの体力をつけること、怪しげな環境はできるだけ避けておくこと、素手で立ち向かうのは一番危険なので鞄でもなんでも武器にしてリーチを稼ぐことなどを教えた。

「拳は両肩の高さ位置をキープ。指は卵を軽く掴むくらいのイメージ。で、インパクトの瞬間にその卵を握り潰す。そしてとにかく引き戻す動作は素早く、伸ばしたままだと相手に捕まれるから。腰の回転と足の踏み込みも意識して。……これ勉強に関係なくない?」

「勉強よりも、こういうことのほうが大事だろーが!」

 役に立つ時がないのが一番なんだけど。池谷さんはむしろこちらのほうに熱心だった。


 期末試験が終わった。三人は初めて赤点を回避して、クラスの平均点が学年一位になって担任から褒められた。二学期ももうすぐ終わる。年明けからも勉強会は続けるべきか、サメ活に復帰すべきかちょっと悩ましいところだった。そんなときに、池谷さんから呼び出された。

「……あのよお、勉強、ありがとな。最初はあんなんだったけど、今はすげー感謝してる」

「はあ」

「お前のことも、ただ美人で生意気に偉そうだと勘違いしてたし。悪かったよ。強くて根性あるヤツは尊敬する。モジャ子にもちゃんと三人で謝った。それと、これからは自分たちで勉強くらいなんとかなりそうだから、もう放課後は大丈夫」

「そう? 別に困ったらまた教えるけど」

「おう。……ていうか、そのなんだ。勉強会はありがたいんだけど、二人の間にいるのが気まずいっていうか、胸ヤケするっていうか……」

「わたしとモジャ子、仲悪く見えるの?」

「逆だっつーの! その、隠してるかもだけど、お前たち実は付き合ってんだろ?」

「…………は?」

「私も鈍感だから、似鳥に言われてようやく気付いたんだけど。なんだ、声のかけ方とか、お互い見てる時の表情とかさ……、もー! ってなるんだよ。この空気、邪魔しちゃダメだろって」

「……部活で、一緒ってのは、言ってなかったけど、付き合ってるとかは、ない。ていうか、女同士」

「別にレズだのバイだの普通だろ? 似鳥だって男女合わせて百人斬りだし、クラスの中にデキてる奴だっているべ。……マジで付き合ってないの?」

「ない。少なくとも、モジャ子は、わたしのこと、友達としか、思ってない」

「はーっ? お前、頭良いクセにそういうとこアホだよなあ。お前の気持ちはどーなんだよ?」

「わたしは……」

「ったく、自覚ねえのかよ? 言わんでいい、顔に出すぎだって。ウブすぎてこっちが恥ずい」

「わたしは、わたしは、あばばばばばばばばばばば」

「あ、白雪が壊れた!」

 友達としての好きなのか、それ以上の好きなのか、そんなこと意識したことがなかったのだ。


 クリスマスの時期にこの地域で雪が降るのは珍しかった。わたしの名前は白雪アリス。白く染まっていく世界を、迷子のように彷徨さまようこの状況がピッタリだと思った。あまりの衝撃に、頭の中が真っ白だった。胸の奥がチクリと痛んで、息を吸い込む度に苦しくなる。ドキドキしている。不整脈かな? 白い溜息が、ゆっくりと灰色の空へ昇って消えていく。

 冬休み、モジャ子には会えない――。

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