第2話

【サメ出現まであと八か月】


 高校入学後、一か月も過ぎればクラスの中にはそれとなく仲良しグループが出来上がっていた。趣味が合う者同士、雰囲気が似ている者同士、同じ中学同士、一緒の部活、などなど。わたしはそのどれにも属さない。

「わたしと関わらないでください」

 この一言で多くの誘いを全て断ってきた。何十回何百回と繰り返せば、いい加減周りも諦めて話しかけなくなった。それに加えて、小学生のときに起こした事件の噂が密かに広まったらしい。教師を誘惑して包丁で刺したのは本当か? ヒソヒソと遠巻きに聞こえてくるのは大体そんな内容。まるで虎や狼など猛獣を眺めるような視線。でも、そのほうが好都合だ。距離を保ち続ければ、もう面倒なことは起きない。それでも踏み込んでくるなら暴力も辞さない。これがわたしの精神を守る鉄壁の防御策だった。都合良く利用されるのも敵視されるのも、もうたくさんだ。


 このクラスにはもう一人の無所属がいた。彼女の名前は『六条ろくじょうアオイ』、小柄で地味で存在感の薄い子だった。大きな黒縁メガネと毛先のピョンピョン跳ねる癖っ毛しか目立たない。まるで子羊だ。仲の良い友達はクラスにも学校にもいないらしく、誰かと談笑してるのは見たことがない。クラスのヤンキーである池谷いけやさんとギャルの似鳥にとりさんとパリピの島忠さんからは『モジャ子』と呼ばれ、宿題の代筆や昼飯の買い出しなどにパシらされていた。あくまで三人は『お願い』してるだけであって、彼女も自分の意思で『はい』と小さな声で答えていた。イジメではない、……らしい。彼女は無害で透明な存在であろうと、必死にその勤めを果たそうとしているようだった。そしてクラスの平和はそれなりにバランスがとれていた。誰かの幸せは誰かの不幸の上に成り立つとか、そんな言葉を思い出す。

 まあ、わたしには関係のない話だ。


【サメ出現まであと七か月】


 自宅から女子校までは距離があるため電車で通っていた。朝の満員電車は痴漢の巣窟なので、できるだけ早くに家を出て、車両内が空いている時間帯を狙った。問題は帰りだ。授業終了後すぐはそれなりに混み合い、かと言って夕方過ぎは部活帰りの学生や会社退勤の社会人でかなり混雑する。その隙間の時間に帰りたかった。それまでどうやって時間を潰すかに頭を悩ませていた。

 女子高なので男子はいないが、学校の周りにはカメラを構えた盗撮おじさんや絡んでくる男子大学生がウロウロしていた。あしらうのにひと悶着ある。街中で過ごすのは億劫だ。

 校内は校内で厄介だった。ほどほどな部活にでも参加しようと思ったが、不特定多数に『関わらないでください』と言ってしまった手前、一部の人と接触するのは不公平な気がした。それが原因でまた揉めそうだし。

 しばらくは図書室で読書するか勉強していたのだが、日に日にわたしの周りの席に座る女子が増えていった。話しかけてくる子もいれば、手紙を渡してくる子もいた。手紙の内容はファンシーな愛の告白とか、わたしの昨日の行動が全部書かれているホラーめいたものまで。今までもストーカーみたいな人はいたが、女の子は初めての経験だった。わたしも女だぞ、と思ったが女子校ではけっこう普通らしい。最近では性愛嗜好の多様性も社会的に広く認められるようになった。だけど、ストーカーは男女関係なく良くないんじゃないかな。図書室は諦めて、ストーカーに悟られないよう別の場所を探し続けた。


 閉鎖されていた旧校舎の窓が一つ、鍵が壊れているのを発見した。ほぼ倉庫としてしか使われておらず、放課後に賑わう運動部の部室や文化部の使う現校舎からもかなり離れていたので人の気配はない。こっそりと侵入して、内部を探索する。埃っぽいが、日光が良く差し込み暗くはなかった。古き良き木造建築のデザインは温かみがあって好みだ。ここは中々良いスポットじゃないだろうか。

 階段を上り、二階に着いたときだった。入り組んだ廊下の奥から、微かに女性の悲鳴が聞こえたのだ。

 ――誰かいるのか?

 同時に何かの破壊音、さらに大きくなる悲鳴。

 パーンと脳内で緊急警報が鳴り響くと、わたしの身体はスイッチが切り替わったように走り出していた。最奥の教室、引き戸を力任せに開け放った。重心を低くして、どのタイミングどの方向にも殴る蹴るができるよう構える。一瞬の判断で決めなければ、こちらの命が危ないのだ。

「ひいいーっ!」

 目が合ったのは、あの六条アオイさんだった。何か魚のようなぬいぐるみを抱きしめたまま、こちらを凝視して固まっている。教室の中には古いブラウン管のテレビと、そこに繋げられたDVDプレイヤーが床に置かれているくらいだった。画面には、巨大なサメに食べられて血まみれになった外国人女優がアップになって叫び声を轟かせていた。

 つまり、これは、どういう状況だ?

「……六条、アオイさん?」

「え、まさか、白雪アリスさんですか? なんで私の名前知ってるんですか?」

「だって、一緒のクラスでしょ」

「え、……ていうか普通に会話できてる。やばいやばいやばい、私なんかが白雪さんと喋ってるなんておこがましいにも程があるううううう! 美少女と対面するの、むり、つら、溶ける……!」

 彼女はあたふたとパニック寸前の状態になっていた。あんまり騒がれて人が来るのも厄介だ。わたしは彼女が手にしていたぬいぐるみ(どうやらサメらしい)を奪うと、それを真っ赤になりつつある顔面に押し付けた。

「むぐう……!」

「落ち着いてよ。ここで何してるの?」

「むごむごうもごもごむわぁ」

「ああ、ごめん」

 わたしはぬいぐるみを離した。彼女は申し訳なさそうに顔を両手で覆って俯いた。

「……ここは、サメ映画同好会の部室です」

「サメ? 映画?」

「元々は映画視聴部の一部の先輩が、ノリと勢いでサメ映画好きの部活を作ろうと独立運動を起こしたみたいなんです。新入部員の私もそれに巻き込まれて、こっちに参加することになりました。しかし、どうやら先輩たちは本気じゃなかったらしく、飽きると映画視聴部に戻ってしまい、今では私一人がここで過ごしているんです。非公認なので学校にバレたら廃部です」

 廃部も何も認められてないのなら部活じゃないだろう。しかも一人って。

「その映画視聴部ってのに一緒に戻れば良かったんじゃないの?」

「なんだか、部の雰囲気が私には合わなかったんですよ。映画を倍速で見たり、応援上映って叫びながら見るとか。時代遅れかもしれないですけど、映画鑑賞ってのはね、誰にも邪魔されず、自由でなんというか救われてなきゃあダメなんだ。独りで静かで豊かで……」

 まるで別人が乗り移ったかのような口ぶりになってきた。それにしても、クラスで寡黙な彼女がこんなにも喋るのは初めて見るので新鮮だった。六条さんは手を膝に降ろして、顔を上げた。

「それに、いつかはサメ映画好きと一緒に語り合いたくて、そのチャンスをずっと待ってました。サメ映画好きに悪い人はいません、頭がおかしいだけです!」

 その表情は凛々しかった。眼鏡の奥の瞳は大きくて、黒く輝いていた。覇気があると、顔つきが変わるものなんだな。モジャモジャの長い前髪で隠すには勿体ないくらい、良い顔をしていた。

「そう。邪魔しちゃってごめんなさい。わたしはすぐに帰るから」

「――ま、ま、待ってください! ダメ元でお願いします! これも何かの縁ですので、一緒にサメ映画見ていきませんか?」

「ええ……」

 正直困惑した。映画はそこそこ好きだけど、サメにはそんなに興味がなかった。しかし、時間潰しには有効でストーカーにも場所バレしていないこの空間は理想的だ。誰かと関わるのは極力避けたかったが、『無害』の看板を背負っているこの子なら大丈夫かもしれない。うーん、どうしようかな……。

「すみません、無理を言って。私なんかが学校一の美少女と話せるだけでもありがたいのに、B級Z級映画も見ろだなんて本当に身の程知らずで……」

「そういう言い方、好きじゃない」

「あ、ごめんなさい!」

「……いいよ、一本くらい付き合うよ」

 もう、なるようになれだ。どうせ、今日だけの関係だ。

「本当ですか! じゃあ、好きなサメ映画はありますか?」

「いや、そういうジャンル全然知らないし……。オススメあれば」

「じゃあコレにしましょう! 初心者にもちゃんと楽しんでもらえるヤツです」

 彼女は興奮気味にDVDを取り換えると、再生ボタンを押した。


 ……映画の内容はよくわからなかった。巨大なサメが大暴れして人間の生活をメチャクチャにして、それと同じくらい強いステイサムが大暴れしていた。映像はとても迫力があったと思う。

「いかがでした?」

「……ステイサムがとても強かった」

「そうなんですよ! 大体ステイサムが出演する映画はそれだけで勝ち確定なんですが、さすがに巨大サメ相手にどう戦うのかってところが注目ポイントなんですよね。サメ映画にしては珍しく興行的にも成功していて、まともに面白い作品なんですよ。ちなみに続編もあります。気になりますよね?」

「いや、別にそんなに」

「じゃあ明日はツーを見ましょうか。それ以降も親しみやすい作品リストを考えておきますね!」

 断りづらい雰囲気であった。結局、わたしは翌日もこの場所を訪れていた。下校までの時間潰しにちょうど良かった以外の理由はなかった。

「なんでサメの頭が三つもあるの?」

「サメ映画ですから!」

「なんでサメが幽霊になって人を襲うの?」

「サメ映画ですから!」

「なんでサメが機械になってるの?」

「サメ映画ですから!」

「なんでサメが台風に巻き込まれて飛んでくるの?」

「サメ映画ですから!」

「なんでサメが出てこないの?」

「サメ映画ですから!」

 サメ映画自体は意味不明で全然好きになれなかったけど、放課後のこの時間だけは気を遣わずにリラックスできた。彼女はクラスでわたしに話しかけることはなく、部室以外での交流はなかった。わたしと彼女の奇妙な関係は周囲にバレることなく続いた。無害な彼女を信用して、そこに甘えた。

「なんで、そんなにサメ映画が好きなの?」

 一番の疑問を口にした。

「映画って、やっぱり商売だから、人気出て売れなきゃいけないじゃないですか。面白い脚本とか、有名な俳優さんを起用したりとか。でもサメ映画はとにかく自由で、だからこそマニアックな客もついてくる。低予算でも開き直ったアイディアで解決しちゃうんですよ。いや、解決できてないですね。とにかく素敵な存在なんですよ、私にとって」

「ふーん」

「白雪さんも、サメ映画みたいです」

「はい?」

「孤高だけど、誰にも縛られることなく自由で。だからこそ、より美しい」

「モジャ子だって一人でやってるじゃない」

「私はぼっちなだけです。不器用で人に迷惑かけてばかりだから、せめて無害になれるように必死で。……あれ、今、あだ名で呼んでくれたんですか?」

「嫌ならやめるけど」

「めめめめめめっちゃ嬉しいですよ! 私も、良ければ白雪さんのこと呼んでいいですか?」

「あだ名? わたしになんかついてるの?」

「『姫様』ってみんな呼んでますよ。苗字と美貌でコレ以外ないって」

「うわ、却下」

「そんなあ……」

 コロコロと表情を変えるモジャ子の反応が面白かった。友達と思っているのはわたしだけかもしれないが、羨望も嫉妬もない関係性が今のわたしには心地良い。


 相変わらずサメ映画同好会は二人きりのまま、パニックホラーとは程遠い平穏な日々が過ぎていった。

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