第3話
【漁船や観光船、そして海上保安庁の巡視船までもが連続して何かによって襲撃を受ける。国家安全保障局は甚大な被害状況からあらゆる事態を想定、海上自衛隊の護衛艦隊を緊急出動させ周辺警備を強化させる】
【サメ出現まであと六か月】
暑さが増していき、夏服の半そでにも見慣れてきた。旧校舎教室の冷房と言えば窓際につけるタイプのクーラ―のみで(しかも異音がする壊れかけ)、備品倉庫から拝借した扇風機と持ち込みの冷たい飲み物でなんとか熱中症にならないよう凌いでいた。湿気がこもりモジャ子の髪はさらにモジャモジャしていたけど、それでも部室でサメ映画鑑賞は怠らず、二人とも律儀に続けていた。
わたしはホームルームで配られた進路希望調査の紙をぼんやりと眺めていた。まだ一年生であるものの、夏休み明けからは理系と文系の授業を選択し、二年生からは大学別にもっと細かいコース分けが行われる。進学教育に力を入れてる学校なだけあって、その準備始動はかなり早かった。
「白雪さんなら学力もルックスも無敵だから、将来何にでもなれそうですね。女優さんとかモデルさんとか、政治家や研究者もアリなんじゃないですか?」
「どんな職業でも、ちゃんと努力して続けた人だけがなれるもんだよ。なんとなくで決まるもんじゃない。しかし、街中に『転職』の広告が溢れてる世の中だってのに、無知な学生に就職先を考えろなんてけっこうな無茶ぶりだよね。『知ってること』と『やったことがある』には大きな差がある」
「白雪さんは理想を追いかけるよりも、自分のできることから考えていくんですね。なんだか大人です」
「モジャ子にはあるの? 理想とか夢とか」
「いやあ、恥ずかしながら映画の脚本とかに興味があって。いつかはサメ映画を……」
「へえ、いいじゃない。モジャ子のサメ映画だったら好きになれるかも」
「本当ですか? 実は今温めてる二つの脚本案がありましてですね、簡単なプロットだけ考えてあるんですけど。一つは『シンギュラリティシャーク』っていう最強のサメを捕獲した後に最強の人工知能を埋め込んで大暴れするサイバーサメが電脳空間と現実世界をメチャクチャにするんです。もう一つは琵琶湖の外来魚を駆除するために遺伝子改造したサメを放つんですが最大の標的を人間に定めちゃうんで湖が血に染まる『琵琶湖シャーク』ってやつです。主演女優は白雪さんにお願いしたいです!」
「うーん、クソ映画の予感しかしない」
好きを仕事にしたいってのはよく聞く話だけど、モジャ子がけっこう明確に将来へのビジョンを持っていることに驚いた。あれこれ言い訳して決めきれないわたしよりも、ずっと大人なんだな。
「白雪さんは、人生の希望とかないんですか?」
「……仕事じゃないんだけどさ、田舎暮らしに憧れてる。母の実家がそんな感じでさ。川の近くにある古民家を自分たちで改修して、週末には小さなお店もやってるの。庭で野菜を育てたり、近所の人たちと物々交換したりして助け合ってて。夏休みの間はそこで過ごして、芸術家先生のやっている子ども絵画教室に通ったりとか、母とナイフ一本だけ持って山籠もりの野戦訓練とか、伸び伸び過ごせるんだよ。わたしは満員電車で急いでどこかに移動するより、軽トラの荷台で夕日をぼんやり眺めるほうが好き」
「意外ですね。白雪さんってバリバリのキャリアウーマンを目指してるんだと思っていました」
「母親がそんな感じだから、反面教師かもね。効率よくお金を稼いで便利な情報を仕入れて楽して暮らせってのが流行りっぽいけどさ。わたしにはそれがなんだか息苦しいよ。土が触れて、おいしい空気と水があるところに住みたい。だからどういう仕事が向いてるかってのがわからないんだけど」
思わず本音がつらつらと口から出てきた。こういうことは身内にも喋ったことがない。モジャ子だからかな? ニコニコと面白そうに相槌を打つものだから、反応が嬉しくてつい言葉が多くなってしまう。
「ちなみに、お母様はどういうことされてるんですか?」
「女スパイだって言ってた」
「ええ……」
結局、進路希望には『レンコンに穴をあける仕事』とだけ書いて提出した。
それから終業式の後も部室で過ごした。モジャ子のサメ映画経済効果講義を聞き流しながら、明日から始まる長い夏休み期間をどうやって過ごそうか考える。この部活は下校までの時間潰しであって、学校に用事がなければわざわざ来ることはない。モジャ子だって暑い中登校するより家でサメ映画を堪能したほうが快適だろう。
そうか、一か月くらいモジャ子に会えないのかあ……。
「――白雪さん? 聞いてます?」
「え、ごめん。ヘルシェイク矢野のこと考えてた」
「もう。白雪さんは夏休み忙しいですか? 夏期講習とか帰省の用事とか」
「いや、別に塾とか行ってないし。母の実家にはお盆に顔出せればいいかな。たぶんほとんど家で過ごすよ。モジャ子は?」
「私も特に何もないですけど……」
「そう。じゃあまた夏休み明けだね」
「あう……」
モジャ子は下を向いてもじもじしていた。お腹でも痛いのだろうか。
「そのお! 嫌じゃなければなんですけど、課外活動とかしてみませんか?」
「かがいかつどお?」
「今度、温泉にサメが出るっていう映画が上映されるんですよ! 良ければ、二人で見に行けたらとかなんとかあばばばばばば……」
どんどん声が小さくなっていく。そういうことか。
「つまり、デートの誘いってこと?」
「でゅえうぇえつぉ? いやいや、そんなつもりでは! やましい気持ちは一切ございません。純粋なるサメ映画研究のためにをと思いましてえヴエヴェゲホゲホッ!」
モジャ子は何を焦っているのか、息継ぎと喋るタイミングが合わずに咳き込んだ。
「誘いは嬉しいんだけどさ、……わたし、街中に出ると変なのに巻き込まれてけっこう面倒くさいことになるんだよね。なんかごめん」
「そ、そうですよねえ。私みたいなミジンコが白雪さんと一緒にいるとこ見られたら迷惑ですもんね……。いや、ミジンコに失礼か、ハハッ……」
モジャ子はこうやって自分を卑下する癖がある。ちょっと嫌である。原因はいつもわたしにあるので、モジャ子は悪くないのだ。もっと堂々とわたしの友達である自覚を持ってほしい。
「映画館は無理だけどさ。だったらウチ来てサメ映画見ない?」
「白雪さんの家、ですか?」
「親もいないから、気にせず一晩中見れるし、そのまま泊っていけばいいし」
「お、お、お泊りですか!」
「もし家の門限とか厳しいなら、無理する必要ないけどさ」
「いえいえいえいえ! 死んでも行きます、行かせていただきます! うわあ、私、友達の家に泊まるとか初めてで粗相をしないか心配です」
「わたしも、自分の友達が泊まりに来るのは初めてかも。だから、別に何も気にしなくていいんじゃない?」
「あの、ふつつかものですがどうぞよろしくおねがいいたしましゅ」
勢いで、けっこう大きなイベントが決まってしまったのではないか。
「……というか、友達って、呼んでくれて、嬉しいです。ふへへへ」
「わざわざ言わないでよ。なんか照れる」
モジャ子はふにゃふにゃと微笑んでいた。夏の暑さに、溶けそうなくらい、わたしの身体も
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