第6話
【某軍事国家が独自判断で何かを仕留めると動き出し、秘密裏に核ミサイルを積んだ潜水艦を発進させる。世界各国の諜報機関がこの情報を掴むと、あらゆる軍隊や国防組織が緊急警戒態勢となり、第三次世界大戦を覚悟する事態となる】
【サメ出現まであと一日】
冬休みの間、何をして過ごしていたの全く記憶にない。勉強も手に着かず、年末年始で賑わうテレビ番組も上の空で見ていた。様子を見に来た祖父母からは心配され、母からの手紙も読むのを忘れていた。
いつか、彼女と一緒に寝たベッドには、もうその匂いも温もりも残っていなくて、朝起きたら虚空を抱きしめていた。わたしはついにおかしくなってしまったようだ。
新学期には、先生から進級に向けて勉強に気合を入れろとか、池谷さんたちからお年玉はいくらもらって何に使ったのかとか、色々な情報がわたしの周りをすり抜けていた。まるで水中で溺れているみたいに、ざわめきが遠のいていく。教室でモジャ子に話しかけることはできなくて、こっそりとその背中を見つめることしかできなかった。光る水面に手を伸ばしても、重力が水底へとわたしを縛り続ける。
放課後、部室への道のり。もう何回も歩いているはずなのに、一歩一歩が重かった。近づくたびに、心臓が破裂しそうになる。
「あけましておめでとうございます」
扉を開ければ、いつものようにモジャ子が微笑んでくれた。凍えそうな部屋の中でも、彼女の燈火が温めてくれる。本当はとても嬉しいのに、わたしは素っ気ない返事しかできない。
「今日は何見ましょうかね。久しぶりに見たいものとかありますか?」
「別に、なんでもいい……」
「そう、ですか」
結局、砂漠にサメが現れたサメ映画を見始めた。ありとあらゆるサメ映画に出会ったことで感覚は麻痺しており、あまり驚きはない。内容は全然頭に入ってこなかった。
何事もなかったかのように、彼女を後ろから抱きしめたい。けれど、今のわたしは大胆に動くことができず、隣に座るので精一杯だった。
「……今日は、ハグとかしないんですか? 私、あったかいですよ」
「いや、その……。距離感おかしかったよね。
「そう、ですか」
映画には全く集中することができないまま、ただただ虚しい時間が流れた。わたしは、モジャ子と二人一緒にいれればそれで満足していたのに。今は、それ以上の幸福にまで手を伸ばそうとするのがたまらなく怖い。この関係を壊したくなかった。でも、このままでも苦しくなってしまった。
美少女は恋愛に苦労しないなんて嘘だ。どんな人間だって相手の気持ちがわかることは絶対にない。とにかく、わたしは自分に自信がなかった。彼女の時間を自分のために奪うなんて、そんなことできない。好かれているほうが気が楽だ。好きになるのは、とても心細い。わたしは傲慢である。
「――いつかさ」
「はい?」
「いつか、本物のサメを見に行こうよ」
「……いつにします?」
「……いつか」
「じゃあ、約束ですよ」
叶わない夢でも、追いかけている間はずっと楽しい。答えを先延ばしにして、わたしは現状に、彼女に甘えた。いつか、なんて、いつまでも来なければいい。
【サメ出現まであと六時間】
それは、朝のホームルームでの出来事だった。いつものように先生が連絡事項を伝えている。特に重要なことはない。聞き逃すところだった。
来年度から旧校舎取り壊しの工事が始まる。
耐震基準や老朽化の問題のため行政から指摘があった。
使っている人はいないと思うが、業者がこれから立ち入るので、不用意に近づかないように。
以上。
いつか、とか、当たり前、とか、絶対、なんて、なかった。わたしとモジャ子の接点が、あっさりと消えていく。
こっそり使わせてもらっていた場所だ。サメ映画同好会に正当性を主張する権利はない。別の場所を申請しようか。それほどのことだろうか。下校までのちょうど良い時間潰しだったに過ぎない。また別の何かを探せばいい。サメ映画は、レンタルでもサブスクでも見れるじゃないか。……モジャ子とは? 教室で喋ればいい。普通の友達だから。二人きりの必要はない。でも、もう二度とあの時間はやってこない。木と、お日様と、彼女の匂い。鼻をくすぐるくせ毛と、柔らかい背中と肩の感触。チープな映像に二人して笑った、あの愛しくて尊い日々。今日で、さようなら――。
そのとき、振り返ったモジャ子と目が合った。零れそうな涙が瞳を潤わせている。そこに写るわたしは、なんて情けない顔をしているんだろう。……『いつか』っていつだよ。このまま、クラスメイトのままで終わらせたら一生引きずる。約束ってのは、叶えるために結ぶものなんだ!
「……あ、アオイ!」
わたしは気づけば立ち上がっていた。
「サメ、見に行こう」
「……いつですか?」
「今」
コートとマフラーだけ手に取って、彼女の手を引く。モジャ子も順応して身支度を整える。
「おい! これから授業――」
制止しようとしてくる先生に、池谷さんがドロップキックをかました。
「行けよ! よくわからんけど」
「ありがと!」
「仲良しだからな!」
池谷さんやクラスのみんなが、ピースサインを向けてわたしたちを送り出した。
走り出したわたしたちは、もう止まらない。溢れる気持ちだけが、この足を前へと動かした。
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