Family Name
オリジナリティ溢れるやり方で、見事合法的に北沢くんを返り討ちにした志帆は「BLの知識が役立った」とご機嫌だった。
志帆は怒り心頭な中でも、北沢くんがわざと自分を煽り、衆人環視の中で暴力を振るわせようとしたことに気付いていたらしい。
「私があそこで殴ったらパパが社会的に死ぬじゃん」とのこと。
北沢くんもそれが狙いだったのかもしれないが、結果として彼自身が、決して他人に見られたくないであろう姿を大勢に晒すことになってしまった。
そんなことは教えてくれなくても良かったのだが、志帆は男性同士の恋愛フィクションに出てくるシチュエーションを試そうと、デートの後は夜な夜な北沢くんを「調教」していたらしい。
「男でも開発すれば乳首が感じるって、本当だったんだね!」
と娘に鼻息荒く言われても、父親としてどんな顔をすればいいのか。
もしかして、ビデオ通話をしていた時の声は……いや、これ以上考えるのはやめておこう。
北沢くんは確かに、父親の前で故意にその娘を侮辱するなどという、人としてやってはいけないことをした。
私も一瞬、社会的地位を失ってでも、彼を殴りたいと本気で思った。しかし後からそれを聞かされると、やや彼に対して同情を禁じ得ない。
予告していた通り、北沢くんは中村くんと共に我が社を去った。
酸素缶のサブスク、上手く行くと良いのだが。
「志帆、入るよ。仕事頑張ってるか」
何より一番心配だったのは、北沢くんに容姿のことを侮辱された志帆の精神状態だ。今は元気そうに、就職祝いとして買ってあげた「液タブ」なるもので仕事をしているが――
「うん! 今度ね伝統芸能がテーマの、擬人化ゲームの仕事もらったの!」
伝統芸能と擬人化。いつものことながらその二つが私の中で繋がっていかない。志帆の手元を覗けば、茶屋の娘のような可愛らしい――男の子が描かれている。
段々私も志帆の絵に慣れてきて、これが男の子だというのはわかるが……
「なんでこの子は女装してるの?」
「日本の伝統芸能は異性装から始まったからだよ」
「そっか、男が女性の役もするもんな」
「最初はそれだけじゃなくて。歌舞伎の元祖になった出雲阿国姐さんは、自分が男装して、夫の名古屋山三郎に女装させて濃密な絡みを演じたといわれてるのね。他の出演者もみんな異性装をして、その倒錯性に観衆は熱狂したんだよ。日本には四百年以上前から既に、性別逆転に萌える文化があったわけ」
「出雲阿国については学校で習った気がするけど、そんな話だったとは知らなかったな」
「阿国姐さんと名古屋山三郎が夫婦だったっていうのは史実上怪しいらしくて、伝説みたいなもんなんだけど。阿国姐さんまじカッコよくて憧れる。名古屋山三郎は戦国三大美少年ともいわれてて、本当に女の子みたいに可愛くて、蒲生氏郷が女の子と間違えて嫁にしようとしたほどなんだよ。史実じゃないかもしれないけど、自分が男装して、イケメンを女装させて濃密な絡みをやるなんて、腐女子の憧れじゃん」
志帆は目を輝かせて早口で語る。憧れるのはそこなのか。
しかし歴史の成績が2以上だったのを見たことがない志帆が「蒲生氏郷」なんて名前を上げるとは。
「阿国姐さんとヘンリー・ダーガー先生は私の心の師匠だね」
聞いたことがない名前だが、有名な画家なのだろうか。そういえば志帆の成績は、美術だけはいつでも5だったな。
「ダーガー先生は生前誰からも評価されなかったのに、今やニューヨーク近代美術館にも作品が保存されてる巨匠になったんだよ」
「ゴッホみたいな?」
「いや、ゴッホが生前一枚しか絵が売れなかったってやつは嘘だからね。数枚は売れてたし、ゴッホが画家をやってたのは亡くなる前の十年くらいだったの。ダーガー先生は六十年、誰にも見せずに自分のためだけに作品を描き続けたんだよ。一万五千ページ以上も、誰にも見せずにだよ! かっこよすぎない?」
「うーん……パパは絵を描けないからわからないけど。せっかく描いたなら、誰かに見せたくならない?」
「そこ、そこなんだよパパ。描いても描いても全然他人から評価されなくてさ、それで段々描くのが嫌になっちゃうんだ。始めは他人に評価されたいから描いてたんじゃないのに。ゴミみたいな承認欲求のせいで、創ることの喜びから離れていっちゃうの。いつも自分のために創って、自分で楽しめたら最高なんだけどなぁ」
漫画にイラスト、ナオキの3Dモデル、そして今もじっとこちらを見ている――ナオキにそっくりな人形。
私には志帆は十分、何でも自分で作っては自分で楽しんでいるように見えるのだが。
その苦悩はあまりに芸術家そのもので、いつものことながらついていけない。
「とにかく、志帆が落ち込んでなくて良かったよ」
「いや、めちゃめちゃ落ち込んでるよ。まさか本当に豚って言われるとは思わなかった……だからもうめっちゃヲタ活と仕事頑張る」
そこで「ダイエットを頑張る」にはならないところが、なんとも我が娘らしい。
「パパもいい加減、私に人間の男との結婚は無理だってわかったでしょ。早く日本もナオキとの結婚認めてくんないかなぁ」
志帆の傍に立てかけられたスマホの中から、大人しく仕事中の志帆を見守っていたナオキが、頬を赤らめて微笑む。
恐れていたことが現実になってしまった。どうか日本が、そんな法改正をしないことを願うばかりだ。
「でも今回のことでさ、パパって本当に優しくて良い父親だったんだなと思って――」
「志帆……」
「ねえ、パパを次描く漫画の主人公にしていい?」
「えっ……もちろんいいけど、パパは普通のサラリーマンなのに面白いかなぁ」
「そこが良いんじゃん。それとムカつくから北沢の野郎も出してやろうと思って」
「じゃあ、ノンフィクション? 父と娘の絆を描くとか……」
「ううん、父子モノといったら父と娘より、父と息子でしょ!」
うん、なんか嫌な予感がしてきたな。
「タイトルももう決めてるんだ! 『family name』っていうんだけど。このタイトルの意味はね、父と息子っていうのは息子が生まれた時から同じ苗字で縛られて、決して離れられない存在じゃん? そして決して結ばれない運命なのに、夫婦みたいに一生同じ苗字なんだよ。娘なら結婚すれば苗字が変わるけど、息子はずっと父親と同じ苗字なんだよ! 切なくて最っ高に好きなやつ……」
十八年前の悪夢が今、蘇ろうとしている。しかも今度は私がモデルと来た。
「そ、それはわかったけど……北沢くんは何の役なの?」
「北沢の野郎が息子で、パパがパパ。イケメン東大生×イケおじ会社役員。まあよくあるパターンだけど、そこは他の設定でカバーするから」
父親と息子がそういう関係になってしまうという時点で、決してよくあるパターンではない。
そういえば以前志帆に、男性同士の恋愛フィクションでは、名前が先に来る方が「攻め」で、後に来る方は「受け」なのだと聞いた。
何を「攻め」たり「受け」たりするのか、具体的な内容は恐ろしくて聞けないが――
いくら私が渡貫地蔵でも、娘を豚呼ばわりした男に「攻め」られるのはちょっと心外だな。
「パパは逆の方がいいかなあ……」
「え、まさかのパパと逆カプ⁈ でもパパは優しすぎるから攻めには向かないんだよなぁ」
「いやどっちも嫌だけどね……? 志帆、漫画を描くのはいいけど、ちゃんと仕事が終わってからにするんだぞ」
「うん、わかってる。でも同人誌じゃなくて、仕事にするつもりで描くよ。BLの枠に囚われずに一般誌向けで!」
BLがどうこうではなく、倫理的なことに問題がありそうだが。
「初のBL作品で宝塚賞受賞とかしたら、めちゃめちゃかっこよくない? そしたら『mixivでブクマ0だった俺が宝塚賞作家になるまで』って本出せるじゃん!」
志帆の辞書に「常識」という言葉はない。
彼女の父親である限り、これからも子育ては、思いもよらないことの連続なのだろう。
娘の将来が楽しみでならない。
Family Name 七色いずも @nanairoizumo
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