花のカーテン

「ダイラタンシー現象って知ってるか?」

 タケシが言ってきた。コイツはいつも唐突だ。

「えーっと、なんだっけ。ネトネトの水溶液はゆっくりだとモノが沈んでいくけど、勢いよく叩いたらバイーンって跳ね返す、みたいな感じだっけ?」

 オレはうろ覚えの知識を披露する。

「そう!それそれ!流石はオレの友達の中で一番の秀才!」

「タケシの友達の中って狭さで一番って、あんまり名誉じゃないな」

「そんな事言うなよー」

「それで、ダイラタンシー現象がどうしたって?」

「そう!この夏、オレは勇者になります!」

「はぁ?」

 タケシは高らかに宣言し、オレはポカンと口を開ける。

 窓の外からは蝉の声が騒がしい。オマエ、必要のないオレに補習授業を付き合えと強引に学校まで連れてきて、挙句の果てにそれかよ。暑さでとうとうイカレたか?いや、元々か。


 ――


 高校の夏休みにする事かね、コレは。

 そんな事を思いながら、オレはタケシの後ろをついていく。山の中を、薮をかき分けタケシはずんずんと前を行く。オレは虫よけスプレーのにおいに酔いそうになりながら、任されたロープを肩に担いで必死で後を追う。


「着いたぞ!ここだ!」

 タケシの言葉を合図に目線を上げると、そこには大きな沼があった。いや、大きく見えただけか。三方を崖に囲まれたその沼は直径百メートルくらいの円形に見える。

「で、ここで、何をするって?」

 オレはタケシに問いかける。ここに来るまでに何度も聞いたが、『着いたら分かるって!』とはぐらかされ続けていた。そして、着いたらしいが、オレには何も分からない。


「ほら、あそこに祠が見えるだろ?」

 タケシが指さすその先の、沼の最奥には確かに小さな祠があった。

「あぁ、あるな」

「だろ!あの祠に祀ってある神様がな、何度もオレの夢に出てきてよぉ。土台の一部がグラついているから、直して欲しいって言うんだよ」

「はぁ?」

 何言ってんだ、コイツ。

「だからさ、ちょっとひとっ走り行ってくるわ!」

 言うや否や、タケシは祠に向かって一直線に、沼の水面を真っすぐに駆け出した。そして、すぐに沈んだ。

「たすけてくれー!ロープを投げてくれー」

 タケシの情けない叫びがオレに頭痛を起こさせている気がするが、オレは急いでロープの一端をタケシに投げる。

「掴まれ!引っ張り上げる!」

 いったい全体、アイツは何を考えているんだ?何がしたいんだ?


 ――


「ほら、だいたんしー現象?あれだよ。へっきし」

「ダイラタンシー現象な。そもそも、もっとネットネトなもんじゃないと起こらないぜ? え。ちょっと待って。オマエ、ダイラタンシー現象を起こし続けて水面を走り抜けるって言ってるのか?」

 オレは呆れた顔をタケシに向ける。

「言っただろ?オレは勇者になるって!走ってあそこまで行けたら、オレって勇者じゃね?」

 誇らしげなタケシにかけるべき言葉が見当たらない。オレは何を言うべきなんだ?

「ってか、祠の修復が目的なら手ぶらで行っていいのかよ」

 論点はそこじゃないと思いながら、オレはタケシに言う。

「大丈夫だ。神様が言うには、ほら、あの祠の奥にツタみたいなツルみたいな植物が垂れ下がっているだろ?たくさん花を付けていて、まるで花のカーテンみたいになってるの、分かるだろ?」

「あぁ、うん。まぁ、見えるけど」

「あの花のカーテンの奥に、ちょっとした資材やら道具が置いてあるんだってよ」

「ほー。えらく具体的な夢だな」

「だろ? そして、神様の願いを叶えたら、神様もオレの願いを叶えてくれるらしいんだ」

「へぇ。それで、頑張る、と」

「あぁ。オレは今日、勇者になる!」


 ――


 タケシは何度沈んだだろう。オレは何度ロープでタケシを引っ張っただろう。汗だくのクタクタで、オレ達はへたり込んでいた。

「まだやんのかよ」

「もうちょっとでイケる気がするんだよなー」

 タケシの目は今も輝いている。しょうがない付き合ってやるか。


 多分、二十数度目の助走、裸足でパンツ一丁になったタケシが沼の水面を叩くように蹴る蹴る蹴る!

 オレは奇跡を見ていた。ダイラタンシー現象なんて物理法則じゃない。タケシは気合で水面を駆けている。何だか分からない涙が込み上げる。マジか、タケシ、やったな。


 祠まで辿り着いたタケシがこちらに手を振っている。そして、花のカーテンの奥に入って、ごそごそと何かをしている。タケシは昔から器用だった。神様の要望に応える事は出来ただろう。


 帰りは途中で気が抜けたのか、今日イチで遠くまでロープを投げなきゃならなかったけど、ミッションコンプリート。早く風呂に入りたい。


「ありがとな、カズト」

 裸で横になったまま、タケシが言ってきた。

「ま、いいさ。それで、タケシの願いってのはなんだよ。神様はそれを叶えてくれるって言ってんだろ?」

「カズトと一生友達でいれますように。そう願った」

 オレは思わずタケシの顔を見る。

「もったいねぇよ」

「そうか?」

 そんなの神様に頼らなくても叶うじゃねえか。


 もったいねえ。


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ショートショートオムニバス 地図と硝子と約束と花 ハヤシダノリカズ @norikyo

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