三枝木葉のジジョウ

藤 秋人

第一話「木葉さん、様子がおかしいってさ」

 世の中は複雑すぎる、こう考えている人間は多い。だから、簡単にしようとするんだ。動画は等速では見ないし、一分ちょっとの内容に命を懸けている様に『見せかけ』ている。誰かの主張を代弁した気になって、いつしかそれに溺れていく。共感だった『それ』はやがて『信仰』に似た何かに変わっていく。


 それこそ人間がヒトに変わっていく瞬間だと、私は常々思う。


「だから、世の中の人達はギスギスしているんだ」


 とくに、インターネットの中で。


 男女問わず、老いも若きも必死に現実世界(リアル)とやらでは、バッチリメイクで常識人の皮をかぶる。誰もがギリギリの妥協点を探しながら生きている。


 だから、生きにくい、歪みが生まれる。キョーシや、セージカ、チシキジン、インフルエンサー。そう言った人達にヘラヘラと迎合する。そんな『フリ』をして生きる。一体、何の意味があるのだろう。当然の様に、段々どちらが自分の本当なのかがアイマイになって行く。


 誰もが、本当の自分を探している。そんな自分探しの旅に、皆が巻き込まれてしまう。否応なしに。


 心の腕力が強い人間が、強引に周囲を掻き乱し。心の豊かな人間を貪り食う。そんなことの繰り返しが、今日の弱肉強食事情と言った塩梅。


 こんなことを食卓で話したら、心療内科に連れていかれた。両親いわく。


「木葉(このは)は、疲れている」


 なのだそうだ。そりゃ、疲れないなんてことは無いよ。いつも眠いし、何なら耳を覆うようなアレコレから逃げ出したい。今の十代なんてそんなもんですよ。これを心療内科のお医者に話した。優しい笑みを浮かべながら、告げたのが以下の通り。


「木葉さんは、頭が良いから。色々なことを考えすぎてしまうんですね。少し周りの気になり過ぎることを和らげる、そんなお薬を出しましょう。これまで良く頑張ったね」


 つまり、考えるなってこと。これから生き抜くつもりなら、私みたいな子には薬が必要。それだけは分かった。診断名を何々にしようかだとか、あえて診断名を付けずに治療だけ始めようか。相談を始めるお医者と両親。私の子育てがどこか間違っていたんでしょうか、そんなママの声が聞こえた。こうして、悩める思春期が発達障害とラベリングされた瞬間のことだった。


 私は認められない、どこもおかしくなんてない。おかしいのは貴方達の方だ。そう思った。けど言えない、薄皮の様に重ねた私の現実(リアル)の姿が崩れてしまうから。だから曖昧に笑った。


「私って、つまりちょっと様子がおかしいってことなんですね」


 完璧に、演じきった筈なのに。涙が出た。あふれるそれはとめどなく流れて、いつしかうずくまる様に体を丸めて一人きりの世界に籠る。それが全ての終わりの始まり。処方された薬を飲むように。フツーになるように、矯正され始めた時の記憶。


 世の中の歪さを飲み込んでしまえるように、おくすりを飲む。しばらくすると、私の中で渦巻いていた豊かな満ち引きが、静まり返るのを感じた。でも、そこにあるのは虚無でしかない。実際は、感受性の死に近い。三枝木葉(さえぐさこのは)を構成するココロのセンサーが、強制的に沈黙させられて行くのが分かる。


 吐き気がするけど、吐くものが無い。食べ物を吐いて、飲み物を吐いて、いつしか嗚咽をもらすことしか出来なくなった。


 そんな人間が、学校に行っても辛いだけなのに。どうして皆優しくするのだろう。なぜ、偽りの笑顔で、その優しさで、次々と声をかけてくるのか。ちっとも心に響かない、沁み込まない。やがて、皆遠巻きに眺める様になった。当然だ。これまでの私とはまるで違うのだから。


 ただ、所属していた生徒会の会長。いつも余裕があって、何か考えている様でその実何も考えていないフリをするのが得意な彼。伊地然世(いちねんせい)が、休学前の私に言ったことがスマホの録音に残っている。こうだ。


「三枝、まずは何も考えず。食って万全になれ。それでもダメなら、眠って万全になれ、眠れない夜は、どんなやつでも良い。眠れるまで巻き込んでしまえ。ヒトが信じられないなら、この生徒会長である然世を頼れ。なに、夜更かしには慣れている。いいな?」


 綺麗事だと。そう反論することも出来たが、今から言うことを録音に取れと、妙な迫力で頼み込まれた。会長である自分が副会長である私をただ見送るのは寂しい。とは言え、気の利いた物も渡せないから言葉だけでも、と。


 心には何ら響かなかった。今の私は、そうなっているから。


 その晩、いつものように夕食を吐いて。お風呂で泣いて、ベッドの中で録音を聴いた。

 私の心にある満ち引きが、一気に戻ってくる――彼の心遣いに激しく波打った。偽りまみれだと思っていた世界の中で、少しだけ。


 ほんの少しだけ、以前の私に戻れた気がした。親が気を効かせて買ってきたブドウ糖味のラムネをかじる。吐き気が治まり、久しぶりに味を感じた。

 三枝木葉は様子がおかしい。これは周りから見た一定の真実かもしれない。けれども、私が感じる色々なことは、事実でしかないし。やっぱり、世の中の方がちょっと変だ。

 思い出す。なんとなく入った生徒会。拍手で信任された副会長職。けれども、会長……伊地の録音は、普段飲んでいる薬よりも、幾らか良いものに思えた。

 この日、久しぶりにグッスリ眠れた。沢山夢を見た。苦しい夢も、そうでない雑多なものも。目が覚めて、少しふっきれた。


 どうやら私。

 木葉さん、様子がおかしんだってさ。

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