第10話 byくーたん💛

「お前の周りにいるのか」

探偵は、龍馬の不穏な空気を察した。龍馬は、探偵に伝えてしまったら詩乃はどうなってしまうのかと思い、即座に答えることができなかった。

「どんな人物なのか教えてくれ、悪いようにはしない」

「…茶屋で手伝いをしている女の子だ。母親が蟲で、父親は亡くなっている。久留島詩乃という女の子だ」

「久留島、その子は伊予国出身か」

「いや、そこまでは、ただ、数年前に江戸に越してきたそうだ」

探偵は龍馬の話す久留島一家があの一家であると確信した。

「俺は、蟲の情報を集めるために伊予国にいたことがある。蟲の話はほとんどの人が信じてない、いわば空事とされているが、伊予国では違うのだ。住民全員が蟲のことを知っている。そして、蟲の事件のことも。お前、聞く覚悟はあるのか。」

龍馬は何も言えずにいたが、探偵は龍馬の真剣な表情で覚悟を感じ取り、話を続けた。

「一家の母親は、近所の人にさえ姿を見せないことで知られていた。ただ、娘は明るく、父親も愛想がよかったことから、母親の謎に興味を寄せる人が多かったそうだ。そして、母親が妖怪であるという噂が流れはじめ、近所の子供たちはその姿を一目見ようとして、ある日母親の姿を見たのだ。姿を見た子供は化け物だなんだと騒ぎ立てたが、しばらくすると、言葉を発さなくなり、その後失踪した。」

龍馬はどうしても詩乃の母がそんなことをすると思えなかった。

「母親が失踪にかかわっていると言いたいのか」

「それは俺にもわからない。他人から聞いた話だ。ただ、一家はその後伊予国を去った。そして、久留島を名乗っていたそうだ」

龍馬は、二年前に土佐のすぐ近くの伊予国で、久留島という一家が自殺したと言われた男の事件に関わっていたという有名な話を覚えていた。

「これは俺が考えたことだが、蟲は、」


探偵の話はしばらく続いた。

「――そして、蟲は徐々に進めているのだ」


「そうか、」

龍馬は、蟲が人の関係を喰らう恐ろしさを知り、青ざめた。

「話したいことはたくさんあるのだが、今は急いで戻らなければならない。大事な話をしてくれたこと、感謝する」

使命感に駆られていた龍馬は、溝渕のもとへ向かわなければならなかった。

「待ってくれ、」

「どうした。」

探偵の様子にわずかな異変を感じた。

「いや、行ってくれ。引き留めてすまない。」

さえぎるように強く言われ、龍馬は探偵に別れを告げた。


龍馬は溝渕のもとへ急いだ。自身の感じた嫌な予感が当たっていれば大変なことになる。そう感じていた龍馬は、念のため自身の剣を準備して向かった。

「雨が降りそうだな」

空には、鼠色の雲がかかっていた。


溝渕の家に着くと、深呼吸をし、扉をたたいた。

何も起こるはずがない、龍馬は心のどこかでそう思っていた。詩乃とかかわりはじめてからは蟲に対する恐怖心も少なくなった。あんなに普通の女の子だ。

まだ扉は開かない。

龍馬はもう一度、今度は扉を強くたたいた。

「何も、起こらない」

ゆっくり扉が開いた。

「誰だ」

全身が布で覆われている。足元を見ると見慣れた黄色い鼻緒の下駄が見えた。

「詩乃、どうしたんだ。もしかして、」

何も発さない。

しばらくするとすすり泣く声が聞こえてきた。足元は震えている。その震えた小さな足がゆっくりと進みだし、小さな部屋の前で止まった。

すぐには動けなかった。自分のしなければならないこと、起こっていることに察しはついていた。「覚悟を決めなければ」そう心の中でつぶやいた。

屋敷から見える黒い雲が不安を加速させる。

しばらくして、龍馬はその扉を開いた。


数日後、溝渕の葬式が行われた。どうやら溝渕には持病があったようで、詩乃の母親にはよく世話になっていたそうだ。そのせいなのか、死因の調査はまともに行われず、持病による死としてこの事件は幕を閉じた。深い調査が行われなかったことがよかったのか悪かったのかわからない。ただ、一家には悪い噂が出回るようになった。

詩乃はあれからというと、たまに小さな声でしゃべるだけで普段は何も発さないようになった。全身は布で包まれたままで、母親同様、人前で姿を見せることはなくなった。

そして、この事件のことを話さなければならない人物がいる。しかし、あれ以降、行方は聞いていなかった。龍馬は、仕方なく最後に会ったあの建物に行くことにした。


道中で、探偵の様子に異変があったことを思い出した。

「だが、蟲に喰われることはない」

蟲についてはもう十分すぎるほど調べつくしたのだ。だからこそ探偵が蟲に喰われることはないと確信していた。雨がやみ、雲の裏には青空が見え始めている。

しばらく歩くと建物が見えてきた。このあたりは茶屋街としてにぎわっていたのだが、あの事件以降、客足は遠のき、閑散としていて、周りよりも一回り大きい建物が以前より大きく見える気がした。

龍馬が建物に足を踏み入れると、ギイイと床が軋む。階段を上るにつれてその音は大きくなる。閑散としたこの町に知らしめるようだった。

最後の段を上りきるとゆっくりと顔を上げた。

「嘘だろ…」

鼻にツンとくるような臭いの先には、黒い布に包まれた「何か」が見えた。これが死体なのか、他の物体なのか見分けがつかなかった。ただ見えるのは、ただれた皮膚のようなものと一部甲殻類のように黒く硬くなり始めた部分だけであり、それはかつて病室で見た探偵の姿とはまるで違うものだった。その黒い「何か」の近くには見覚えのある紙の束が落ちていた。龍馬はおもむろにそれを拾い、親指ほどの分厚さはある紙の束をひたすら読むしかできなかった。そこには、最期を迎えるまでに必死に抵抗した様子や持病の発作と戦った一部始終が書き込まれ、読み進めるにつれてその文字が弱々しくなっていくのがわかった。

そして、最後のページには、龍馬に対する忠告が書かれていた。


それから数年が経ち、龍馬は江戸を離れ、京都を拠点にしていた。しかし、近頃、龍馬の身に危険が及ぶような噂が流れており、気軽に外に行くことができなかったため、窓の外を眺めるのが日課になっていた。

「紅葉がきれいな季節だ。ただ、牛の刻は晴れていたが、雲がかかってきてしまったな」

この天気は、数年前の蟲の事件のことを思い出させる。龍馬は、あの日見上げた雲のかかった空をいまだ忘れることができずにいた。


夜になると、来客があった。応対は従僕に任せているため、龍馬は奥の間にいたままだった。しかし、しばらくすると、ドンという大きな物音が聞こえた。龍馬は危険を察知し、奥の床の間にあった刀を取り、振り返ると、そこには黒ずくめの人物があらわれ、またたく間に両側から囲まれてしまった。

「誰だ。お前たちの目的はなんだ」

黒ずくめは一瞬の隙を狙っている。龍馬も神経を研ぎ澄ませ相手の隙を狙う。

お互いの神経の攻防は続いた。

「今だ」

龍馬が精神の戦いに勝利し、刀を取って立ち上がったが、同時に黒ずくめも迫り、刀を抜くことはできず鞘のままで刀を受け止めた。そして気づくと、畳の上に倒れていた。龍馬は、最後の力を振り絞り、目を開こうとした。意識がもうろうとして、ぼんやりとしか見えない。微かに見えたのは、黄色い鼻緒の下駄だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

令和5年度 リレー小説 @genbunken

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ