にゃんにゃん神社 ――その神社には行ってはならない――

烏川 ハル

猫と神社と娘さん

   

 僕が子供の頃に住んでいた辺りに、ちょっと面白い神社があった。


 赤い鳥居をくぐって、緑の木々に挟まれた長い石段を駆け上がると、急にパッと視界が開けて、立派な境内が広がっている。

 ……と説明してしまえば、どこにでもある普通の神社なのだが、そこの特徴は境内にたくさんの猫が居着いていること。いつっても必ず十数匹は見かけるレベルであり、だから僕は勝手に「にゃんにゃん神社」と呼んでいた。


 そこの神社の娘さんが猫好きで、よく可愛がっていたから、それで猫の方でも懐いて、集まってきていたらしい。

 まあ「娘さん」といっても、当時すでに高校生。今だからそういう言い方になるだけで、当時の僕から見れば「素敵なお姉さん」という感じだった。

 大人な雰囲気を思わせる、黒色のセーラー服でね。襟と袖口だけが白くて、そこには赤いラインが入っていたし、スカーフも同じく赤色だった。

 くりっとした瞳や、スーッと通った鼻筋、すこしだけ肉厚の唇も素敵に見えて、そんな彼女が制服姿のまま猫たちとたわむれるのは、とても絵になる光景だった。


 ただし「猫たちとたわむれる」といっても、せいぜいオモチャで遊ぶ程度。おやつや餌を与えることは一切しなかったようだ。

「飼い猫じゃなくて、野良猫だからね。餌付けは良くないよ。ずっとじゃなくて一時的に、あげたい時だけ餌あげるなんて、無責任だからね」

 と彼女は言っていた。

 子供だった僕から見れば、それは「確固たるポリシーを持っている」という態度で、ますます彼女を大人だと感じさせる部分だった。


 そんな「にゃんにゃん神社」に、僕は足繁くかよっていた。さすがに毎日ではないものの、結構それに近い頻度だった気がする。

 ところが、ある日……。


――――――――――――


 夕方になったので、いつものように神社の境内から立ち去り、石段を駆け降りていく。

 鳥居もくぐって、一般道に出たところで、同じクラスの次郎くんと出くわした。


「やあ、次郎くん」

「あっ……!」

 気さくに挨拶する僕を見ると、彼は驚いたような顔をする。

 彼の視線の動きを追う限りでは、僕が降りてきた石段と、僕自身とを見比べている感じだった。

 その状態で、次郎くんは恐る恐る問いかけてくる。

「もしかして、きみ……。この神社にってきたの?」


「うん、そうだよ。ここはね……」

「ダメだよ! この神社、とっても危険なんだから!」

 僕は普通に答えただけなのに、次郎くんはたいそう慌てながら、僕の発言を遮ってしまう。勢いよく何かを否定する勢いで、腕をブンブン振り始めるほどだった。


 しかし僕にしてみれば、言いかけたことを途中で止められて、若干不愉快になっていた。だから彼の話なんて聞こえなかったフリをして、言葉を続けたのだが……。

「……ここってね、猫がいっぱいいてね。とっても楽しいんだよ!」

「そう、その猫だよ、猫! この神社に行くと……」

 次郎くんの慌てぶりが、いっそう酷くなる。ついには意味不明な話を叫び出す始末だった。

「……きみも猫に変えられちゃうよ!」


――――――――――――


「はあ……? 『猫に変えられちゃう』って、どういう意味?」

 僕はなかば呆れながら、次郎くんの肩を軽くポンポンと叩く。

 すると、彼は少し落ち着いたらしい。

「うん、あのね。お兄ちゃんから聞いた話なんだけど……」


 次郎くんの説明によると。

 あの神社の境内に集まってきている猫は、実は全てが元人間。神社の跡継ぎである女子高生が猫好きなあまり、人間を猫に変える魔法を編み出したのだという。特に可愛らしい子供たちが遊びに来ると、お気に入りを選び出して、猫に変えてしまうらしい。


「『人間を猫に変える魔法』だなんて、そんな……」

 まるで漫画ではないか。そう言おうとした僕の前で、次郎くんは首を横に振っていた。

「ほら、彼女はこの神社の正統的な後継者でしょ? だから巫女としての強い力があってさ。霊力とか魔力とか呼ばれるたぐいの力だよ。それを駆使して、猫化の魔法を……」

 僕から見た彼女は「素敵なお姉さん」に過ぎない。言われてみれば、神社の人間なのだから確かに巫女なのかもしれないが、それっぽい服装の彼女は一度も目にしたことがなかった。

 だから、その点を指摘してみるが……。


「次郎くんの話、本当なの? だって僕、あの人の巫女姿なんて見たことないよ? あの人、いつも黒いセーラー服姿で……」

「そう、黒い服! それが何よりのあかしだよ!」

 僕の言葉尻を捉えて、次郎くんは得意げになっていた。

「黒といえば、悪い魔女の色でしょ? 闇堕ちして悪い魔女になったから、巫女装束みたいな、めでたい紅白の色は、もう着れなくなっちゃったんだよ!」


 それまで僕は、彼女の制服の「黒」という色に「大人」のイメージを感じていた。しかし、例えばお葬式で着る喪服も「黒」だし、次郎くんの言う通り「闇堕ち」とか「悪い魔女」といったイメージもある色ではないか。

 そう考えると、なんだか次郎くんの話も、あながち否定できない気がしてきて……。

 それ以来、僕は「にゃんにゃん神社」へ行くのをやめてしまうのだった。


――――――――――――


 猫にされる、という噂の真相。

 それについて僕が知ったのは、ずっとあと。すっかり大きくなってからだった。


 もちろんあの噂は本当ではなく、悪質なデマに過ぎなかった。

 そのデマを流し広めた犯人は、次郎くんのお兄さん。あの神社の娘さんとは高校の同級生であり、彼女に告白してフラれた腹いせだったという。

 フラれるだけでもみっともないのに、根も葉もない悪い噂を作り出して仕返ししようだなんて、まさに恥の上塗り。色々とバレてしまってからは、たいそう肩身の狭い思いをしたそうだ。


 まあ次郎くんのお兄さんのその後に関しては、僕には関係ない話なので、どうでもいいとしても……。

 今思えば、あんな噂を怖がるなんて、なんとも勿体ないことをしたと思う。

 別に、猫にされても良いではないか。

 いや「されても良い」どころではない。猫になって、他の猫と一緒に毎日、素敵なお姉さんに可愛がってもらえるのであれば、そんな生活、まさに天国ではないか!

 嘘だったのが惜しいくらいだ。

 そんな世界、どこかに本当にないだろうか?

 大人になって日々の生活に疲れてくると、つくづくそう考えてしまう。




(「にゃんにゃん神社 ――その神社には行ってはならない――」完)

   

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