本編

(音声スポット:福岡城内の牡丹芍薬園)




「きこえる? わたしのこぇがきこえる?」


 スマホから女の子の、それも幼児のような声が聞こえてきた。

 僕は思わず返事をした。


「聞こえてるけど」


「よかった。わたしはものすごくさみしいから、あなたにこえをきいてもらえてうれしい」


 穏やかながら、優しそうな声だった。


「君は何者だ?」


 尋ねたけれど返事はなく、


「わたしはリゲイア。あてもなくただようおとのれい。だれかとおともだちになりたくて、さまよっているの。それよりもきをつけて」


 気を付けて、だって?


「さっきまできがつかなかったけれど、このばしょには、わるいれいがあつまっているよ。あちこちから、れいのこえがきこえるもの」


「霊の声が……?」


「ここはふくおかじょうといってね、くろだながまさ、というせんごくじだいのおさむらいがたてたおしろなの。


 そして、このぼたんしゃくやくえんは、くろだながまさのおとうさんの、くろだかんべえ、というえらいおさむらいが、いんきょのためにつくったおたかやしきのあとにつくられた、はなぞのなの。


 きれいなところだよね。

 あまり、たくさん、みんながくるところじゃないけれど。でもはるになるとぼたんとしゃくやくのおはながとてもきれいで、すてきなところなの。


 でも、いまは……。


 ああ、さまよっている。

 わるいれいのこえが、きこえる、きこえる、きこえる……」


 リゲイアの声が、『さまよっている』のあとから、甲高くなっていく。

 僕はゾクッとした。


 カタカタカタ……。

 木と木の塊を何度もぶつけあったような音がした。


 なんでこんな音が?

 まわりを見ても、怪しいものは見えないのに。


「わるいれいがすこしずつ、あつまってきている。めにはみえないれいが。


 にげて。

 にげて。


 にぐげぇて」


 ……!?

 リゲイアの声が一瞬、不気味に歪んだ。急に中年男みたいな調子の声に……。


 カタカタカタ。

 カタカタカタ。


 また、音が……。


「逃げて。早く、どこかへ!」


 リゲイアが、普通の声に戻って言った。

 確かに、この場所に留まるのは危険かもしれない。

 僕は牡丹芍薬園の隅に向かって移動したが……。


 あれ?

 いまリゲイアの声、少し大人みたいじゃなかった?


 いったい、この子は何者なんだ?

 友達が欲しい音の霊だって。

 本当に……?



●●●



 牡丹芍薬園の片隅に移動した。


「ここまで来たら、もう大丈夫だよ」


 リゲイアが少し明るい声になった。


「いまのは空をさまよう、悪い霊。あなたに悪いことをしようとしていたの。……ふふふっ、わたし、詳しいでしょ? 伊達に音の霊として宙をさまよっていないのよ」


「それはいいけれど、なんか急に声が大人びたね」


 さっきまではまるっきり子供だったのに、いまは高校生くらいの声に聞こえる。


「え? わたしの声、大人っぽくなった?」


「うん」


「そう? そうなんだ。そうぼぉなぁんだ」


 ……まただ。

 リゲイアの声が、急に大人の男みたいになった。

 しかも『そうなんだ』と言ったであろう箇所が、逆再生みたいな不気味な音になっている。これはいったい――



 カタカタカタ。



 またさっきの、木と木がぶつかるような音だ!

 僕を追いかけてきたのか?


「むぁた、わりぃれいがきびぃた」


 リゲイアの声は変わらず、不気味なままだ。

 しかも――



 ひゅううう、ひゅううう。



 風のような音まで聞こえてきた。

 なんなんだ、これは!


「リゲイア、僕はどうしたら……」


「また逃げて。悪い霊が来ないところへ。ひとまず、西のほうへ」


「……わかった」


 リゲイアは普通の声に戻っていた。

 僕はリゲイアの指示にひとまず従った。

 でもリゲイアの声が、今度はいよいよ大人の女性のようになっている。二十代後半くらいか?


 僕はいよいよ震えてきた。

 リゲイア、君は良い霊なのか?

 君を信じて大丈夫なのか!?



●●●



「はぁっ、はぁっ」


 僕は肩で息をしながら、またリゲイアと電話をした。


「リゲイア。逃げたよ」


「お疲れ様。今日の悪霊はしつこいわ。でも、もう大丈夫だから。あなたが逃げ続けたおかげで、今度こそ悪霊は去ったわ」


 本当に?

 悪い霊は本当に、いなくなったのか?

 僕は電話の向こうにいるリゲイアに、疑いの念を持ち始めていた。


「リゲイア。その、どうして君の声はどんどん大人になっているんだ?」


「え? わたしの声が大人っぽい? そんな馬鹿な。なにを言っているのかしら、この子は。いけない子。悪い子。わたしが、おとなだ、なんて、なんて、ぬぁんて、ぬぁん……」


「……リゲイア」


「ぬぶぶぶぶ、ぶぶ、ぶ、ぶ、ぶぇた、なし。ぶぶっぶっ、ぶっ。ぶぶーっ」


 壊れたラジオみたいに、リゲイアの声がおかしくなる。


「ちっ、ちっ、ちがう、わたしは、わるい、れいじゃない、でも、ぶぶ、あなたが、わるい、ぶぶーっ、ぶっ」




 ガビガビガビガビガビ!

 ガーッ!!



 突然、機械が爆発したような音。

 それも大音量だ。



「にげて、にげぇて、にげろ、にげろ」


「あ……」


「にげぇろ」


 中年男の声だった。

 僕は牡丹芍薬園から逃げたかった。

 けれど、階段から下におりたらさっきのカタカタカタという、別の悪霊が来るかもしれない。


 けっきょく僕は、牡丹芍薬園の中をさらに移動した。


●●●



 牡丹芍薬園の中心は。

 咲き誇る花、花、花。

 花園は緑の樹木に取り囲まれていて、いい景色だ。


 それなのに人はほとんどいない。

 人口百六十万都市、福岡市の中心部にある福岡城の中とは思えないほど静かで、花と樹の香りに満ちているその場所。


 けれども僕のスマホからはいっそう不気味な音が、声が、流れ続けている。


 カタカタカタ。

 カタカタカタ。


 ガビガビガビガビガビ。

 ガビガビガビガビガビ。


 木と木がぶつかり合う。

 機械が壊れたような発信音も聞こえる。


「お願いします。わたしを信じてください」


「リゲイア……」


 リゲイアの声が、今度はひどく老けていた。

 中年、いや老婆にも似た、しかも妙に恨みっぽい、しめっぽい声音だ。


「わたしはあなたの味方なのです。あなたに悪いことしようなんて、これっぽっちも、思っていないのです。信じてくれる、ですか? わたしを信じてくれますか?」


「も、もちろん」


 と僕は返したが、内心では――

 リゲイアはきっと悪霊だ。そう思うようになっていた。


 最初、子供や若い女の子の声だったのは僕を油断させるためで、いまのリゲイアが本当のリゲイアなんだ、きっと。


 だってそうとでも考えないと、彼女の声や、この大音量の不気味な音には説明がつかない――


「信じて、ぬぁわいですね」


 リゲイアの声が、少し野太くなった。


「信じて、ほしいのに。あなたと会えたから嬉しかったのに。それなのに、なぁんで、うっく、ひっく、ひっく、ひっく、えっく……」


 しくしく。

 しくしくしく。


 泣いているリゲイアの声が、若くなっていく。

 リゲイアが少しかわいそうになった。やっぱり彼女は良い霊なんじゃ……。


 と思ったときだ。


 カタカタカタ

 カタカタカタ


 また、あの音が聞こえた。

 僕は思わず、「ひっ」と小さくうめく。

 そのときだった。


「ひっく、ひっく、ひっ……







 ひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひ!!!!!!!!!!!!」







 笑い声が鼓膜を貫く。

 心臓がばくんばくんと動く。

 冷たい血液が全身を激しく駆け巡る。


 もう嫌だ。

 こんなところ、もう嫌だ。

 逃げよう。……どこへ? 分からない!!


 分からないけれど僕は、ただこれまでに来た場所は嫌だと思い、さらに北側へ。

 牡丹芍薬園の、奥へ奥へと駆けていった。


 それにしてもリゲイア。

 君はいったい何者なんだ!



●●●



 牡丹芍薬園、その北の隅にまで逃げた。

 すると木々が生い茂っている森のような場所に到達した。

 空が見えない。薄暗い。余計に怖いところに来てしまった。


「ひぃ、ひぃ、ひぃ」


 スマホから、また不気味な声がする。

 老婆のような声だ。


「どうしてわたしを信じてくれんかったの。どぉおして。信じてくれたら、こんなことには、なあらんかった、のに。


 わたし、さみしいの。

 ずっと、さみしかった。

 ひとりでさまよっているから。

 さみしかった。


 だからあなたを守ってあげて、ね、あなたとおともだちになりたかった。

 なのに、ね、あなた、わたしのこと、わるいれいだと思ったんでしょ?


 かなしい、さみしい、ひっく、えっく。わたしを信じてって言ったのに、あなたは心の中でわたしを信じてくれんかった。わたしをわるいれいだと思った。だからわたしぃ、もう、こんなぁ、おばあちゃんになった。信じてくれんかったら、わたし、こんなふうに、なるぅ、はあぁ、かなしい、悲しい、かあなしい。


 もうわたし、悪い霊になって、ひひ、もう、あんば、あなたを恨むしかなぁん、い。

 嫌われたから、信じてくれなかったから、わたし、あなたを、恨む、よよよよ。


 よ……よ……」


 そうか……。

 僕はピンときた。

 リゲイアは悪い霊ではなかった。ただ寂しがり屋で、本当に僕と友達になりたいだけの霊だったんだ。


 僕を悪い霊から守ってくれようとしたんだ。

 なのに僕は、リゲイアこそが悪霊だと思ってしまった。

 それがきっかけだったんだろう。リゲイアは本物の悪霊になってしまったんだ。


「ごめん、リゲイア」


「も、ももも、もう、おそぉい、わたし、ずっとずうっとあなたについていく。嫌われてもいいもん。これからずうっとずうっとあなたについていくから。あなた、わたしを信じてくれなかったから、ずうっっとついていくんだ、もおん。信じてくれない人には、罰だもぉん」


 老婆の声が、逆再生みたいになっている。


「ひひっ、ひひひっ、これから、あなたと、ずっといっしょ。見えないけどね、わたしは見えないけど、ずっと一緒にあなたといるから。声は聞こえなくなっても、ひひひひひ、ずっと、いるからね、ひひ。うひ。う。ぶぶう。ひっ。





ひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひ




 べぇー」




 ザーッ。

 と、そこで砂が流れるような音がした。

 そして、もうリゲイアの声は聞こえなかった。




 でも。

 気配だけはしている。




 これからきっと、僕が死ぬまで。

 隣に、うしろに、彼女はずっといて。

 ふと気がついたら、また声をかけてくるんだろう。


 友達の電話に出たら、またあの声が聞こえるような気がする。

 リゲイアのもの寂しい声が。






「きこえる? わたしのこぇがきこえる?」








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音霊(おんりょう) 須崎正太郎 @suzaki_shotaro

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