第11話 黄金の森の祭司

宿に届いた手紙を頼りに、ヴィクトリアは木々の間を歩いていた。同行者はいない。



帝都北部の森には、精霊が住むと言われる。無闇に外の者が立ち入れば、彼らの魔法で方向感覚を狂わされ、二度と外には出られない。


しかし今回、ヴィクトリアは招待状を受け取っていた。それは朝方、宿の枕元に突然置かれる形で届いた。


頭上を覆う葉の間から木漏れ日が射し込み、草や木の根を優しく照らしている。


「素敵な森ですわ」


ヴィクトリアはうっとりとそう言った。


『そうか?なんか気分悪いぜ』


アキラは不満げな声を上げた。

精霊の森は魔を払うと言われる。


「あなたが悪霊だからでは?」

「フン、そうかよ」


彼は黙った。




森を進んでいくと、開けた空間に出た。背の低い草花が点々と生えていて、空間の中心には一本の木があった。淡い黄色の葉をつけている。


木の側には人影がひとつ、立っていた。その者はこちらを見ると、流麗に一礼した。


「冒険者ヴィクトリア。お待ちしていました」


透き通るような声でそう言った彼女は、すらりとした体躯に金色の髪、そして、細長く尖った耳を持っていた。


エルフだ。森の精霊とは、彼らのことだった。


彼女は森の奥、さらに深まった領域へヴィクトリアを導く。入り組んだ木々がアーチ状に重なり、結果として自然の通路を作る。興味深い光景だった。


しばらく行くと、急に視界が開けた。そこには帝国皇帝の王宮にも劣らないほどの巨大な大樹と、その根本に集まって建てられた住居や工房の数々があった。


案内役の彼女はもう一度、一礼した。


「ようこそ、黄金樹の村へ」


◆------------------◆


村にはエルフたちが暮らしていた。

自然と魔術に親しみ、森の中で暮らす種族。悠久の時を過ごす彼らをいつしか人間が目撃し、北の森の精霊として知られるようになった。


案内の女はエレナと名乗った。彼女がヴィクトリアへの手紙の差出人。


背の高い後ろ姿を追い、エルフの集落を歩く。


噂に聞いたことはあったが、精霊の棲家を実際に目にしたのは初めてだった。ヴィクトリアは建築や生活様式の様子を興味深げに見た。


「余所者め......」


どこかで囁き合う声が聞こえた。さほど遠くではない。辺りを見ると、口元をヴェールで隠した何人かのエルフたちが、顔を突き合わせながらこちらを横目で盗み見ていた。


「どうせすぐ逃げ帰る」


次の声は最初よりも大きかった。


ヴィクトリアは眉を顰める。


「呼ばれて来たのに、気分悪いよね。ごめん」


前を歩くエレナが、こちらを見て囁いた。


エレナはガラス玉のように丸く青い瞳で、ヴィクトリアを見つめている。初めて出会うエルフが何を考えているかわからず、ヴィクトリアはやや緊張した。


「一部は、外から来た人をよく思わないの。正直古いと思う。放っておいてくれたらいいんだけど」


彼女は再び歩き出す。ついて歩く。


案内の末に辿り着いたのは、小さな木造の家だった。エルフの女は一礼し、ドアを開けて促す。ここは彼女の家だ。


エレナは花の蜜を混ぜたお茶を出し、火を焚いて家を温めると、さっそく切り出した。


「私と、剣の練習をして欲しい」


エレナはまっすぐにこちらを見て言った。彼女は表情に乏しく、上手く感情が読み取れない。


「私には、兄がいるの。でも、ずっと会えてない。今度の試練をクリアして”祭司”になることができたら......また会える」


ほんの少し、彼女の細い眉が眉間に寄った。無機質な顔に、かすかに真剣な気配が浮かんだ気がした。


「力が、必要なの」


悩んだ末、ヴィクトリアは了承した。


今まで他人にものを教えたことはない。ニコルは少し年上で物事に詳しいし、アキラは基本話を聞かない。エヴァは教えても覚えられない。


だが、やってみる意味はあると思った。なにしろ、エルフの剣が見られるのだ。ヴィクトリアにも利益となろう。


さっそく稽古が始まる。


「気になるところがあったら、教えて」


はっきり言って、エレナの剣は独特だった。

速い攻撃と遅い攻撃を織り交ぜ、変則的なリズムを作り出している。相対する敵はリズムを掴めず、隙を突かれる。長い手足も十分に生かされている。他種族に比べて低い筋力を技術で補う形。


エルフの剣技だ。ヴィクトリアが何か教えなくとも、ほとんど完成しているように見えた。


ステータスも十分ある。


エレナ:HP300 MP600

筋力30 耐久力30 敏捷性60 知性50 魅力60


しかし、エレナは多いMPのわりに、魔法をひとつも知らなかった。


「教わらなかったの。詳しい人がいなくて」


そこで、ヴィクトリアは〈アクセル〉を教え、剣技に組み込ませて一緒に練習した。実際に魔法を覚えて使うには、時間がかかる。しかし、積み重ねられた技に変化の風が吹くだけでも、意味はあった。


彼女が目指す”試練”は難関という。これまでに何人もの若者が挑み、そして帰ってこなかった。


クリアの条件はひとつ。現役の司祭と決闘し、これに勝つことだ。相当な手練れで、もう数百年も前から司祭が変わっていないらしい。


「数百年も」

「エルフは長生きだから」


エレナは真顔で言い放った。


◆------------------◆


ある朝、ヴィクトリアが村の井戸から水を汲んで戻る途中、覆面の男たちに襲われた。彼らはそれぞれの剣を握り、さっさと荷物をまとめて帰らねば殺す、と脅した。


ヴィクトリアは〈アクセルⅢ〉を唱え、スピードの乗った拳で全員の頬を殴って返り討ちにした。上級魔法に対処できる者はいない様子。


傷ひとつない勝利だったが、違和感を覚える。

直接触れたのに、MPが回復していない。


それどころか、村に入ってからずっと、アキラが一言も発していないことに気づいた。一緒にいるのは感じるが、彼は体を動かすこともなければ、考えることすらしていない。不思議とこれまで気が付かなかった。


ヴィクトリアは走ってエレナの家に帰り、すぐにそのことを相談した。


「アキラ?誰、それ」


ヴィクトリアが説明すると、エレナは合点がいったように頷いた。


「ああ。大丈夫、大丈夫」


彼女の言うところによると、エルフの村には魔を払う重たい結界が張られているために、死霊系の魔物は立ち入れないのだという。アキラのような場合は、弾き出される代わりに一時的な活動停止になってしまうらしい。


「ここから出たら魂はまた動き出すし、損傷することもない。心配しなくていいよ」


言われてみれば、なるほど、アキラはただ動かないだけで、他の異常は感じられない。ちょうど早朝にヴィクトリアが目覚め、彼がまだ眠っている時の感覚と似ていた。


そういうものか。ヴィクトリアは納得した。


「さ、お皿並べて」


月日は流れる。


◆------------------◆


ヴィクトリアもすっかり村に馴染んできた。まだ目を合わせてくれない者たちもいるが、多くは対等に接してくれる。


エレナの乏しい表情から、感情が読み取れるようになってきた。冗談を言って笑ったり、綺麗なものを見て微笑んだりしているのが見てわかる。


2人は朝食を食べた後、日が傾くまで剣の練習を続ける。


お互いの手の内を知り尽くし、その動きはダンスのように噛み合って滑らかだった。


余所者嫌いの村人たちは、時々やって来ては2人に野次を飛ばしてくる。その度にエレナの動きは激しさを強め、ヴィクトリアも応えて全力でぶつかり合い、剣戟で散る火花が野次馬を黙らせるのだった。


すごすごと去る彼らの背中を見ながら、2人は笑み合った。


ヴィクトリアはこの生活が気に入っていた。


この村は美しい。自然の力に満ちて、精神のバランスが保たれるのを感じる。実家を捨て置き、旅に出たあの時から味わっていない感覚。頭の中で誰かの声が響くこともない。


一緒に炊いた夕飯を食べ、地中から湧き出す自然の温泉で湯浴みしながら、ヴィクトリアはいつも通り、エレナと話をしていた。


「私って、頭がおかしいのかしら」

「どうしたの、急に」


突拍子もないことを言ったのでエレナは笑ったが、ヴィクトリアは真剣だ。


「だって、突然頭の中で声が聞こえたり、勝手に体が動いたりするなんて......普通に考えて、おかしいし。本当は悪霊なんかいなくて、私が狂ってしまっただけなんじゃないかと思ったら、怖くて」

「ヴィクトリア」


エレナが手を握った。


「そんなこと、誰が証明できるの?この生活だって、本当はあなたが見てる夢かも知れない。それって確かめようがないことでしょ。

でもね」


彼女は自信を持って言った。


「もしもこの世界が夢で、あなたが本当の狂人でも、私はあなたが大切よ。だって、永い永い時間の中で、あなただけが私を認めてくれたんだもの」


ヴィクトリアは視線を上げた。青い瞳の視線が交差する。お互いに微笑み、その話は終わった。


エレナは教えてくれた。

両親は何十年も前に失ったこと。

兄も数年前に亡くなったが、彼の霊はまだこの森に留まっているということを。


黄金樹の森は、あの世とこの世を繋ぐ場所。祭司になれば、それらを司る権能を得られる。失った兄にも、もう一度会うことができる。


2人はベッドを準備し、横になった。

試練の日は、明日だ。


そうして、いつしか眠った。


その晩、ヴィクトリアは不思議な夢を見た。

誰かが名前を呼んでいる。甘い香り。体に触れられた気がするが、振り払ってしまった。まだここにいたい。

エレナの試練を見届けなければ。


◆------------------◆


あくる朝。

ヴィクトリアが目を覚ますと、もう家にエレナの姿はなかった。外が騒がしい。慌てて支度をし、家を出る。


村の広場にみんなが集まって、黄金樹を囲んでいた。樹の前にはエレナが立っている。儀式の衣装を身に纏い、淡い金が美しい。彼女はこちらに気付き、手を振った。ヴィクトリアは手を振り返す。


長老が口上を述べ終わり、エレナを促した。彼女は黄金樹の若枝に手を伸ばし、一本の枝を折り取る。


次の瞬間、彼女の姿は黄金の光に包まれ、その場から消えた。


ヴィクトリアは息を呑む。儀式は始まったのだ。



転移し、柔らかい土の上に降り立ったエレナは、ゆっくりと目を開いた。

そこは村の広場によく似た空間だったが、誰もいなかった。黄金樹はより強い輝きを湛えて枝葉を揺らし、神秘的な光の粒を降らせている。


その樹の下に、人影があった。現在の祭司。旧い人物だ。村の誰の曽祖父だったか。

彼は黄金に輝く剣を生み出し、肩に構える。目深のフードで顔は見えない。


試練は一対一の決闘。どちらかの死だけが決着を意味する。


エレナもまた剣を抜いた。


「__〈アクセルⅢ〉」



エレナが消えた後の広場を、ヴィクトリアはずっと見ていた。その横から、声をかける者あり。


「なあ、知ってるか。エレナはこの村でも、特に身寄りがないんだ」


ヴィクトリアは訝しんだ。特に、とは。


「もともと他の群れからはぐれて村に来た子だ。一緒にいた男も、本当の兄かどうか。なんとか馴染もうとしていたが、狩りの最中に男が死んで、完全にひとりになった。わざわざあいつに声をかけ、ものを教えたりするやつはいない。余所者だからな。それからはずっとひとりで剣の訓練をしてた」


彼はとうとうと語った。ヴィクトリアは黙って聞いていた。よく見れば、彼は一番初めに彼女を野次った男だった。


「実際、俺たちはバカにしてた。試練を成し遂げるのは無理だ。現役の祭司は最強だし、エレナに稽古をつけるやつなんていない。外から来た、身の程知らずの馬鹿。挑戦を夢見ることすら無礼に当たる」


ヴィクトリアは鼻を鳴らす。


「だがな」


彼は口を覆っていたヴェールを外した。固く一文字に結ばれた口元が明らかになった。

それは、純粋に感動のためだった。彼の瞳は確かに潤み、じっと試練の広場を見つめていた。


「なあ。俺たちも、考えを改めねばならんようだ。あいつは一流になった。見ればわかる。エルフは感性が鋭いんだ。歩く姿、剣の動き......。あの子は今、この村で一番強い。それはアンタのおかげだ」


この村において、祭司の代替わりは最上級の名誉。それを成し遂げ得るほどの剣士は、存在だけで敬服を集めた。


「礼を言うよ。村はもっとよくなる」


彼がそう言った時、広場の前の方がざわついた。ヴィクトリアは弾かれたようにそちらに注目する。


広場の中央にはエルフがひとり、剣と共に立っていた。儀式装束にべっとりと血がついている。カランカラン、と武器が落ちる。腹から血を流したその者は数歩進んだ後、倒れ、動かなくなった。


ヴィクトリアは気を揉んで注視した。

そして、それはエレナではない、知らない男だとわかった。


「ヴィクトリア」


不意に横から声がした。

見ると、エレナがそこに立っていた。


その体は柔らかな黄金の輝きを纏って透き通り、ただならない超自然の力を漂わせていた。


「私、勝てたよ」


彼女は言った。


「祭司になれたの」


彼女は目を細め、村の中に目を向けた。

エルフたちは残らず広場に集まっており、ヴィクトリアからは村に誰も見えない。しかし、エレナはそちらに微笑み、手を振った。霊界と現世の間を司る彼女の目には、村の中に立つ兄の姿と、祖先の霊たちがはっきり見えていた。


「もう、お別れかしら」


ヴィクトリアは寂しく微笑む。

エレナはベルトから剣を外し、差し出した。


「私の剣をあげる。きっと手に馴染むよ」


ヴィクトリアは受け取った。


森の木々が徐々にざわめきを強めている。依頼された役割を果たし、精霊の認可が切れかけているのがわかった。今は帰らねばならぬ。


「私は、この森を空けておけないから……ヴィクトリアと一緒にはいられない。代わりに私の剣を持って行って。あなたを助けてあげられる」


そして、エレナはヴィクトリアの手を取った。

2人は村に背を向け、森の外へと歩いていく。歩む間、いろいろなことについて話した。これまでのこと、これからのこと、お互いのこと。


エルフの村は、特殊な時間の流れがあった。事実、ヴィクトリアはそこで数ヶ月もの時間を過ごしていた。だが、外の世界ではそれは一瞬だ。かけがえない時間だった。


話したいことはたくさんあって、それは猶予がいくらあっても足りなかった。


「また会えるかしら」


ヴィクトリアは言った。


「いつでも。この剣が橋渡しになってくれる」


エレナは手を重ね、微笑んだ。


周囲の景色が白み始め、辺りが光に包まれる___。


◆------------------◆


『おい、起きろよ』


粗野な男の声が頭に響いた。


「ンン……?」


ヴィクトリアはゆっくりと目を開く。

宿屋の天井。窓からは朝日が射しこんでいる。甘い匂いが鼻をくすぐる。見ると、ニコルとエヴァがビスケットを買ってきて、シロップをかけているところだった。


アキラが勝手にヴィクトリアの体を起こした。


『やけに息苦しい夢だったな。お前、平気か?』

「ええ、大丈夫……」


ヴィクトリアは息をついた。今までのことは、すべて夢だったのか。


とても長い時間を過ごしていた気がする。


「ん......?」


ベッドの中で体を動かすと、足に当たる何か硬いものがあった。

捲って確かめる。


それは剣だった。淡く黄金の輝きを纏い、自然光に似た暖かい気配を感じる。眠る前にはなかったものだ。


『なんだ、それ』


アキラが緑の右目を瞬きした。

ヴィクトリアは誇らしげに微笑んだ。


「友達からの、贈り物ですわ」




◆------------------◆



レビュー、感想を残していただけると喜びます。

「このキャラが好き」「このことについて聞きたい」など、気軽なコメントが支えになります。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

悪霊転生〜取り憑かれた悪徳令嬢/無敵のMP吸収で自由自在〜 ナンバーナイン @Cyberpunk_Keanu

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ