あの金木犀の花が如く
藤 秋人
あの金木犀の花が如く
校舎の裏、葉が波打った独特な個性を持った木が一本。元は、旧校舎のトイレのそばに植えられたものだそうだ。
私が、たまたまこの木――キンモクセイを知ったキッカケは、いささか、いやはや、こそばゆい思い出があるからだ。
以来、秋が来る度、この木から香る忘れられない匂いを味わいたくて来ている。
今ではもう、都会の大学に進学してしまったあの先輩が。私に見せたいものがあると言って連れてこられたのが一昨年の秋のこと。文芸部の二つ上の先輩。
先輩には悪いけれど、当時高校に進学して、あこがれの文芸部に入部した私は、正直げんなりしていた。
女子はボーイズラブに夢中で、刀を美男子に擬人化させたゲームの夢小説ばかりを読んでいたし。男子は男子でまた似たような、軍艦を擬人化させたゲームの二次創作……夢小説と二次創作にはちょっと深い溝がある……を脚本形式で書いては、見せて回るような。良く言えば、作品が飛び交う文芸部であったし、悪く言えば文芸と言うより、言葉遊びの様にも思えた。
そのごった煮を「やれやれ」と眺めていたのが、部長だった先輩。彼も彼で、異世界転生とは……と、周りの部員に話を合わせていたのだが。小脇に坂口安吾の文庫本を持っているのをめざとく見つけ、この人はちょっと違うなと思った。十五人を束ねて日々創作させるには、大きな物に巻かれていくことも必要なのだと思った。けれど。
「もっと文芸と言うものは、物語的で読む人に訴えかける物がなければいけないんじゃないかな」
あくる日、学園祭を前にどんな同人誌を出そうかと言った話し合いの席で、誰も言わなかったことを言ってしまった。
「お艦(おふね)も刀も良いと思うよ。けど、本にしてまで自身が表現したいことは本当にそれでいいの? 同人って二次創作だけじゃないんだよ」
それまで、イラストを載せようだとか。コピー本は刀と艦でどれだけのパターンを作ろうと言った話し合いの席で、いきなり『お前たちにはオリジナリティって物がないのかよ』とぶち上げてしまったのだ。
「ええ、でも大垣さん。実際一次創作は売れないよ」
「オリジナル書くのって手間だし描写も細かく書かなきゃいけない割に、手に取って貰えないしさ。流行に乗ってこその文芸ってのもあるじゃん? それじゃダメなの?」
何も言えなかった。ある小説家が言った。私は死んで誰からも忘れ去られるかも知れない。だが、私の作品は残り続けると。だけども、残ったのはその言葉で、その人が誰なのかも分からない。売れないと図書館にも納めて貰えないのだ。それが現実。
この年度で卒業する先輩もいる。建前として文芸部のDNAを残していくためにも。本心は自分の作品とペンネームを誰かに覚えていて欲しいと言う、作家としての欲を満たす。そのための作品が、流行のゲームやラノベのファンフィクションで何が悪いと言うのか。
「でも、後から自分の作品を見返した時、借り物のキャラクター借り物の舞台。その名前を忘れてしまったら……一体作品としてのアイデンティティは、どこに残っているんですか!」
そんなにオリジナルと心中したければ、君だけは部誌から外れて好きな小説を書けばいいじゃないか。君のその高い志に惹かれる人がいれば、一人ぼっちの部誌になんてならないよ。もっとも、それでお客が買うかどうかは疑問だけどね。
誰かが、もう沢山だとばかりにそう言った。誰と無しに、そうだよ棲み分ければいいんじゃない。などと言う声が聞こえる。
「ちょっと待ってくれないか」
もっともらしい反撃に、心が折れそうになっていた私が、悔し涙を目に溜めつつあったその時。部長の凛とした声が部室内に響いた。
「文芸は、文学ではない。大垣が言ったことは別にブンガクをやれと言っている訳ではない。君達の作品は、もっと個性を出して部誌に載せても良いと言っているだけだ。今年の部誌は作中イラストについては例年通りイラスト部に。掲載作品については一人一作品ずつファンフィクションとオリジナルを書いて載せることにする――いいね。今年くらい文章量も熱量も熱い部誌で、後の後輩達に多彩だった先輩達だったと思わせる。いいチャンスだ。刀もお艦も大いに結構、ファンフィクション作家であると同時に文芸家である所も存分に見せてやれ。大垣もそれでいいな? 君も刀とお艦でなくても良いがファンフィクションも書くんだぞ、これで今年の学園祭。部誌が売れなくても……ここは部活だからな、後の世に部誌は残る。バックナンバーとしてな。はい解散」
部長としての強権発動と同時に、私の意見と皆の意見をまとめてしまった。
他の部員も『まぁ、部長がそこまで言うなら……』と、納得したようなしていない様な顔で西日が差す部室から一人、また一人と姿を消していく。気づけば、私と先輩だけになっていた。
「大垣ちゃん、ちょっと場所を変えて話そうか」
校舎裏に生えている、いたるところに線香花火を身にまとった様な木の前で。
「この木はキンモクセイと言う。そこのボンボンと言うか線香花火がそのまま形になった様な花の香りをかいでごらんよ」
とても強烈な、忘れられないような甘い匂いがする。そう感じた。
「どうだい、もう一度この香りを吸い込めば、直ぐにキンモクセイだと分かる。僕達、物書きも、ワガママを言えば作品一つでキンモクセイの香りの様に、ああ――あの人の作品だと思って欲しいものなんだ。だから、世相からネタを取るのは今も昔も変わらない。けれど、その中で一つだけでも、忘れられない文章を刻むのが、文芸家としてのせめてもの矜持じゃなかろうか」
びっくりしてしまった。先輩がここまで考えてくれていることに、思わず心が動いた。そこに居たのは、なあなあで異世界転生を語る先輩でもなければ、安吾を隠し持っている青年でもない。今の先輩の言葉が、最高に文芸している。
「君は、君のキンモクセイの香りを漂わせる文章を書くと良い。一度読んだら、忘れられない様なそんな物語をね、そしてこの校舎の裏でこんな事があった事を私小説として残すのも、またオツなものじゃないか?」
そして、次の様な一言を残し、先輩は卒業していった。
「代々の文芸部長が、次の文芸部長を秋の文化祭前に連れてきて一説話すと言うのは、とても文芸的ではないかい?」
先輩が卒業して直ぐに、文芸部は社交的なサロンから、混沌の場に変わった。二年生の新部長は、あっちを立ててはこっちを立てられず。ほどなくして、昨年の爆弾発言で注目されていた私が部長の座に収まった。
相変わらず、刀がどうとか、刃がどうとか言ってはいるが、キンモクセイの時期になれば、今度は私が、彼等一人一人にキンモクセイの様な個性を持たせる作品を作るまで四苦八苦するに違いないのだ。その中で、真剣に創作に向かう誰かを校舎裏のキンモクセイの花と共に迎えよう。次の文芸部長を指名する『たった一つの私が紡ぐ小さな物語』を彼、あるいは彼女に焼き付けるために。
あの金木犀の花が如く 藤 秋人 @akihito_fuji
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