第34話
中東の村での井戸掘りの思い出から三十年ほどは、とにかく慌ただしく過ぎていった。
ルズから研究および彼女の立ち上げた「神兵フユーキの血液研究団体」ーー世間では短くF教団と呼ばれているようだーーの運営の進捗がちょくちょく端末での通話越しにもたらされ、何もわからない僕も彼女から助言やら訓示やらを求められた。
とにかく僕が何をどうしたいのか、どういう世界を目指してF教団を動かしていくのか、という聞き取りを毎回丁寧に行なってくれて、ルズに任せてよかったな、と内心かなり感謝したものである。
併せて、僕が通話アプリ越しに顔を出してF教団に加入した医者や技術者、投資家などの面々に挨拶をしたり、世界に向けてのビデオメッセージを撮影したりといった場面も多々あった。端末があの頃のスマホに比べてもかなり進化して高性能になっていたおかげで、F教団の本拠地に呼ばれて対面で話をする、みたいな機会は数えるほどしかなかったが、ひたすら遠隔でルズとF教団に指示を出し続けた。
その一方で、所持金がゼロになってしまったので、僕自身なんらかの仕事を始める必要に迫られて、フリーの傭兵を始めた。
第三次世界大戦の爪痕が未だ深々と残る世界で、わざわざ戦争を起こしたり紛争に明け暮れたり、といった国もずいぶん少なくなってはいたのだが、その代わり貧民が盗賊に身を落としたり、荒れ果てた郊外の治安がひどく悪化していたりといった問題は頻発していたので、それらを武力で制圧するという仕事の種は、まあ尽きなかった。
そんなこんなで、最低限の食事を買ったり安宿を借りたりといった程度の端金は稼げていた。真っ当に社会人として生きるのが初めてであったから、当初は雇い主との契約や交渉、同業者との渡りをつけたり実際の仕事のスケジュールを組んだりといったあれこれに忙殺されたが、それらにもじき慣れて、現在はその日暮らしではあれどそこそこ自由で満ち足りた生活を送っている。
地球は、あれから核心に触れるような発言をすることもなく、いつも通りの雑談を交わすに留まっており、何を考えているのか、何を隠しているのか気にはなったもののどうしようもなかった。気にかけて先回りして行動するほどの時間的、体力的、精神的余裕がなかったのも大いにある。
まあそんなわけで、それから百五十年はあっという間で、F教団の経営や研究体制がどうにか軌道に乗り、ルズの後を引き継いで運営及び教団の指揮を引き受けてくれる人間もポツポツと現れ、僕は僕で自分の生活の世話くらいは自分でこなせるようになり、忙しなく、しかし穏やかに日々はすぎていった。
あれから悪夢を見ることは激減したが、例の赤く染まった空から逆さに生えたビルが落下してくる夢を見ることはたまにあり、どうもただの夢とは思われなくなってきて、しかも夢の中で聞こえる声がどうやら地球の声らしい。
そういえば何度か別の夢でも地球らしき声が語りかけてきた記憶がある。これは何かある、という予感だけがあり、しかし判断材料が少なすぎて現状では推測も何もない。
時折地球に対してそれとなく鎌をかけてみたりもしたのだが、のらりくらりとかわされるばかりで大して情報は増えなかった。
今日も、僕は傭兵の仕事で訪れた廃村で、他の傭兵仲間と共に、夜、焚き火を囲んでいた。
「盗みやら悪さをやる奴らも尽きねえなあ、おかげで俺みたいなのは食いっぱぐれなくて助かってるが…」
たまに仕事場で出くわす、この辺りを活動範囲にしている傭兵の一人、ラムーーこれは傭兵間で呼び合っているあだ名である。慣例なのかなんなのか、本名を名乗る傭兵はかなり少ないーーが夕食のスープを口に運びがてら、こぼす。
「もう大戦が終わって四百年以上経ってるのにな。貧富の差もなかなか埋まらねえし、土地は荒れ果ててるし…上級人民の奴らはもう宇宙に逃げ出そうとしてんだろ?」
「宇宙開発もだいぶ進んでるらしいですからね。すでに有人ロケットを飛ばして数百人は火星に送られてるみたいです、情報はあまり公になってはいませんが」
後を引き取ったのは同じく傭兵の、今回のグループ内では比較的若いムジカである。ラムとムジカと僕は同じ班に入れられ、この廃村を拠点にここらを根城にしているらしい盗賊の一派を討伐するための索敵に当たっていた。
「酷い話だよね。散々地球の上で好き勝手やって、住める星でなくなったらさっさと抜け出そうってんだもん」
「まあそうですね…。とは言え、人類の今までの歴史を振り返る限り、我々の種が愚かなのはもう何世紀も前にわかっていたことですから。今更感傷も何もないというのが正直なところです」
「フユキはあれだろ、もう五百年近く生きてこの世界を見てきたんだろ。絶望したりはしなかったのか?」
「うーん…」
F教団が勢力を伸ばし、世界でかなりの覇権を得るようになって、僕の存在も以前からより広く世間に知れ渡っていた。特に傭兵の間では「新兵フユキが傭兵となってあちこちのヤマで大暴れしている」というもっぱらの噂で、僕は僕で隠し立てしたり忍んだりする必要を全く感じていなかったから、「新兵フユキ」の名はこの業界に雷鳴の如く轟いているのだった。
「そこらへん、僕もよくわからないんだよな。前にもちょっと話しただろ? 一般人の身から軍人になって人殺しをするようになっても大して動揺がなかったって。何かに怯えたり驚いたり絶望したり、って類の感情が、この体になってからどうも微弱になってるっぽい」
「そりゃあ…戦うために生きてる人間って感じだな」
「フユキさん、銃を構えてる相手に対しても平気そうに向かっていきますもんね。傭兵の素質としては凄まじいものがありますよ」
「褒められた気がしないなあ…」
携帯食と薄いスープで食事を済ませた僕たちは、代わる代わる見張を務めつつ交代で仮眠を取る。僕は眠らなくても大して消耗しないので、彼らにたっぷり眠ってもらう代わりに比較的長い時間見張りの任についた。
先ほどの彼らの言ではないが、実際こうして戦いの中で生きる上ではずいぶん都合のいい体って感じだ。…ここのところは、盗賊であろうと野盗であろうとなるべく殺さずに捉えることにしていたが、彼らも殺す気で向かってくるものだからたまに殺生は避けられず、僕は再びこういう生き方に身を落としてしまったことを内心かなり恥じていた。
とはいえ、最適解を選び続ける限り殺し合いの世界に身を置くことからは逃げられそうにない。僕も「人を殺す」という「正義」のあり方とそろそろ真っ当に向き合わなければいけない。
『静かな夜だね…』
地球が気を使って雑談で気を紛らわせてくれるので、心中感謝しながら応じる。
「そうだな。夜は考え事が捗るから結構好きだ」
『それ、フユキっぽいね』
そう言って軽く笑う地球の言葉には、相変わらず力がない。しんしんと闇が降り積もっていく。
地球と僕の一千年 山田 唄 @yamadauta
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