第33話

 翌日、目が覚めるとひどい頭痛がした。しかしそれは最近ずっと抱えていた寝不足による鈍痛ではなく、明らかに二日酔いで、代謝が並外れて良いとはいえ流石に昨晩までの祭りの際に飲みすぎたかと反省する。

 フラフラとした足取りで見慣れぬ寝室を出て外に向かう。徐々に今までの記憶が蘇ってきて、泥酔している最中村長の家に呼ばれて一晩宿を借りたのだとどうやら思い出した。


「フユーキ様、おはようございます」


 村長はもうすでに外出しているらしく、屋敷に何人かいる使用人が恭しく頭を下げる。それらに適当に手を振って答えながら、端末を開くとすでに昼を回っていた。今までの睡眠不足を補おうと体が一気に休息をとっていたのだろうが、流石に寝過ぎた。


 使用人の一人に水を持ってくるように頼んで、差し出されたグラスを一気に煽る。まだ頭がグラグラしていたが布団に戻るわけにもいかない。


「あっ、フユーキ様!」


 村長の自宅から這い出すと、村人と雑談していたらしいルズーー彼女も血清で村を救った立役者として村に引き止められ、祭りでは大層なもてなしを受けていたーーが、パッと明るい顔でこちらに手を振る。僕の村での態度を見聞きして、ずいぶん僕に対する警戒心を和らげたらしかった。…今後もこの調子で絡んで来られると思うと複雑な気持ちになる。

 周囲の村人がやはりキラキラした目で僕に挨拶と感謝を述べるのをいちいち相手してやりながら、さて、これからどうするかなと思案を巡らせる。


 この百年の間にある程度行きたいところには行き尽くしてしまった。次の目的地を定めなければいけないが、正直これ以上見たいものも訪れたい場所もない。

 腕組みをして思索に耽る僕を見て何を考えたのか、ルズがちょいちょい、と僕を手招いて耳に顔を寄せながら言う。


「ご相談なんですけど、フユーキ様。あなたの血液、病に対する抗体の他にも複数の特質がありましてね。できればこれの利権を丸ごとうちの病院に譲ってくださるとありがたいなーなんて」

「はあ…」

「ダメっすか?」


 わざとらしく目の前で手を組み、目を潤ませるので、僕はしこたま呆れた。しかし彼女のおかげで助かったのは事実だし、そう邪険にもできない。そもそも、僕の血ではあるものの僕一人でその性能をフルに活かすことはできないわけだから、血を何かに役立てるのならば協力者はどうしたって必要だ。


「じゃあ、こっちからも提案、というか交換条件、いいか?」


 提案というのはつまり、僕の現在持ち得ている全財産ーー今までの旅行費や生活費にかなり使ったとはいえ、まだ人生五回くらい繰り返しても遊んで暮らせる程度の額はあるーーを丸ごとルズに預けるので、信用できる人間をそこらから引き抜いて僕の血で作った血清やその他研究成果を分け隔てなく世間に還元する団体を作ってくれないか、というものである。

 僕も誰かの役に立てる、という事実を、大事にしたかった。


 ルズは心底意外そうにパチパチと目を瞬かせながら僕の話を聞いていたが、何度か意味ありげに頷き僕の手をとる。


「さすがっすね、神兵フユーキ。力あるものはそれを公共の福祉のために使うべし。ノブレスオブルージュですよね。素晴らしい!」

「あ、いやそんな大層なもんではないんだけど」

「任せてください。フユーキ様の後ろ盾がある以上、賛同する医師や研究者はいくらでもいます。私にぜひお手伝いをさせてください!」

「なんだか意外なほどにまともなことを言い出したな」


 彼女の今までの言動を振り返ると全てを任せるに足る信頼があるわけではなかったが、まあ逆に、これくらい柔軟で若い力に未来を委ねるのも、すでに三百歳を優に超えた老人の身として悪くないと思える。


 がっしりと手を握りあう僕とルズを眺めていた村人たちが、訳がわからないながらもパラパラと拍手の雨を降らし、その一部始終を黙って見ていたらしい地球が、いつも通り、


『なんだか感動的』


 なんていうエスプリの効いたツッコミをよこす。

 その後一週間ほど、血清を投与した患者の事後監察を勝って出たルズを手伝いーー単にルズと共に患者のいる家に"神兵フユーキとして"訪問しただけであるがーーその後例の街に蜻蛉返りして今後の研究に十分なだけの血をとってもらい、そうして僕は長い長い逗留を終えて、中東の地を後にした。




『すごく気持ちよさそうな顔してるね』


 地球がイタズラっぽく茶々を入れてくるが、僕とてまんざらではない。


「だろうな。今までにないくらい良い気持ちだよ」

『あら素直』


 全財産を寄付して路銀も尽きたので、次の目的地を定めずにしばらくぶらぶらしてみることにして、僕は荒れ果てた市外を歩いて行った。


「これで、いつ死んでも悔いはないな」

『私はフユキを失うなんてまだ考えられないけど』

「いや、すまん。別に大した意味はないんだ、ただ一生分の生き甲斐を得てしまったなと」

『じゃあ、今度は私の願いを聞いてくれる?』


 食い気味の地球の言葉に、ああ、ここんところずっと言いたげにしていたことをついに口に出そうとしているのだな、と気づいた。正直何を言われるか、ある程度当たりをつけている。それだけに、僕の気持ちは決まっていた。


『人類を滅ぼしたい』

「それに協力は、できない…」


 間髪入れずに答えた僕に、地球は地球でその返答を予想していたらしく、軽くため息を吐いて応じる。


『だろうね。今の君に聞き入れられる願いではないと思う』

「お前の気持ちもわかる。散々好き勝手してお前を傷つけてきた上で、さっさとこの星を捨てて宇宙に逃げようってんだから、人類には憎しみしかないよな。でも…」

『そういう短絡的な話では、もうないんだ』


 そう言うだけ言って、地球は『今はまだ全ては話せない。一旦忘れて』と告げてはまた押し黙ってしまった。

 そういえばチェンを失った直後、あの村に身を寄せていた頃から何かを隠しているそぶりがあったなと思い出す。しかし、地球レベルの生命体が抱える隠し事なんて僕には見当もつかず、ただ僕も言葉をつぐむしかなかった。


 そうして、慌ただしい中東の思い出からさらに百五十年ばかりが、瞬く間に経過したのだった。

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