第32話
その日から一ヶ月ほど、彼らの村で過ごした。相変わらず夜はほとんど眠れず、十数分もトロトロとまどろむと悪夢を見て飛び起きる、なんてことを繰り返したが、不老不死体質のおかげで死ぬことはなく、日中はある意味死ぬほど怠かった。が、井戸掘りに熱中している間はどうなり苦痛を忘れられた。
そもそも最近使っていなかった全身の筋肉を漏れなく酷使するせいで、常に体の節々が痛い。多少頭が痛かったり思考に霞がかかっている程度どうと言うこともなく、それでいて一日の仕事を終えると一丁前に爽快感があり、次第に村人たちとの交流で僕にも笑顔が戻っていった。
そんな中井戸掘りは順調に進み、穴が水脈に達したので、あとは周りから土が崩れないよう石を積み立てていよいよ井戸としての体裁を整える作業に入った。
この頃になると、さすがに女衆プラス僕だけの手には負えなくなってきて、男衆が休みの日に少しずつ外部から石を切り出して運び、それを積み立てていく作業に移る。
一ヶ月もまともに眠れないでいると人間逆にハイになってくるもので、地球が度々「フユキ、なんか変」なんて言って僕をとりなしてくれた。実際妙に陽気になっていたし、かつてなら言わなかったような寒いギャグを連発して自ら場を盛り上げる、なんていう行為にもちょくちょく及んだ覚えがある。
それら失態の記憶も、夜作業を引き上げて布団に潜る頃にはすっかり忘却の彼方になっており、特に引きずることもなかった。後々地球に言われたことだが、「あの頃のフユキは異常にネアカになっていたよね」とのことだ。
そうして村に滞在して三十四日目の日に、ようやく井戸は完成した。
自分の労働の結果がこうして形になって目の前に聳えていると、何やら感動するものだ。その頃には寝不足続きでメンタルがいよいよガタガタになっており、僕は大袈裟に涙を流して村人たちと感動を分かち合った。
村人たちからすれば僕は村に来た当初からこういう人間であるから違和感も何もなかったようだが、この二、三週間、時折会話する地球は大体気味が悪そうにしている。僕もそれを自覚してはいたが、どうしようもなかった。
「フユーキ、ありがとうございました。思った以上に早く施工が終わりましたわ」
村長のドーラが例の朗らかな顔と声音で労を労うので、僕はまた少し泣いた。すっかり仲良くなったイサナとナカマドーー僕を拾ってくれた親子ーーが、「またフユーキの感涙が出た」などと言いながらニヤニヤ僕の顔を覗き込んでくる。思わず赤くなった僕に、地球がまた気持ち悪そうに「いい加減ちゃんと睡眠が取れるといいのにね」なんて囁くのだった。
「ドーラ様。早速患者たちに水を…」
「そうですね、薬をありったけ用意してください」
井戸の竣工を喜ぶも束の間、慌ただしく動き始めた村の衆に、態度で疑問を呈して見ればイサナが言いにくそうに言う。
「実はしばらく前から村で疫病が蔓延しててな。井戸も清潔な水を得るために急遽掘ってたんよ。騙すような形になっちまって、すまねえ」
「…いいですよ。僕の正体にも気づいてたんでしょう?」
「まあ。新兵フユーキなら神の加護で何とでもしてくれるだろうって考えはあった」
「僕はそこまで万能じゃないですが、少なくとも僕自身は疫病で死ぬことはないので」
「正直そこは賭けだった。すまん」
イサナがこの一ヶ月見せなかったような神妙な面持ちで詫びるので、僕は逆に申し訳なくなりぶんぶんと手を振る。そうしているうちに、以前例の街で買った端末が着信を告げた。
イサナに気遣いながら通話に応じると、電話口でどこかで聞いたような女性の声がする。
「あ、ルズです。この前血をとらせてもらった。覚えてません?」
「ああ、君か。何か用か?」
「やっぱり忘れてる、採血の結果が出たら連絡するって伝えておいたじゃないですかぁ。何もかもほっぽって街を出たって聞いて慌てましたよ」
「ってことは、結果が?」
通話ですら緊張した面持ちが見えるような震える声で、ルズはつらつらと驚嘆するような事実を述べた。
「まず、血そのものの検査結果なんですけど、驚きました。現状世界で確認されているあらゆる病に対する免疫があります。きっとこの三百年の間に病にかかっては抗体ができて、を繰り返していたんでしょうね。もうやばいです。この時点で採血するだけの価値はあったって感じなんですけど」
「待て。それは疫病の抗体なんかも含むのか?」
「そんなもん、吹けば飛ぶようなもんすよ、フユーキ様の血液の前にゃあね。それに加えて…」
「じゃあ今すぐ血清を作って持ってきてくれないかっ?」
「え…」
興奮から口調が荒くなる僕に代わって、隣で一部始終を聞いていたドーラが通話に出る。彼女は彼女で興奮で頬が上気していたが、話を通すや否や、腰が抜けたらしくその場にうずくまった。
「ああ、なんてこと…。フユーキ、ありがとう。あなたはこの村の救世主…」
そうして血清(ワクチン)ができるまでの一週間ほどをどうにか村中の薬で乗り切って、ヘリで村に乗りつけたルズが血清を患者に手回しよく投与し、この疫病騒ぎは円満解決という形で幕を閉じたのだった。
その後、三日間に及ぶ祭りが催された。僕に対する最大級の礼という建前で、まあ村人たちも辛いことがひと段落して騒ぎたかったのだと思う。
それでも一応僕は祭りの主役として普段巫女を奉る祭壇の上に上げられ、あちこちから酌を受けたり料理の皿を差し出されたりしてこの上ないもてなしを受けた。特に患者を出した家庭の者たちは僕を神と崇めるほどの勢いで、土下座して礼を言われるわ涙を流しながら頭を下げられるわで、流石に僕も多少慌てた。
その様子を見て久しぶりに地球がゲラゲラ笑っていたので、ほっとしたものである。
そうして祭りが終わる頃、僕は村長の家に招かれ、比較的上質なベットで横になった。
このところの幸福な思い出が次々と頭をよぎった。
こんな自分の力で、誰かを救うこともできるなんて思ってもみなかった。
その晩は例の悪夢を見ることもなく、久々の穏やかな眠りが僕を包んだ。夢の中で、チェンが傍にいて、僕の肩をポンポンと叩く。
なんだかそれだけのことがひどく懐かしくて、夢と知りつつもチェンに語りかける。話は尽きなかった。
朝目が冷めた時には交わした言葉の九割を忘れてしまっていたが、そうして僕は人殺しの罪悪感から立ち直ったのである。
地球と僕の一千年 山田 唄 @yamadauta
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