星の鳥 

あまくに みか

星の鳥

 ◯月×日 本日も通信試みるが、応答はなし。


 夜空に向けていた、旧時代のライトをぼくはそっと下ろす。

 長く吐ききった息だけが、その場に白く跡を残した。砂漠の夜は冷える。


「明日、ここを出よう」


 振り返って、砂の中に一軒だけ取り残された家を眺める。アリアの家も、レムの家も、みんな砂の中に消えた。


 静かに滅亡を待つだけの村だった。最後に残ったのは、じっちゃんとぼくだけ。

 そしてついさっき、じっちゃんは眠りについた。




「わしの墓などつくらんでいい。どうせ明後日には、家ごと砂の中だ」


 仰向けで横になったまま、じっちゃんはそう言って笑った。


「独りになってしまうな」

「うん」


 ぼくはうなずいた。じっちゃんと二人きりになってしまった時から、いつかこの時がやってくることを、ぼくはずっと考えていた。


 ぼくが先か。じっちゃんが先か。

 でも、出来るならじっちゃんが先がいい。


 荒廃した地球に、じっちゃんがたった独り残されるなんて、考えただけで辛い。だから、じっちゃんが先に逝くことになって、ぼくは少しだけ、良かったと思っている。



 強く吹き始めた風が、建てつけの悪い窓をガタガタ鳴らした。夜が近づいてきている。



 本当にもう、この世界に生きているものはいないのだろうか。

 本当にもう、ぼくは独りになってしまうのだろうか。


 ぼくは、うつむいて手を握り合わせた。



「二十八年前のことだ」



 唐突に、じっちゃんは話し始めた。ぼくは訳がわからず顔をあげる。


「夜がパッと明るく灯った。わしは何事かと思って、慌てて外へ出た。そして、見たのだ」


 じっちゃんの、真っ黒な目がぼくをとらえた。


「星の鳥を」


 その黒い瞳の奥に、光るものが飛び去って行くのを見た気がした。


「真っ白な羽を持った、大きな大きな鳥だ。星のように輝いて、夜空を滑るように飛ぶ。この世のものではない美しさに、わしは息をすることも忘れて、見とれてしまったのだよ」


 そうしてな、とじっちゃんは目を閉じた。


「星の鳥が通った後に、一枚の紙切れが落っこちておった」

「紙切れ? 星の鳥が落としたの?」


 尋ねると、じっちゃんは首を小さく横に振った。


「わからん。ただ、その紙切れは二十八年間、大事にとっておいた。再び、星の鳥に会えるような気がしてな」


 震える手で。けれども、力強く。じっちゃんは右手をぼくに向かって突き出した。


「お前にやろう」


 ぼくが手を差し出すと、小さな紙切れが手の中に落ちた。のぞき込むと、文字が書いてある。


「なんて書いてあるの?」

「知らん」

「旧時代の文字だね」


 旧時代の文字はそこかしこで残っている廃墟や物品で見たことがあった。けれど、ぼくたちはもう、読み書きをしない。生きることで精一杯だから。


「ダンデ、まだ人は生きているぞ」


 ハッとして、ぼくは顔をあげた。


「まだいる。まだ生きている」


 じっちゃんは、そう言い残して目を閉じた。




 ——星の鳥は、西へ飛んで行った。



 その言葉だけを地図にして、ぼくは数日分の食料を詰め込んだ荷物を背負って村を出た。


「いってきます、じっちゃん」


 砂に埋もれていく、じっちゃんとぼくの家。完全に埋もれてしまえば、もうどこに家があったのかわからないだろう。


 もう戻ることは出来ない。


 砂よけのフードを深くかぶり直す。

 荷物を背負い直して、一歩踏み出す。

 どこまで進んでも、砂。砂。砂。

 時々思い出したように、ぼくはポケットの中にある紙切れを取り出しては、文字を眺めた。


 なんて書いてあるかわからない。

 だけど、これを書いた人が確かにいる。

 もう、その人はいないのかもしれないけれど。

 この文字を見ている時は、独りじゃないのだと思えた。



 西へ向かって、ぼくは歩く。

 砂に埋もれかけた廃墟を横目に通り過ぎる。人の気配はない。


 ぼくは、ふとした瞬間にこみ上げてくる孤独を追い出そうと、息を何度か深く吐いた。


「星の鳥は、西へ」


 じっちゃんの言葉を繰り返して、服の上からポケットの中の紙切れの存在を確かめる。大丈夫。ここにある。


「星の鳥は……西へ……」


 神様が気まぐれに思い出してつくったような泉で、その夜は休息をとった。棗椰子なつめやしの根元に座り込むと、眠気よりも先にひどい倦怠感が襲ってくる。


 体が重いのは、心が重いからだ。

 足が痺れるのは、心が悲鳴をあげているから。


 きっと、この旅の中でぼくは、死ぬんだ。

 帰る場所もなく。行き着く場所もなく、ずっと彷徨ったまま。


「……それでもいい」


 ぼくは目を閉じた。ただじっと死を待つより、旅をしながら、淡い期待を抱きながら、その時に向かって行くほうがまだましだろうと思えた。


 だからじっちゃんは、ぼくのために星の鳥の話なんかをしたのかもしれない。本当は、星の鳥なんて——。


 その時。


 閉じたまぶたに、強い光が差した。

 ぼくは目を開ける。


 目の前を巨大な星が流れたと思った。

 暗闇の中に浮かぶ、白い鳥。

 白銀の翼は、六枚。春風が水面を揺らすような繊細な羽ばたきで、音もなく夜を渡る。


 星の鳥だ。


「待ってくれ!」


 ぼくは思わず叫んでいた。立ち上がって、走り出す。


「待ってくれ! 星の鳥! ぼくを置いていかないで!」

 

 星の鳥はぼくに構わず、西へ向かって飛ぶ。


「置いていかないで! お願い、独りにしないで!」


 手を伸ばして、砂を蹴り上げる。

 指先が羽に触れた。

 掴もうと伸ばした手は、虚空を掴んだ。感覚を失って、ぼくは真っ逆さまに落下する。


 あるはずの地面はなく、ただひたすらぼくは暗闇の中を落ち続ける。「助けて」と叫んだところで、目が覚めた。



「——星の鳥は?」



 夜空を仰いで、あの強烈な光を探した。だが、星の鳥は見つけられなかった。右手の人差し指がジンジンと熱く脈を打っている。


「いた。星の鳥は、確かにいたんだ!」


 笑いがこみ上げてきた。


 じっちゃん、星の鳥はいたよ。

 ぼくはまだ、独りじゃない。独りじゃないんだ。




 西の空に向かって、希望を見出したぼくは再び歩き始めた。星の鳥だけが、ぼくの希望で、唯一の仲間だった。


 次の日も、次の日も、その次の日も。ぼくはがむしゃらに歩いた。


 食料が尽きようとしていた。点在していた泉も、今はどこにも見つけられない。夜の風が背中を強く叩いて、ぼくは枯れ枝みたいにその場に倒れ込んだ。


 口の中に残っていたわずかな水分を目ざとく見つけた砂が、我先にとはりついて水分を横取りしていく。


 体中が乾燥していた。満たされないまま、このまま砂になって、朽ちていくのだろうと思われた。



 星の鳥。

 星の鳥は、今、どこにいる。


 ぼくを見つけてくれ。

 ぼくは、ここにいる。ここにいるんだ。



 呻きながらぼくは体を動かした。

 泣きたいのに、涙はでない。けれども心は泣いていた。

 

 さみしくて。こわくて。ひどく、さみしくて。


 仰向けになって、夜空を見上げる。

 群青色の、澄み渡った夜空。


 途端、視界がわっと広がった。

 数多の星が、ぼくを包み込んでいた。



 ここにいるよ

 ここにいるよ



 ぼくに向かって、星は応えるように明滅を繰り返していた。



 ちか ちか ちか


 ここに ここに

 みつけて みつけて


 いたよ いたよ

 ここに ここに


 ずっと いたよ



「……あっ」


 見開いた目に飛び込んできた影。枯れたはずの涙が、体の中を巡って流れ落ちた。


 女の人が、ぼくをのぞき込んでいた。


 彼女の手がぼくに伸びてきて、そっと頬に触れた時。ぼくの意識はそこで途絶えた。







 揺れている。

 たっぷりの水の上に横になったら、きっとこんな感覚だろう。


 心地よい揺れ。潮騒の、生命の音。

 忘れてしまった、母親に抱かれて眠るような安心感。


 ぼくは目を開ける。

 頬に触れたのは、白銀の羽毛。微かな息遣いと温もりを感じる。


 ぼくは、星の鳥の背に乗っていた。

 

「こんなにちかくに、いたんだね。きみは」


 強烈な光を放つ星の鳥。それなのにどうしてだろう、ぼくにはその光が悲しそうに見えた。


「さみしいの? きみも、さみしいの?」


 答えるように、星の鳥が深く息を吸い込んだ。


「大丈夫。ぼくが、いる。ぼくが、きみのことを覚えているよ。ずっと。ずっとね」







 涙が溢れたのが先か、目を開いたのが先か、ぼくはもう覚えていない。けれど、旅の終着点に着いたことだけは、はっきりとわかっていた。


「ここは?」


 カサカサではりついた唇をなんとか引き剥がして、ぼくは横にいる女性に尋ねた。


「カナガワですよ」

「カナガワ?」


 聞いたことのない場所だった。

 女性はぼくの背中を支えると、体を起こして水を一口含ませてくれた。コクリとぼくの喉が上下したのを見届けると、女性は微笑んだ。


「私はユリ。あなたは?」

「ぼくは、ダンデ」

「あなたはどこから来たの?」

「……名前のない場所から」

 

 告げると、ユリは全てを察したように視線を彷徨わせた後「そう」とだけ言った。


「ここは、人がいっぱいいるの?」

「いっぱいではないけれど、村があって、子どもたちもいて、みんなで暮らしているわ。行く場所がないのなら、ダンデもここにいたらいい。ずっとね」


「ぼくも、ここに……」


 今までの旅の記憶が一気に湧き上がって、体を突き抜けて飛び出していった。


 そして、ぼくの中に残ったのは、陽だまりのような小さなあたたかさだった。それを心の中で大切に抱きしめる。


「……ありがとう。いてくれて。ありがとう」


 ぼくは思い出して、ポケットの中から一枚の紙切れを取り出した。



 じっちゃん。


 生きていたよ。

 人は、まだ生きていたよ。

 生きていたんだ。

 ぼくも。



「手紙?」


 ユリが首を傾げた。


「旧時代の文字だよ」


 ぼくが紙切れを差し出すと、ユリは受け取った。


「き……か……」

「読めるの?」


 ぼくは瞠目する。声が震えた。


「なんて書いてあるの?」


 ユリは手元の紙切れに視線を落として、再びぼくを見た。



「『聞かせて』」

「聞かせて?」


 ユリはうなずいた。

 聞かせて、とはどういうことだろう。ぼくは答えを探すように、読めない紙切れの文字を見つめた。


「聞くというのは……」


 ユリが微笑んで言った。


「誰かが、隣にいるということよ」


 そっと彼女は手を伸ばして、ぼくの手を握った。


「聞かせて、あなたの物語を。ここに来るまでの。その荷物に詰めてきた、あなたの物語を」










BUMP OF CHICKEN 結成28年に感謝をこめて

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星の鳥  あまくに みか @amamika

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